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2020/01/10

香料SPICE「新丛林 ニュー・ジャングル」レポート

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(文:杉原環樹)

「現代において、テクノロジーやネットワークと哲学は切り離して考えられません。ぼく自身は、現代のネットワークやセキュリティ技術によって『神』や『倫理』の概念も揺らいでいると思っています。いまや現実の人間関係さえ『パスワード』によって管理されていて、パスワードを管理できる人こそが事実上の『神』のような存在にもなれるわけですから」 。※1

そう語るのは、中国・杭州を拠点に活動するユニット「香料SPICE」のチェンチェンチェン(以下、チェン)だ。

フェスティバル/トーキョー(F/T)では、ここ数年、中国のユースカルチャーやミレニアム世代による表現の紹介に力を入れてきた。そんなF/Tが今年取り上げたのが、音楽からパフォーマンスまで領域横断的な活動を行っている香料SPICEの舞台作品「新丛林 ニュー・ジャングル」である。

世界初演となる今回の公演では、「パスワード」や「ネットワーク・セキュリティ」をテーマに、インターネット時代における人間と宗教的な感性をめぐる世界が、電子音楽や哲学的なテキスト、近未来的なグラフィック、ITデバイスを利用した実験的な美術などに彩られて展開された。ここでは10月18日に東京芸術劇場 シアターウエストで開催された、初演の模様をレポートする。



香料SPICEは、中国人アーティストのチェンと、アメリカ人ミュージシャンのイーライ・レヴィによる2人組ユニットだ。音楽バンドでもある彼らは、2013年に初めて移住先の中国でチェンの存在を知ったイーライの、「中国にこんなことをやっている人がいるのか」※2 という驚きの声も示すように、とても現代的で、少し意外なほど甘美なメロディと歌声を持ったポップソングも手掛けている。

いっぽう、当初から音楽を超えた総合的な表現を志向していた香料SPICEは、音楽やチェンの出自である現代アート、さらにパフォーマンスを融合した表現を行ってきた。今回の作品も、チェンが現在執筆中であるというSFマンガを題材に、それを舞台用に翻案したものだという。

当日、会場を訪れた観客には、入口で白いマスクが配布された。どこか防毒マスクを思わせるその代物は、後述するように、スクリーン上の3D映像を見るための窓であり、作品世界で発表される新時代のIT製品であり、正体を隠してネット世界に向き合う我々の肖像でもある。

静謐な音響が流れるなか、USBスティックに記される矢印マークをアレンジしたロゴがスクリーンから消えると、怪しげなスーツ姿の女性が舞台に現れた。「Welcome to the new jungle」。そう彼女が告げると、スクリーンに「オープニング」の字幕が流れ、公演は幕を開ける。



結論から述べると、「ニュー・ジャングル」は、決して分かりやすい物語的な展開を備えた作品ではない。舞台は、オープニングとエンディングに挟まれた計7つの「ACT」によって構成され、それぞれの幕で、彼らの音楽とグラフィカルな映像を背景に、IT技術と人間の今後を示すような思弁的なパフォーマンスが繰り広げられる。以下では、その7つのACTを概観してみよう。




ACT 1. 「パスワードがなきゃ生きていけない」

舞台に現れたイーライが、「Your money」「Your secret」……とラップ調に歌い、最後に「Your password is everything」(パスワードがなきゃ生きていけない)と叫ぶ。続けて、スーツ姿のチェンが登場し、アップルの新製品発表会を思わせるプレゼンテーションを行う。「E Corporation」と呼ばれるこの企業では、人々のつながりの向上を目指し、「ePhone」や「eGlass」といった革新的製品を手掛けてきた。そして、このたび発表されたのが、観客に配られた新製品「eMask」だ。このマスクは、学習や労働、購買活動、コミュニケーションまで、人々の生活を劇的に変える製品だという。





