“権力”を考える~これからの10年に必要な約束 西尾佳織(鳥公園)インタビュー
アートにおけるプロフェッショナルとはなにか。俳優・演出家・劇作家らはそれぞれのプロフェッショナルとしてどのような役割を持っているのか……コロナ禍において、社会からそう問うてくる視線がより増えたように感じる。
2020年はオンラインで開催されることになった『アーティスト・ピット』は、アーティストが走り続けるために立ち寄る『ピット(整備所/穴)』だ。ファシリテーターのもとワークショップと相互批評、プレゼンテーションとディスカッションを行うほか、ゲスト講師である國分功一郎氏とアサダワタル氏のレクチャーを実施する。(11月30日~全6回。参加者選考あり)
ファシリテーターは鳥公園の西尾佳織。活動10年を経て一度大きく立ち止まってしまったという西尾に、アーティストが陥るかもしれないピット(穴)と、アーティストに必要なピット(整備所)とは何かを聞いた。そして、これからの10年についても。
最初の10年、ほかのやり方があったかもしれない
──今年の『アーティスト・ピット』のテーマは「次の10年を考える -いかにひらき、いかに閉じるか?」。10年とは、西尾さんにとってどういう意味を持つのでしょう?
21歳で鳥公園を始めて、最初は勢いよく走り続けられたんですけれど、10年くらいして行き詰まってしまったんです。同じように次の10年を続けていくことはできないな、と。それまでは「見つけてもらわなくちゃ」とか「どんどん自分をプレゼンテーションしないと」という感覚がありました。だけど、なんでこういう過ごし方になったんだろう。もうちょっと違う環境にいたら、違う過ごし方を選んでいたかもしれない。
これは創作環境から作り変えないと変わらないんじゃないかと思って、ずっと作・演出・主宰をかねていた体制を変更し、2020年度から3人の演出家にアソシエイトアーティストとして鳥公園に入っていただきました。作品をどんどん作るのではなく、たくさんの時間を費やして問題意識を掘るところから話し始める。そうして形にならなかった企画もいっぱいあります。でも、普段は芝居を作るだけでいっぱいいっぱいで、立てた企画をボツにする余裕が持てませんでした。誰かと一緒に具体的に考えたけれどボツになるって、複数の人が集まるからこそできる余白だと思うんです。
自分より後の世代の人たちが「見出されるためにひたすら作っては世に出すという以外のやり方もある」と思えたら、最初の10年の過ごし方がちょっと良くなるかもしれない。私自身も、アーティスト・ピットでいち参加者として次の10年を考えたいですし、この先10年の続け方を迷っている人にも参加していただけるといいかなと思います。
俳優と演出家が“権力”によって対立しない約束事をつくる
──次の10年を考えるにあたって、アーティスト・ピットでどのような取り組みをしたいですか?
まずひとつは、権力について考えたい。鳥公園の新体制では「3人はアソシエイトアーティストであって、劇団員ではない」というのが、重要な線引きなんです。3人のアーティストは公園に飛んできた鳥で、アーティスト人生の一時期をそれぞれに、一緒に、そこで過ごすイメージ。3人はそれぞれの作品の芸術面について責任を持っていて、団体運営は主宰の私が責任を持っています。運営と創作がわかれていて、対等な関係です。
これは、権力を考えての体制なんです。最近はハラスメントが大きな問題になって、世の中の流れがちょっとずつ変わってきていますよね。ただ、「権力は悪いもの」となってしまうことには気をつけたい。複数の人間が集まったら絶対に権力が発生するし、それをきちんと引き受けて行使できないと、それこそ暴力が生じるのだと思っています。演出家が権力を持つのは否応ない部分がある、役割として。その時に「俳優=守られるべき人」という定義をしてしまうと、危険な気がしています。そんなにはっきりと権力をふるう側とふるわれる側にわかれたうえで、創作を始められるものでしょうか? 対立関係から始まってしまうんじゃなく、お互いに「No」と言える状態を用意してから、俳優の領分と演出家の領分を互いに尊重する。「今回は誰にどのように役割や責任を預けるか」という約束をすることが必要なんじゃないかな、と思っています。そういうことを、俳優と演出家で集まって話したい。
──俳優と演出家が参加することで、それぞれどのようなことが起きてほしいですか?
