「プロセス」を見せることで、豊かな情景が広がってゆく ――セノ派・中村友美インタビュー
舞台美術家コレクティブ「セノ派」による企画「移動祝祭商店街 まぼろし編」が、特設ウェブサイトを中心にオン/オフラインを行き来しながら公開されている。セノ派の一員、中村友美は架空のまちの「模型」を通じたスライドショーと映像を公開中。人々の記憶からつくられた模型のまちは、完成された作品やパフォーマンスではなく「プロセス」を体験させることで新たな景色を立ち上げようとしている。
コミュニケーションを受け入れる余白
――中村さんは大学で演劇を学ばれていたと伺いました。最初から舞台美術に関心があったんですか?
最初から舞台美術に絞っていたわけではなく、演劇やダンスに興味があったのではじめはいろいろ勉強していました。ただ、まわりは俳優をやりたい子が多かったので作品をつくるときに舞台美術を担当することが増えてきて。
――徐々に舞台美術に関心が向いていったわけですね。何か印象に残っている経験はありますか?
授業の一貫でチェルフィッチュの岡田利規さんと一緒に作品をつくったことが大きかったと思います。『ゴーストユース』という作品を上演したのですがそのときもたまたま舞台美術を担当することになって。 岡田さんと直接やりとりしながらつくっていけたことが面白かったんです。大学内だとどうしても先生、生徒という関係性の創作になりがちな側面がありますが、そこに囚われないクリエーションだったと今でもよく覚えています。劇場での稽古に参加しながら少しずつ美術も構築していくプロセスがとても印象的で。稽古を見て道具を作って、入れて足したり、違ったら引いたりと調整の日々でした。
――舞台美術のどこに興味をもったんでしょうか。
俳優の体をどう舞台に立たせるのか、どう見せていくのか考えていくことに興味がありました。もちろんつくること自体も好きだったのですが、舞台をつくることだけではなく演出的な部分にも関心があったので舞台美術は面白いなと。実際に舞台美術に携わるなかでも、戯曲や作品の世界観があるうえでどんな景色を生み出せるのか、照明や音響も含めた複合的な体験をどうすれば美術の構造に組み込めるのか考えることが増えていきましたね。
――中村さんは範宙遊泳やQ、Baobabなど多くの劇団やグループの美術を手がけられていますよね。その都度いろいろな刺激を受けそうです。
そうですね。昨年秋に参加した犬飼勝哉さんの『ノーマル』と言う作品が印象的で、その時の創作が今回の作品づくりにも影響を受けてます。確か作品の空間の話で「状況の方からやってくる」ということについて話をしていて、 起きた物事に対して後から美術が出現するような舞台をつくったんです。通常はある一定の形に美術を決めきってしまいますが、起きたことに対して景色が近づいてくるような体験をつくれたのが面白かったです。初めからそこに景色があるのではなく、現象や気配がこちら側にじわじわやってくるような体験のできる空間づくりへの考え方は今後も取り入れていきたいなと思っています。
スライド作品より
バラバラなままで受け入れること
――ふだんはどういうふうにクリエーションを進めていくんでしょうか。
演出家によって舞台美術家の立ち位置や関わり方は毎回変わりますね。わたし自身としては、あまりパーソナルな部分は深堀りしないし「絶対こうしたほうがいい」みたいなことは言わないようにしています。わりとお客さんの目線で関わるようにしていて、お客さんにどう見えたい/見せたいか考えるところから話をしていくことが多いかもしれません。その分デザインを決めていくにの時間がかかる場合ももちろんありますが、なるべく客観的でいるように心がけています。
――中村さんは杉山(至)さんがディレクターをされている『舞台美術研究工房六尺堂』にも参加されていますし、舞台美術家の方々とコミュニケーションをとられる機会も多そうです。
ふつうは同業者が集まるとライバル関係が生まれがちですが、六尺堂はお互いに手法を共有したりチームで場所をシェアしたりできるのが面白いですね。セノ派の坂本さんの現場を手伝いにいくこともあるし、質問することもある。杉山さんが提唱している「景」の概念からも影響は受けていますし、お互いに影響しあえる場は重要だなと。もっとも、今年はコロナ禍でコミュニケーションが取りづらくなっていて、セノ派もそれぞれの創作に集中しているような状況なのですが。セノ派もそれぞれ興味の対象が異なっているので、ほかの人のプランから発見できるものが多くて面白いです。
――去年の「移動祝祭商店街」はそれぞれが異なる商店街を舞台に作品をつくられましたが、いかがでしたか?