ACT 2. 「ツタ」

「eMask」を装着した香料SPICEの2人と4人のパフォーマーが登場し、都市風景のCG映像を背後に、逆立ちしたマネキンのようなオブジェを囲みながら、どこか民族舞踊のようなダンスを踊る。その光景は、祝祭的なようでいて悪夢的な色合いも帯びている。その後、冒頭のスーツの女性がふたたび現れ、インターネットが発達した現在も、人々には「祈る気持ち」があると述べる。そこで開発されたのが、人々の礼拝をオンライン上で容易にするためのアプリ「イージー・ウォーシップ」(簡易礼拝)だ。





ACT 3. 「タンポポ」

さまざまな宗教に対応した、「イージー・ウォーシップ」普及後の世界なのか。舞台中央のチェンのもとに、4台のタブレットからなる頭に付けるための装具が届けられ、それを装着して踊るチェンにパフォーマーたちが頭を下げる。続けて、客席に移動したチェンと、その口元の動きにリアルタイムで連動したCGの顔が画面に映され、配られた「eMask」を付けるよう観客に指示を出す。





ACT 4. 「寂寥感」

背後に3D映像が流れるなか、上半身裸で現れたイーライ。武器や盾を手に周囲のパフォーマーたちとやり合うが、徐々に紐のようなもので縛られる。スクリーンにはプログラミングを思わせる文字列が溢れ、プログラミング言語の黎明期を象徴する「HELLO WORLD」という言葉が流れる。





ACT 5. 「マンダラ」

アップテンポなビートのもと、香料SPICEの2人が歌う。スクリーンにはCGのオバケやドラゴン、サメ、絵文字が登場し、さまざまな人物の顔写真と舞台上に置かれた半透明のマスクが重なる。その後、1人になったチェンが、自分たちの企業では人々の精神を自社のネットワークにアップロードする技術を提供していると説く。この技術が人間にもたらすのは、①永遠の生、②(従来の子どもに当たる)自らのコピー、③人類をひとつにして次の段階に進める契機だ。最後にチェンは、「Your password is nothing」(もうパスワードなんて意味がない)と告げる。





ACT 6. 「魂の圧縮ファイル」

舞台に人は現れない。スクリーンには格子模様や、惑星の軌道を思わせる宇宙的なイメージ、飛散する線のようなノイズ、「FOREVER」などの文字が飛び交う。もっとも抽象的な幕。





ACT 7. 「発泡」

司祭のようなコートを着たチェンが、バラード調の歌を歌う。背後には、白い膜のようなものに覆われたパフォーマーたちが蠢く。パフォーマーは、やがて膜を脱ぎ捨て、立ち上がり、今度は異形のものを思わせる衣に身を包んで身体を揺らす。電子的な光を放つ矩形のフレームが頭上から降りてきて、素顔を晒した冒頭のスーツ姿の女性が歌う。

そしてエンディング。アンビエント風の音響と、砂漠か海原を思わせる映像が流れるなか、香料SPICEやパフォーマーが舞台上に現れ、観客に挨拶。クレジットが流れ、舞台は幕を閉じる。






作品の基調となっているのは、生活の隅々にまでインターネットが浸透し、IT企業が人間の生の営みをあらゆる面で管理しつつある現代の社会に対する危機感だ。この認識自体は、国家に比肩するほどの力を持った「GAFA(グーグル、アマゾン、フェイスブック、アップルの総称)の脅威」などとして、メディアでもたびたび叫ばれてきたものである。その世界では、礼拝すらもインターネットを介して行われ、新製品やサービスのプレゼンはどこか布教活動の様相を帯びている。

チェンは、この作品の世界観と、故郷である中国・杭州の環境との関係を問われた際、同地に中国を代表するIT企業「アリババグループ」の本社があることなどに触れ、「そうしたIT企業が生活をコントロールしている場所に私が住んでいるということは、今回の作品につながっている部分があると思います」と述べている 。※3ただ、杭州やシリコンバレーのような場所で生活していなくても、自分の精神や情報が、スマホやパソコンを通じて身体から離れ、世界に拡散したり、誰かによって管理利用されていたりするという感覚は、多くの人にとってリアルなものだろう。 