まず俳優の方に来てほしいというのは、昔、創作の時に意見が対立した時に「西尾さんは言葉を持っているから。でも私はそんなふうに言えないんです」と言われ、とてもショックを受けたことがあったんです。なにも言えなくなって、でも、心の中では「私だって最初から言葉を持っていたわけじゃなくて、一生懸命獲得したんだよ」という気持ちでした。
けれども、作家や演出家はこうやってインタビューしてもらえる機会があることに気づいたんですよ。問いかけてもらって初めて考えて、ハッタリかもしれないけれどひらめきを捕まえながら話していると、そうなっていく……みたいな体験がある。そうやって訓練して言葉を獲得させてもらったなと思うと、日本の小劇場の俳優にはその機会が圧倒的に少ない。「あなたは俳優としてどう考えているんですか?」と、相手の反応が返ってくるなかで語ることが、アーティスト・ピットではいっぱい起こったらいいなと思っています。
それは演出家にとってもものすごく助けになると思うんです。演出家同士で話していると、「俳優のやりたいことをのびのびと主体的に出してもらうにはどうしたらいいんだろう?」という悩みをよく聞きます。それが当たり前にできるようになるための練習が、俳優と演出家でできるといいな。
──お互いの間に何かが生まれる、と。
そうですね、俳優と演出家が互いに行き交えればいいなと思います。これまで活動してきて、苦しかったり、自分のせいと思えないけどうまくいかなかったりしたことを、一緒に解きほぐしていけたらいい。「この人が悪かった」「現場のあの人の振る舞いがどうだった」と人を断罪するのではなく、俯瞰して「その人がそうしてしまうのはなんでなんだろう?」と考えると、すぐ解決はしなくても別の道が見えて、楽になることはある。自分にべたっと貼りついている苦しみや悩みが「こんな仕組みがあるからなのか」と把握できると、「じゃあこうしよう」「逃げた方がいいな」とか、ちょっと違う視点を持てるんじゃないかと期待しています。
──俳優と演出家が権力によって対立しない状況について考えることは、参加者6人プラス西尾さんと少人数で、創作ではない場だからこそ、丁寧におこなえるかもしれません。
違う人同士の間でどうやって約束事をつくれるか、という自分なりの勘がつかめる場になったらいいと思うんですよね。7人の中でのルールや仕組みをつくって、「うう、人によってこんなに違っている……」とやっかいさに耐えながら、それでも約束するという練習が大事だなと。練習していくなかで「そうか、こうやって違うことを違うままに話せるのか」という感触を確かめて、「自分の普段いる場所でも約束ができるんじゃないか」とイメージできたらいいなと思っています。
自分はなんのプロフェッショナルかを言葉にする
──アーティスト・ピットは、プロフェッショナルとして今後やっていくために自分をメンテナンスする場として、企画されています。F/Tというフェスティバルのなかに作品上演ではない企画があることは、それがいかに今のアーティストにとって必要とされているかの現れでしょう。
長島確さん(F/Tディレクター)がよく言われている『自治』が大事だと思うんです。ハラスメントの話題でいうと、一律の禁止事項を作るのはけっこう危うい。人によってOKとNOのラインは違うので、自分にとってNOなら安心してそう言えることが大事です。 最低限の意識レベルもあげないといけませんが、それと同時に、ここから先はそれぞれの現場で自分たちで約束事を作る、という両方ができればいいと思っています。
──アーティストが、自分自身の場や、活動や、専門性を定義する必要性についてどう思いますか? 西尾さんは今回「自分たちがやっていることを具体的に言葉にしてみることを通して、演劇における「プロフェッショナル」とは何か?が見えてくるんじゃないか」と仰っていましたが。