バラバラの商店街からスタートして最後に同じ場所へ集まってパフォーマンスを行なったので、よくも悪くも噛み合わないミックス感が面白かったですね。異なるものを無理やり合わせようとするのではなくて、違う商店街でつくっているんだから噛み合わないのが当たり前という感覚でズレを許容していけたのがいいなと。
スライド作品より
記憶のなかで“捏造”されていくまち
――今年は「模型」を使った企画を発表されていますが、どういった作品なのでしょうか。
今年は池袋本町商店街を実際に巡るようなものではなく、模型をつくって2020年の“まぼろし”を巡っていくような作品をつくりました。少し外からまちを眺められるようなものになったらなと。具体的には、商店街の方々にアンケートをとって、心に残っている祝祭の風景やまちに住んでみて印象に残っていること、記憶について聞いていきました。その回答をもとに、6つのキーワードを設定するとともに、架空のまちの模型をつくっています。そのうえでキーワードごとにスライドショーをつくっていて、会期最後の週末である11月14〜15日には映像も公開する予定です。街の方々から聞いたエピソードを直接的な映像にするというより、わたしが変換することでまぼろしの景を模型にするというか。
――現実の商店街とは異なった風景が立ち上がりそうですね。
杉山さんの企画が「旅人」によってさまざまな景色をつないでいるように、わたしは模型とスライドショーによってつないでいけたらなと。わたし自身、今年はなかなか外に出て直接人やまちとかかわることができない状態がつづいていたので、思いを馳せながら遠くからまちを見ているような感覚もあって。ちょっと外側から客観的にまちを見るような体験をつくっていきたいと思ったんです。
――具体的にはどんなキーワードが挙がったんでしょうか?
通過(移動)/眺める/カゴをあむこと /灯火/まぼろし/ハレという6つです。アンケートをとっていくなかでは具体的な場所もたくさん挙がっていてそこでの体験が語られていくのですが、場所にフォーカスしてしまうとそこで起きていたことや体験が見えづらくなってしまうので、場所を通してどういう体験をしたか、どういう記憶が体に残っているかに注目していました。そしてアンケートといいつつも、実際は直接語ってくれる方が多かったのが印象的でした。直接会うのは避けたい方が多そうだと思ってアンケート形式にしたのですが、みんな喋りたいんだなと。直接話すとみんな適当に喋るのが面白いんですよね。話のディティールが曖昧になっていて、記憶が重なることでどんどんぼんやりしていく。わたしが模型というかたちで架空のまちをつくるまえに、すでに記憶のなかでまちが捏造されているんですよね。さらにわたしの体を通って模型となり、チームの面々を通ってさらに別物になっていく。まさに今回のタイトルでもある「まぼろし」にまちが変わっていっているなと感じました。
「プロセス」を体験する重要性
――ふだんは演出家が中心となることが多いかもしれませんが、セノ派では中村さんが中心となって企画をつくっていきますよね。いつもの舞台美術の創作とは進め方も違うんでしょうか。
でも、わたしが中心の企画だとは思っていないんです。わたしひとりだけではつくれないですし、主観だけでつくりたくない。こういう状況だと作品の上演によって同じ空間を共有することもできませんし、それぞれがそれぞれの視点でどう作品を見ていくのか、チーム内で言葉を砕いていく作業を進めていました。模型自体はわたしがつくっていますが、それ以外の部分はチームの星(茉里)さんや司田(由幸)さん、照明の魚森理恵さんや音楽の寺田(英一)さんと一緒につくっていくというか。オンラインでのアプローチも私自身も初めてな分、去年よりもハードルが上がっているよなうな気もしますね。これまでは客席からお客さんに観てもらうことを前提とした創作ができましたが、お客さんに能動的に参加してもらうというのはこれまでの経験の先にあることだなと。単に模型の写真をスライドショーで見せるだけでは意味がないので、体験の設計をずっと考えていました。
――やはり去年とは感覚も変わりますか?
