ファンラオ・ダンスカンパニー「Bamboo Talk」「PhuYing」観劇レポート
■躍進する東南アジアとラオスのダンス
ファンラオ・ダンスカンパニーはラオスの新しい風として注目されている。後述するとおり筆者は海外で彼らと個人的に交流はあるのだが、来日は今回が初。F/Tがこういう交流の機会を作っていくのは素晴らしいことだ。
日本国内では実感できないかもしれないが、アジアの中でも東南アジアのダンスの伸長ぶりは著しい。ダンスというと、中国や韓国など、学校教育を含め国を挙げてバックアップしている国が目に入りがちだが、そうでない国々でも、若いアーティストが自らダンスフェスティバルを立ち上げたりしている。それらは若さとモビリティの強みを活かし、海外のフェスとの連携に積極的なのが特徴だ。
とかく東南アジアのダンスは「伝統舞踊と関連したもの」と思いがちだが、若い世代では圧倒的に人気があるのはストリートダンスである。そこを共通の言語あるいは核として伝統舞踊やコンテンポラリー・ダンスへと表現の枠を広げているのだ。
日本のアジアセンターが東南アジア諸国をダンスで繋ぐ「DANCE DANCE ASIA」というプロジェクトを推進する際に採用したのがストリートダンスだったことは慧眼だった。異なる文化を繋ぐ共通言語として、ストリートダンスはじつに優れているのだ。
島国の日本からすると、東南アジア各国のカオティックなまでの多様性と、それを受容する懐の広さは、ちょっと想像を超えている。まず、限られた地域に様々な国が密接にそして濃厚に繋がっている。ラオスは5つの国と国境を接しており、日本の本州とほぼ同じ広さの国内には、ラオ族の他にも60を越える少数民族がいるといわれている。
そして東南アジアには、植民地時代の名残からヨーロッパとのつながりと交流という、もう一つのレイヤーもあるのだ。
ファンラオの作品は伝統舞踊を採り入れてはいるが、一口に「伝統」といっても、単純な物ではないのである。
■「ファンラオ=ラオスに耳を傾ける」
さてファンラオ・ダンスカンパニーはラオスの首都ヴィエンチャンを拠点として、ウンラー・パーウドムとヌーナファ・ソイダラによって2013年に結成された。
パーウドムは「カカ」の愛称で、ストリートダンスの世界では広く知られた存在だ。世界各国の大会で優勝している。
ソイダラの愛称は「ヌート」。幼い頃から伝統舞踊を学ぶが、カカや次に述べるオレ・カムチャンラとの出会いでヒップホップやコンテンポラリー・ダンスに惹かれていった。
カンパニー名の「ファンラオ FangLao」とは、「ラオスに耳を傾ける」という意味だという。激変する東南アジアとラオス、その中で混淆していく文化やスタイルを、貪欲なまでに、そして驚くほど無理なく溶け合わせ、独自のダンスを生み出しつつある。まさにラオスの若者がリアルに感じる様々な現在に「耳を傾けている」のである。
さらにもう一人、重要なメンバーがいる。本拠地をフランスにおいてダンサー・振付家として活躍しつつ、ヴィエンチャンでFMK(Fang Mae Khong ファン・メーコン)国際ダンスフェスティバルを主宰しているオレ・カムチャンラである。カカやヌートと共に、ファンラオの活動には深く関わっている。
FMK(ファン・メーコン)とは「メコン川の声を聞く」という意味で、2011年から開催されている。ラオスはメコン川を挟んでタイと隣接している土地柄だ。FMKフェスも当初はメコン川流域のダンサーを集めて交流するものだったが、現在はその規模を拡大し、アジアを始め多くの国からアーティストが参加している。FMKフェスは、筆者が公式アドバイザーをしているソウルのNDA(ニュー・ダンス・フォー・アジア)国際ダンスフェスティバルやアジア各国のフェスティバルとも連携している。
また彼らはグループだけではなく個別のダンサーとしても活躍し、アジアではよく知られた存在なのである。
■『Bamboo Talk (バンブー・トーク)』
今回は二つの作品が紹介された。二つとも、ラオスの日常を描いたものだ。
『Bamboo Talk (バンブー・トーク)』(振付:ウンラー・パーウドム 2019年初演)は、男性同士のデュオだ。カカと、カカの長年のストリートダンス仲間、「モト」と呼ばれるパソムシン・ポムマヴォンである。ラオスの農村の若者の日常を、ゆっくりじんわりと描いていく。
フラットな舞台上に、「編み笠を被り、腰に竹の魚籠や鰻筌(ウナギなどを捕るのに使う細長い筒状の竹の籠)」というラオスの典型的な田舎の若者の格好でカカとモトが登場する。