大事なことです。自分はなんのプロフェッショナルかって、一言では言えないと思うんですよ。私は以前、アーティストと名乗るのに抵抗がありました。今も、なんとなく存在しているらしいアート界というものの中で認められていっぱしになるような雰囲気には興味が持てない。とくに去年からのあいちトリエンナーレやコロナ禍での炎上をみると、アート業界・演劇界・舞台芸術業界といわれるものとそれ以外にいる方々との間で、認識がすごくズレている感じがする。どっちの言うこともわかるんです。芸術は私にとって大事ですけれど、大事だと思わない人もいるのもわかる。でも、たとえば、芸術がわかる人の方が高尚だとしてしまったら、そこで論理が閉じてしまう。アート界の人にだけ通用する論理じゃダメで、社会とかかわりがある作品を作ることがすごく大事。だから、アーティストと言われる人が具体的に何をしているのか、何にどういう影響があるのかを、自分の言葉にしてみるのが必要なんじゃないでしょうか。
世界がちょっとでも変わるために
──西尾さんにとっての、次の10年とは?
正直、どういうふうに続けていくのかわからないんです。鳥公園の体制を変えたのも、「つねに120%出せます」というタフな人しか続けられないのは演劇界にとってもマイナスじゃないかと思っていたから。どうしたら、それぞれの人生で全力で創作に力をそそげないタイミングがあることを許容できる創作現場が作れるのかなと。いろんなフェーズ込みで続けられた方が、みんなにとってきっと良い。
鳥公園としては、新体制で「まず3年やってみよう」という約束をしました。でも漠然と、3年ワンクールとして3クールくらいは必要じゃないかと思っています。さっき「アソシエイトアーティストは公園に飛んできた鳥で……」と言いましたが、その3羽が去ったあとも彼女たちの遊具や痕跡は残っていて、次の鳥がインスピレーションを受けたり、また別の遊び方を発明したりします。層が堆積して、ある空気感を持った場、「鳥公園ってこういう場だよね」というものができるのに10年。その頃には、最初のアソシエイトアーティストの3人ももっといろんな方向に広がって、次のやりたいことが芽生えているんじゃないかな。10年後には、西尾のクレジットがなくてもこれはたしかに鳥公園の作品だ、というあり方が成立していて、私も鳥公園からほかの場所に遊びにいけるようになっているかもしれない。
──では、アーティストにとってのこれからの10年についてはどう考えますか?
そうですね……。昨年に妊娠して初めて、「私、今、社会に含まれてないぞ」と思ったんです。それまでは排除されている感覚はなかったんですが、「社会って、男の人が多くて、バリバリお金を生み出しているもののことなんだ」と感じました。でも「私も社会にいれてよ」とは思わなかった。それよりも、社会という範囲のとらえ方を変えないとダメだという気がします。『社会的包摂』や『多様性』という言葉がよく聞かれますけれど、見えないことにされているだけで、ずっと多様だった。『社会的包摂』という言葉には、「今まで排除されてきた人たちをいれてあげましょう」「社会の側は変わらないけれど、そこに同化させよう」みたいなニュアンスを感じます。本当に包摂するなら、社会がまるごと変わらないといけない。だから、もっと根本的に変わった社会をアーティストが妄想できるようにならないといけないんじゃないかな。
アーティストのプロフェッショナル性についても、搾取の問題と同時に考えていることとして、「アーティストを労働者として認めよう」って、社会の経済的な価値のなかに入っちゃうことじゃないのか、プロフェッショナルなアーティストの基準がお金になってしまわないのか、という戸惑いがあります。産業として成立する舞台芸術の現場と、どうしても産業になり切れない舞台芸術の現場があって、私には後者が単に未熟なのだとは思えないんですよね。