かなり変わりますね。まちの人が見ているかどうかもわからないし、誰が見ているかわからないですし。前提としているものが変わったなと感じます。とくにわたしが今回つくったのは模型ですし、実際に人が映っている映像や生の風景とはまったく情景が異なっている。体を通すためには模型だけだとダメで、言葉を使いながら体とつなげなければと。
――模型というつくりものを通すことで新たに生まれるものもありそうです。
今回のコロナ禍を経て、発表できない/されないまままぼろしになってしまった模型がたくさんありました。でもネガティブなものとして捉えたいわけではなくて、模型って作品の創作の経過にあるものなんですよね。わたしが戯曲を噛み砕いていく思考のプロセスが模型には表れていて、その経過を見せたいんです。スライドショーが作品なのではなく、経過が作品というか。お客さんにも特定の「まぼろし」を見せたいわけではなくて、それが生まれるまでのプロセスを見てもらいたい。その体験の豊かさが、セノグラフィーのもつ豊かさでもあると思うんです。
中村友美
新潟県生まれ。桜美林大学総合文化学群卒業。在学中に舞台美術を学ぶ。近年の参加作品にQ『バッコスの信女─ホルスタインの雌─』、鳥公園『終わりにする、一人と一人が丘』、犬飼勝哉『ノーマル』など。くすのき荘(かみいけ木賃文化ネットワーク)メンバー。
もてスリム
1989年、東京生まれ。おとめ座。編集者。 トーチwebでシリーズエッセイ『ホームフル・ドリフティング』連載中。
舞台美術家集団が見出す “景”がまちと人にあらたな縁を結ぶ
『移動祝祭商店街 まぼろし編』
企画デザイン | セノ派 |
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日程 | 10/16 (Fri) - 11/15 (Sun) |
会場 | 特設ウェブサイト、豊島区内商店街、F/T remote(オンライン配信) |
詳細はこちら |
祝祭や原風景の記憶からなる「模型」が架空の都市を立ち上げる
『移動祝祭商店街 まぼろし編』 眺望的ナル気配
企画デザイン | セノ派 中村友美 |
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日程 | 10/16 (Fri) - 11/15 (Sun) |
会場 | 特設ウェブサイト |
詳細はこちら |
人と都市から始まる舞台芸術祭 フェスティバル/トーキョー20
名称 | フェスティバル/トーキョー20 Festival/Tokyo 2020 |
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会期 | 令和2年(2020年)10月16日(Fri)~11月15日(Sun)31日間 |
会場 | 東京芸術劇場、あうるすぽっと(豊島区立舞台芸術交流センター)、トランパル大塚、豊島区内商店街、オンライン会場 ほか ※内容は変更になる可能性がございます。 |
概要
フェスティバル/トーキョー(F/T)は、同時代の舞台芸術の魅力を多角的に紹介し、新たな可能性を追究する芸術祭です。
2009年の開始以来、国内外の先鋭的なアーティストによる演劇、ダンス、音楽、美術、映像等のプログラムを東京・池袋エリアを拠点に実施し、337作品、2349公演を上演、72万人を超える観客・参加者が集いました。
「人と都市から始まる舞台芸術祭」として、都市型フェスティバルの可能性とモデルを更新するべく、新たな挑戦を続けています。
本年は新型コロナウイルス感染拡大を受け、オンライン含め物理的距離の確保に配慮した形で開催いたします。