ミニマルな音の中、一人は座り、一人は格闘技を思わせる型を演じ始めるが、要所要所で踊りの要素が入ってくる。
王朝を持つような国は、だいたい伝統的な格闘技とダンスを持つものだ。ラオスで有名な格闘技「ムエラオ」は、タイのムエタイと同じ打撃系の格闘技。その源流である「ムエライラオ(muay lai lao ラオ式格闘技)」の発祥は6世紀にまで遡り、国や王を守るために素手で敵に立ち向かう実践的な戦闘術だったのだ。
現代の「ムエラオ」は安全のためグローブを着けルールも決められてスポーツ化しているが、激しさはムエタイ以上とも言われる。興行と賭けが一体となっているためラオスの人々にも人気は高く、とくに田舎の貧しい若者にとって選手になることは数少ない一攫千金のチャンスでもである。
もっとも舞台上で展開される動きは、立ち技打撃系というよりも、空手や拳法のように全身で動く型に近い。もともと「ムエライラオ」は森の中で動物たちが戦う動作から技を編み出していったという。そこへヒップホップの動きがシームレスに溶け合っているのが彼らの真骨頂である。
スローな曲になると、今度は床での動きが増えてくる。緩やかだがストリートダンスのステップやコンテンポラリー・ダンスのフロア・ムーブメントが融合している。
様々な要素が深い次元で融合し、オリジナルの動きになっている。
編み笠を持ったデュオでは伝統楽器のラナート(木琴)のような軽快な音が響く。やがてラオスの歌にのせて、竹を組み合わせた伝統楽器ケーン(日本の笙の原型とも言われる笛)を舞台中央に立てかけて置き、伝統舞踊を組み合わせたようなダンス。これも足の運びがブレイキン、あるいは距離を探る格闘技のようで、掛け合いの時間が続く。
突如照明が左右から交差し、音もコンピュータの打ち込み風の人工的なものに代わる。二人はコンタクト・インプロビゼーションのように、手を使わず正面から体幹を押しつけ合う。離れてからは上体の使い方がコンテンポラリー・ダンスほど柔軟ではなく、ストリートダンス寄りである。ストップ・モーションやフロア・ムーブメントなども展開していく。
ストリートダンスも格闘技も伝統舞踊も、本作で彼らが使うテクニックは超絶技巧というわけではない。全体に遅めのテンポと薄めのトリックの密度であり、そちらを期待していた人には物足りなさを感じさせるかもしれない。もちろん技術的にできるできないの問題もあろうが、ダンスの場合、超絶技巧の追求に振れすぎると、けっきょくはバラバラな「技自慢大会」になってしまい、ひとつの世界を描き出そうとするコンテンポラリー・ダンス作品としては破綻してしまうのである。この「ゆるさ」こそが、異なるテクニックを融合させる炉のような役割を果たしているのだ。
暗転から明かりがつくと、天を仰ぎ、降り注ぐ慈雨を喜ぶような二人。鰻筌を手に踊るうち、一日が終わるように、ゆっくりと明かりが落ちていく。
■『PhuYing(プ二ン)』
『PhuYing』(振付ヌーナファ・ソイダラ 2017年初演)は女性3人の作品。公演後のトークによると、本来は四人で踊る作品であり、タイトルはラオ語で「女性」という意味だという。ラオスでは女性もストリートダンスは盛んだが、女性だけのコンテンポラリー・ダンス作品はなかった。ソイダラことヌートが仲間に呼びかけて作った最初の振付作品である。つまり伝統舞踊をやっていたヌート以外はバリバリのストリートダンス出身なのだ。
ラオスの伝統舞踊は大きく分けて、「王宮で伝承されてきた物」と「民間で踊り継がれてきた物」の2系統がある。前者は14世紀にラオ族初の統一国家であるラーンサーン王国を建国したファーグム王の庇護のもとで発達したのが始まりとも言われている。物語を演じる舞踊劇が中心で、現在はラオス国立舞踊団などに継承されている。伝統では手を頭より上に上げることはないとされ、足の動きも大幅に制限されてしまう。いっぽう輪になって男女ペアで踊る民間の伝統舞踊はもっと自由で、地域によって様々な形態がある。
さて舞台上では薄暗い照明と無音の中、三人の女性が、屈託のないおしゃべりをしながら、下着姿で床に散らばった服を拾い集めて畳んでいる。こちらはラオスの若い女性の日常が展開していくわけだ。
現代の洋服を身につけて、一列に並び「サバイディー(こんにちわ)」を繰り返し、やがて客席に向かって日本語で「アリガトウ」という。床を転がってダンスが始まるのかと思いきや、再び三人で笑い合う……そして突如腹を押さえてえずきだし、腹を押さえる仕草から再び三人でユニゾンのダンスへ展開させていく。