世の中にはうんと違っている人がいて、自分にとってあたりまえだと思っていたことが別の誰かにはあたりまえじゃなくて、お互いに話さなきゃいけない。やっかいだけど、多様性ってしんどいことだから、違う人同士が約束事をつくっていくことは大事だと思うんです。
──約束事をつくることは、俳優と演出家の間だけでなく、違う人同士が集まる以上は必要、と。
ずっと、間(あいだ)のことを考えています。
たとえば障害者の『害』の字が変わって「障碍者」「障がい者」になったりする。でも、障害って、人に属しているんじゃなく、その人と社会の間に障害があるということ。『害』の字を変えるという小手先でかえって見えなくしているものもあるんじゃないか。とはいえ、障害が自分に属しているとされたら「せめて『害』の字を変えてくれ」って思うかもしれないけれど……。
そういうふうに、物事の間のことを考えたい。もし障害とされているもので苦しんでいる人がいたら、身体に密着しちゃっている苦しさをちょっと引きはがして見られたら「あっこれは私に属しているんじゃなかった」と思うかもしれない。そうすると、世界が少し変わる気がするんです。だから私はこれまでもずっと間のことをやってきたし、間について、みなさんと話したいです。
西尾佳織(にしお・かおり)
劇作家、演出家、鳥公園主宰。1985年東京生まれ。幼少期をマレーシアで過ごす。東京大学にて寺山修司を、東京藝術大学大学院にて太田省吾を研究。2007年に鳥公園を結成以降、全作品の脚本・演出を務めてきたが、2020年度より3人の演出家を鳥公園のアソシエイトアーティストとして迎え、自身は劇作・主宰業に専念する新体制に移行。『カンロ』、『ヨブ呼んでるよ』、『終わりにする、一人と一人が丘』にて岸田國士戯曲賞にノミネート。鳥公園の活動とは別に近年のプロジェクトとして、マレーシアのダンサー、振付家のLee RenXinと共にからゆきさんのリサーチなどにも取り組んでいる。2015年度よりセゾン文化財団フェロー。
河野桃子 (かわの・ももこ)
演劇ライター
桜美林大学総合文化学科(現・芸術文化学群)にて演劇、制作、アートマネジメントを学ぶ。卒業後は週刊誌や経済誌などのメディアで記者、編集者として活動。現在は主に商業演劇を中心に、小劇場、ダンスなどのインタビューや公演記事を執筆している。高知県出身。 twitter: @momo_com
次世代のアーティスト育成を目的とした、鍛錬の場
F/T20「アーティスト・ピット」
ファシリテーター | 西尾佳織 |
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応募締切 | 10/21(水)23:59 |
詳細はこちら |
人と都市から始まる舞台芸術祭 フェスティバル/トーキョー20
名称 | フェスティバル/トーキョー20 Festival/Tokyo 2020 |
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会期 | 令和2年(2020年)10月16日(Fri)~11月15日(Sun)31日間 |
会場 | 東京芸術劇場、あうるすぽっと(豊島区立舞台芸術交流センター)、トランパル大塚、豊島区内商店街、オンライン会場 ほか ※内容は変更になる可能性がございます。 |
概要
フェスティバル/トーキョー(F/T)は、同時代の舞台芸術の魅力を多角的に紹介し、新たな可能性を追究する芸術祭です。
2009年の開始以来、国内外の先鋭的なアーティストによる演劇、ダンス、音楽、美術、映像等のプログラムを東京・池袋エリアを拠点に実施し、337作品、2349公演を上演、72万人を超える観客・参加者が集いました。
「人と都市から始まる舞台芸術祭」として、都市型フェスティバルの可能性とモデルを更新するべく、新たな挑戦を続けています。
本年は新型コロナウイルス感染拡大を受け、オンライン含め物理的距離の確保に配慮した形で開催いたします。