東京とジョグジャカルタの路上から「公と私」を考える ー対談:北澤潤×森真理子
F/T 19では、アーティストの北澤潤が自身の新プロジェクト「NOWHERE OASIS」で参加する。インドネシア式屋台が池袋の各所に出現し、薄いシート1枚で公的空間と隔てられた内側では、人々が「どこにもないオアシス」へ思いを馳せる。その意図を探るため、北澤本人と、現代アート・舞台芸術の両領域に携わるアートプロデューサーの森真理子の対談を企画した。
アートプロジェクトでの「配役」と「演出」
森 今回、北澤さんとF/Tの組み合わせに意外さを感じたのと同時に、相性が良いだろうという気持ちもありました。これまでの北澤さんのアートプロジェクトに、演劇とも似た部分を感じていたからです。
北澤 そうなんですね。自分ではあまり意識したことがなかったです。
森 たとえば、私も企画側としてご一緒した、京都・舞鶴市でのアートプロジェクト《時間旅行博物館》(2013~2015)。約100年以上前に建てられた近代化遺産「赤れんが配水池」を活用したプロジェクトでした。
北澤 かつて大量の水が流れていた場所に、今度は「時」を流すように、舞鶴の過去・現在・未来を旅する「博物館」として蘇らせる3年計画の取り組みでした。1年目は僕の発案した参加型展覧会を行い、2年目には市民から「時間旅行学芸員」を募集。そこから彼らの発案企画も生まれ、3年目には、誰もが時間旅行をテーマにした表現を出展できる「タイムトラベルコレクション」につながりましたね。
《時間旅行博物館≫(2013~2015)
森 当時の北澤さんの立ち回り方が、演出家のような振る舞いだと感じたんです。例えば、市民学芸員の募集は、参加者に「あなたたちは学芸員です」という「役」を与えたともとれる。他にも多様な関係者によってプロジェクトが成り立つ状況で、関わる人の複数性を常に意識した北澤さんの「配役」や目端の利かせ方は印象的でした。
北澤 思い返すと2008年、僕にとってほぼ最初のプロジェクトである《病院の村》から、すでに役割に名付けをしています。ここではある病院の敷地内にテントを建て、僕を含むプロジェクトメンバーが「村人」として3週間ほど病院に滞在しました。村人はノートを持って院内を巡り歩き、出会った人、話した言葉、目にしたものを書き留める。その内容を「村誌」として毎日、院内の談話室などに配りました。いわば「よそ者」が異質なコミュニケーションを生じさせ、その内容を共有した試みです。
森 その試みには、何か動機があったのですか?
北澤 学生時代から人類学にも関心があって、「アーティストとして」地域に入ること以前に、「地域に入っていく」手法について人類学への羨望みたいなものはありました。ただ、僕は未知の文化圏ではなく、既知の社会にいながら日常を眺め直すために、部外者としてそこに居るふりをしたかった。そこで異質なものとしてふるまうには、役割の設定が必要でした。これは以降もしばしば行ってきたことです。
森 関連して、北澤さんは日常に「別の日常」としての非日常を効果的に取り入れることも多いですよね。たとえば団地の空き部屋を期間限定のホテルにした《サンセルフホテル》(2012/2014)では、太陽光発電を利用した大きな光るバルーンがそうだったと思います。
北澤 このホテルでは、宿泊客の滞在をサポートする「ホテルマン」などの役割で、団地の住民の方々に参加してもらいました。そこでは日中に、宿泊客とホテルマンが太陽光発電パネルを積んだ台車「ソーラーワゴン」で近所を歩いて蓄電し、夕暮れ時にはその電力で、太陽に見立てた光る大型バルーンを空に浮かべます。それが消えるころ、部屋の電気も尽きて就寝を迎えるわけです。
森 あのバルーンの出現で、直接関わりのない人も集まるわけですよね。日常生活を淡々と営んでいるところに、そういうものが持ち込まれる。そうした一日の時間の中での「山場」のつくり方も、ドラマやカタルシス的なものを生み出していると思ったのです。
北澤 《サンセルフホテル》ではあの「太陽」があることで、この場所が他とは違うことを周囲の誰もが認識できます。そうすると「一回目と五回目の太陽、良かったね」みたいな話がどこからともなく出てきたりする。そうして、別の「既存」を成立させ、独立させてプロジェクトを続けることが、割と良い形でできたケースだと思います。
《サンセルフホテル》
問題意識の根底をゆるがしたインドネシア移住