ここではめまぐるしく手が動いていく。よく見ると、「笑い」「頭を抱える」「泣く」……といった喜怒哀楽の仕草をめまぐるしく変化させ、それがダンスになっているわけだ。
幼い頃から専門的な伝統舞踊の訓練を受けているヌートは長い手足に大きな掌。もっとも伝統舞踊の手の動きをしたかと思うと、ストリートダンスのニー・スライド(立て膝で床を滑るように動く)が入ってくる。
ステップも三人のユニゾンから徐々にずらしていくなどコンテンポラリー・ダンス的な構成で変化をつけていく。三人で触れるギリギリの距離感を保ち、インプロビゼーションのような動きに入るとピアノがかかり、ヌートの伝統舞踊的な動きが始まる。その美しさには目を奪われるが、体幹の使い方はコンテンポラリー・ダンス式に広い可動域を見せ、大きく舞台上に展開する。
やがてネジを巻く音がして、オルゴールの中の人形のようになると、二人も加わり、伝統舞踊と人形振りの動きのミックスが始まる。これは伝統舞踊に対して「人間的ではなく人形的である」というシニカルな視線と見ることもできよう。
やがて暗闇の中から三人は現代の服を脱ぎ、下着姿で緩やかに踊り出すが、このとき伝統的な巻きスカートである「シン」を身につける。年に一度着るか着ないかという日本の和服と違い、シンは現代の若者にも日常的に着られており、素材やデザインには様々な流行もある。「現役で現代に生きている伝統」なのだ(もっとも和服も50年前の日本ではまだまだ日常で着られていたので、シンもどうなるかはわからないが)。
面白いのは最後のシーン。シンと共に伝統衣装である「パービァン」という肩からかける縦長の布を合わせると、ラオ族の正装が完成する。しかし三人が身につけたのはシンのみで、上体は現代的な下着姿のまま、一列になって踊るのである。
伝統を尊重しつつもただ従うのではなく、あらゆる可能性を受け入れていくことも必要なのだ、という未来に向けた意思表示のようだった。。
■伝統舞踊とコンテンポラリー・ダンス
伝統舞踊を現代の舞台芸術の俎上に上げるのには、絶えず自己矛盾がついてまわる。伝統舞踊とは地域の人々のために踊り継がれてきた物で、本体的にはその土地以外で、その土地以外の人を対象に踊ることを前提とはしていない。それを他の場所の、まして劇場という異質な空間に持ってくること自体、どれだけ意味があるのか。
「ヨーロッパ人のアーティストがアジアの伝統舞踊を研究してコンテンポラリー・ダンス作品を作る」というとき、筆者が常に感じる違和感もそれだ。なぜ伝統舞踊を、西洋のコンテンポラリー・ダンスという枠組みの中で再構成する必要があるのだろう。
しかしファンラオのダンスは、先述した通り、伝統も現代文明も、「ゆるさ」のもとに共存させる、新しいスタイルを創り出しつつある。
それは、ファンラオの基本にストリートダンスがあることが大きいのではないか。ストリートダンスの基本はバトルで、勝敗を決めるのは見ているオーディエンス。すなわち「外の人間」を前提としたダンスなのである。
今回の来日公演の2演目は、男女それぞれの視点からラオスの日常を、伝統舞踊と現代的なテクニックを融合させたダンスで描き出した。その純度はまだまだ上げる必要があるが、ひとつの大きな希望を感じないではいられないのだ。
今回彼らを招いたF/Tが取り組んでいる「トランスフィールド from アジア」が持っている、「舞台芸術が持つフィクションの力は、都市にどのように働きかけるのか」という視点は、非常に重要である。単なる伝統の紹介でもなく、個別のアーティストの感性だけでもない。舞台芸術がフィクションの力であることを自覚した上で、様々な現実に絡め取られることなく都市のリアルの探っていくこと。これからのプログラムにも、大いに期待したいところである。
乗越たかお Norikoshi Takao
作家・舞踊評論家 JAPAN DANCE PLUG代表 著書『ダンス バイブル』『コンテンポラリー・ダンス徹底ガイドHYPER』『
http://www.nori54.com/
ファンラオ・ダンスカンパニー『Bamboo Talk, PhuYing』
振付 | ウンラー・パーウドム、ヌーナファ・ソイダラ |
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日程 | 10/25 (Fri) , 10/26 (Sat),10/27 (Sun) |
会場 | 東京芸術劇場シアターイースト |