森 私が《時間旅行博物館》で北澤さんにオファーした理由のひとつに、良い意味での「作家性の薄さ」がありました。作家の強い意志をポンと前面に置くやり方ではなく、あえてこういう言い方をするなら、地域の人を「自分たちでやった気にさせる」というか、自然な形で当事者性を持たせる。どちらが能動的・受動的ということではなく、うまくいけば皆に「自分たちの作品だ」と取り組んでもらえます。北澤さんはそこがとても巧みでした。でも同時に、結構危ない橋を渡っているなとも感じました。関わり方の距離感ひとつとってもそうですし、集まる人たちの意識で作品が大きく左右されるような動き方ですから。
北澤 だいたい最初は「あいつは何者だ」から始まって、そのうち「ジュン」とか「きたぽん」などと呼んでもらうようになり(笑)、地元の人たちと仲良くなります。その過程では既存の価値観と結構戦うこともあり、言葉を尽くして新しい価値観が生成されるところまでやってきたつもりです。他方、続ける中でわかってきたのは、異質さも時間が経つと「そういうのもあるらしい」と一般化されてくる。ややこしいことに、そのうちソーシャルデザインやコミュニティデザインの概念が社会化されてきて、「ジュンってそういう人なの?」と言われたときは考え込んでしまった。それが、国内各地でプロジェクトをしていた2010年頃ですかね。
森 その後、2016年に国際交流基金のアジア・フェローとしてジャカルタに1年間滞在。さらにはジョグジャカルタに拠点を移しましたね。
北澤 もちろん現地に関心がありましたが、自分がしてきたことの先に何があるのかという気持ちと、このまま続けると「企画屋」になってしまいそうな危機感もありました。また、携わってきた複数のプロジェクトが終わりを迎える経験もして、ここでいったん距離を置いて考えようと思いました。でもインドネシアに着いたら、そのこと以上に現地社会で強い影響をドーンと受けたんですね。
森 どういうことでしょうか?
北澤 それまで、東京育ちである自分の中から生まれた疑問が活動内容とも強く関わっていたと思います。先ほどの話にもつながりますが、東京では人々の「役割」がとてもはっきりしている気がする。お店、学校、職場などそれぞれの場で、各個人の持つ/与えられる役割です。僕はそうしたコミュニティに対して、どこか窮屈というか、違和感がありました。だからこそ、その編み直しや再創造が、自分にとって「これしかない!」というくらい大きな問題意識だったのだと思います。
森 インドネシアでは、その前提自体がゆさぶられた?
北澤 インドネシアにきたら、みんな「役割」がすごくユルいと感じたんですね。首都のジャカルタでも、コンビニで勤務中の店員が堂々と歌を歌いながら、商品棚を挟んで同僚とおしゃべりしていたりする。また路上のあちこちで仲間同士が座り込んで、思い思いに過ごしています。ある意味、カチッとした共同体感は薄いけれど、個人主義とも違う。役割うんぬん以前に人としてお互いがつながっているよう感じでした。2011年にネパールでプロジェクトをやったときも社会構造の違いに色々考えましたが、それともまた違って、インドネシアには僕が仮想敵としてきたような社会がそもそもないのではと思えた。「自分がやってきたことって何だったんだ?」という感じです。そしてこのことは、今回F/Tで行うプロジェクト「NOWHERE OASIS」にも通じています。
移住で生じた「どっちつかず」の立ち位置から考える
森 それでは、F/T 19での新プロジェクトについて伺えますか?
北澤 「NOWHERE OASIS」は、移住後の個人的な問題意識と、公共空間に対する意識の双方から生まれました。個人的問題とは、日本を離れてインドネシアに移動した結果の、「どっちつかず」で「どちらでもある」自分の立ち位置です。特に移住当初は、わかりやすく言うと「日本料理つくってみて!」「漢字書いてみて」など、拠点と決めた場所でも「外国人」の矢印がこちらに向かってきたんですね。逆に一時帰国すると、身体がインドネシア化していて、日本語がすぐ出てこなかったりする。いったい自分はどこに属しているのか? この感覚は今もあり、日常生活や人間関係で困難さを感じることさえあります。一方で、この「どっちつかず」状態の精神力や身体感覚を身につけることは、悪くないとも思っていて。こうした意識がまずひとつありました。
森 それでは、公共空間に対する意識とは?
北澤 そうした感覚を抱きながらジョグジャカルタで暮らしていて、目についたのが「アンクリンガン」でした。近くのクラテンという地域からこの街にやってきた行商がルーツと言われる屋台です。「NOWHERE OASIS」ではこれを池袋の街に持ち込みます。アンクリンガンの一番の特徴は、屋台の周囲をシートで覆うこと。これが路上のあちこちにあり、シートの内側ではいろんな人が思い思いに過ごしている。
森 特にどんな部分にユニークさを感じたのでしょう?
北澤 アンクリンガンの持つ「内と外」の両義性です。外から見ると、シートで半分隠れた状態。都市の喧噪の中にあって、ある種のプライベートが保たれる場です。内側では皆、飲み食い、おしゃべり、スマホいじり等々、本当にグダグダしています(笑)。飲食は、置いてあるものに勝手に手を伸ばし、最後に自己申告。広くはないので互いの体がすごく近く、混むと「詰めよう、詰めよう」という感じです。僕には、これは人間のあるべきコミュニティの姿なのではという感覚があった。しかもそれが、シート1枚を境に都市のただ中に存在している。現地では当たり前の存在ですが、これ自体が社会的プラクティスとさえ言えそうだと思ったのです。
森 内と外、公共空間と私的空間について考えさせるアンクリンガンへの興味と、先ほど話された、ふたつの社会のあいだで「どっちつかず」になったご自分の感覚。それらを結び付けたプロジェクトということですね。
北澤 アンクリンガン特有の「内と外」を東京に持ち込むのは、前向きな問題提起にもなり得るかなと思いました。そこで「NOWHERE OASIS」では、池袋に4台のアンクリンガンを出現させ、夕方から夜にかけ、ときに移動しながら人々を迎え入れます。東京芸術劇場に常駐する1台は、他の3台がいまどこにいるかを教えてくれます。シートにはジョグジャカルタの日常をとらえた写真をプリントし、あちらの日常が東京の路上にワープしてくるような、でもどちらの都市でもない、そんな感覚を生み出せたらと考えています。
森 町ゆく人たちをオープンに迎え入れるのですか?
北澤 はい。店主役は、インドネシアから東京にきて飲食店などで働く方々に頼めたらと考えています。僕の「どっちつかず」の感覚を共有できるかもしれない人たちとして、参加をお願いできたらと思っていて。ただ、そこは昨今、東南アジアから日本に働きにやってくる人たちをめぐる社会的な問題もつながり得るので、きちんと考えながらやりたいですが。
森 訪れた人たちにとっては、どんな経験になるのでしょうね。
北澤 提供する飲食物はインドネシアのもの中心で、たとえば「ナシクチン」は日本のおにぎりみたいな存在。その包み紙には、僕がこのプロジェクトのために書いたステートメントが印刷されます。読んだらちょっとハッとするようなものにできたらいいなと。楽しんでくれたらと思いますが、多少たじろく瞬間もあるかもしれない。店主と言葉が通じない可能性もあり、シート一枚で外と隔てられた場で、いきなりリラックスするのは難しいかもしれない。でもそれらも含め、「どっちつかず」な感覚を体験してほしい。そこでの難しさや、それが楽しさに転じる可能性も含めてですね。
どこにもない/いまここにある、オアシス
森 タイトルの「NOWHERE OASIS」に込めた意図は?
北澤 ここでのOASISとは、言葉としては存在するけれど、実在しないものだととらえています。今の東京ではどこにもない=NOWHEREなオアシスともいえる。でも一方で、ここにいる瞬間=NOW+HEREはそれがオアシスかもしれない。そんな両義性、複数性を象徴したタイトルになっています。
森 今回はプロジェクトの形も、地域へのアプローチも、前半にお話ししたようなかつての手法とは異なりますね。拠点を移したことによって、北澤さんの作家性も変化してきたのでしょうか?
北澤 以前は、かなり「場合わせ」でやってきたところがありました。「異質な何かを持ち込む人」となって場にインパクトを与えはするけど、それを前面化せず「みんなで作ったよね」としていた。結果、それで良い状況が生まれていたとも思うんです。でも、僕自身がさらに先へ進むには、ここでもう少し「自分勝手になり直そう」と思った。言い換えれば、自らの作家性をよりしっかり持てたらと思ったのです。だから、人々と関わることから離れたというより、人々とより良く関わっていくためにも、自分に立ち返ろうという変化ですね。
森 少し気になったのは、ジョグジャカルタの「のんびりした時間や空間」を東京に持ち込むことが、ある種のノスタルジーで終わってしまわないかという懸念です。
北澤 そこはまさに今詰めているところです。訪れる人にとっての異質な体験や「どっちつかず」の状態が、そう簡単に生じるのか?という懸念もあります。たとえばそこでインドネシア人店主とのディスコミュニケーションもあえて放置してみるなど、微妙な作業が必要かもしれない。そのサポート役的な存在が介在することなども考えつつ、コミュニケーションの形を探ってみたいです。
森 そのあたりに「どっちつかず」を肯定的にとらえ得るカギもあるのかもしれませんね。
北澤 なお「NOWHERE OASIS」は「ジョグジャカルタ・ビエンナーレ」にも参加します。そこではアンクリンガンのある東京の風景を撮影してシートにプリントし、街にインストールする。そうして2都市で行うことで、このプロジェクトの両義性や二面性を伝えられる部分もあると考えます。当然、文化の盗用などとは受け取られぬよう、危機意識も持ちながら進めています。
森 都市は単体では存在し得ず、常に他地域との関係性のなかで成り立っていますよね。「うちの街はこうなんだ」という思いも、その一部は他都市との関係性から生じるアイデンティティと言えそうです。このプロジェクトは東京とジョグジャカルタという2都市間で、新たな関係性を見つけるものにもなり得るかもしれません。
北澤 関連して言うと、自分が外にでて、たまに帰ってくる立場になってから、東京はやはり面白い場所だと思うようになりました。「ちゃんとカオティックである」し、様々な「アジア」が見えてくる場所もある。池袋も、再開発など含めいろんな要素があるけれど、路上でおじさんたちが将棋を指していたりする。それが実はホームレスの方たちかもしれず、事は単純ではありません。ただ僕はああした風景に、人間って本来そういうものでしょう、という何かも感じます。そのように、東京にも以前の僕なら気づかなかった面があり、今回そうした感覚にも接続できたら良いな、と考えているんです。
北澤 潤
美術家。1988年東京生まれ、ジョグジャカルタ在住。東京藝術大学大学院美術研究科博士後期課程修了。合同会社北澤潤八雲事務所代表、STUDIO BELIMBINGディレクター。フィールドワークを通して「ありえるはずの社会」を構想、さまざまな人々との協働のもとにその現実化に取り組むプロセスを芸術実践とする。2016年、米経済紙Forbes「30 Under 30 Asia」アート部門選出。
森 真理子
アートプロデューサー、torindo代表理事、日本財団 DIVERSITY IN THE ARTS勤務。
2007年より、シアターカンパニー「マレビトの会」ほか、フリーランスで舞台芸術・音楽・美術の企画制作・プロデュースを行う。2009年より京都府舞鶴市でのアートプロジェクト「まいづるRB」ディレクターを務め、地域と連携した事業を実施。2012年「一般社団法人torindo」を立ち上げ、代表理事を務める。主なプロデュース作品に日比野克彦「種は船プロジェクト」(2009-2013)、砂連尾理「とつとつダンス」(2010-)等。「六本木アートナイト2014」や「さいたまトリエンナーレ2016」の企画にも携わる。現在、日本財団DIVERSITY IN THE ARTSにて「True Colors Festival –超ダイバーシティ芸術祭-」フェスティバル・ディレクター。
人と都市から始まる舞台芸術祭 フェスティバル/トーキョー19
名称 | フェスティバル/トーキョー19 Festival/Tokyo 2019 |
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会期 | 令和元年(2019年)10月5日(土)~11月10日(日)37日間 |
会場 | 東京芸術劇場、あうるすぽっと、シアターグリーンほか |
概要
フェスティバル/トーキョー(以下F/T)は、2009年の開始以来、東京・日本を代表する国際舞台芸術祭として、新しい価値を発信し、多様な人々の交流の場を生み出してきました。12回目となるF/T19では国内外のアーティストが結集し、F/Tでしか出会えない国際共同製作プログラムをはじめ、劇場やまちなかでの上演、若手アーティストと協働する事業、市民参加型の作品など、多彩なプロジェクトを展開していきます。
オープニング・プログラムでは新たな取り組みとして豊島区内の複数の商店街を起点とするパレードを実施予定の他、ポーランドの若手演出家マグダ・シュペフトによる新作を上演いたします。
2014年から開始した「アジアシリーズ」は、「トランスフィールド from アジア」として現在進行形のアジアの舞台芸術やアートを一カ国に限定せず紹介します。2年間にわたるプロジェクトのドキュントメント『Changes(チェンジズ)』はシーズン2を上映予定です。