作品では、私たちの生活に密着したこの問題が、スーツ姿のプレゼンから民族舞踊のようなダンスまで、ときにユーモラスに、ときに音楽ライブそのもののような迫力で表現されていた。いっぽう、そうした作品のコンセプトを観客に体感させるうえで、香料SPICEの音楽やパフォーマンスと同じほどに、いや、ある意味ではそれ以上に効果的だったのは、配布されたマスクをはじめとする美術の存在や、スクリーンに流された魅力的なグラフィックだったように思う。

白いマスクは、普段、SNSなどで一見自由な交流を楽しみつつも、じつはパスワードによって良くも悪くも守られている我々の姿を戯画的に、反省的に突きつけてくる。着脱の指示には改善の余地も見られたが、これは作品の重要なアクセントだった。また、以前から香料SPICEの活動に関わってきたというVJのヨウ・ヤオミンが手掛けた美術や映像は、ミニマル・アートやヴィデオ・ゲーム、SF映画、絵文字に代表される現代的なヴィジュアル・カルチャーとの親近性も感じさせ、中国に台頭する新しい感性を伝えるとともに、難解な作品への間口を広げていた。そして、「ACT 3」に登場するタブレットを使用した装具は、本作のひとつのハイライトと言えるインパクトを持っていた。



大手IT企業が、まるで「神」のような存在となって、人々の生活に侵入する世界。それは、普通に考えれば、ディストピア的と言える未来像だろう。実際、「ニュー・ジャングル」から観客がまず感じるのは、普段は便利な「道具」として接しているデバイスの背後に、じつは人々の精神活動すらも管理しようとする大きな存在がいるという、恐怖心に近い身体感覚のはずだ。

しかしいっぽうで、「ACT 6」における膜を破るパフォーマンスや、「恐怖」と言うにはあまりに楽しいCG映像からは、必ずしも分かりやすく提示されていたとは言えないものの、教科書的で一面的なテクノロジー批判とは異なる態度も感じられた。我々は、現実とどう向き合えばいいのか。

こうした疑問を、上演後の会場でチェンにぶつけた。それに対してチェンは、「世界的なIT企業が帝国のように生活に介入することに、恐怖を感じる人は多いと思う」としつつ、「同時に、人間は引くことからは何も生み出さない。僕としては科学技術の進化を信じたい」と話す。

そのさいチェンが注目するのは、環境に対する人間の順応力だ。

「たとえば目が見えない人も、環境に不便を感じつつ、次第にその状況のなかで生きる術を見つけていく。それと同じように、はじめは恐怖心を持っていたテクノロジーに対しても、時が経つにつれて人間はそれをうまく取り入れ、役立つように使いこなすことができるのではないか」。

さらにチェンは、今回の「ニュー・ジャングル」の構想にあたり、17世紀の哲学者トマス・ホッブズの著作『リヴァイアサン』における「ジャングルの掟」を参照したと語り、こう続ける。

「『リヴァイアサン』では、社会が形成される前のジャングルにおいては、誰もが木の陰に隠れて弓矢で他人を狙う、万人の万人に対する緊張状態があったことが述べられています。僕たちがいま目の前にしているのは、その木の葉っぱがパスワードに置き換えられた社会でしょう。膜が張られているけれど、じつはお互いは近くにいる。そのことを、この作品を通じて感じてもらいたいのです」。

筆者の質問に対して、淡々と、ときに熱を込めて丁寧に答えるチェンの姿は、どこか思想家のようでもあった。新しいテクノロジー環境を、人々はいかにサバイヴするのか。その全貌は、来年発表されるという原作漫画でより詳細に明らかにされるのだろう。

音楽、パフォーマンス、グラフィック、そしてテクノロジーまでもが渾然一体となってひとつの世界を描き出す自分たちの方法論を、チェンはSFの一分野に倣って「スペースオペラ」と呼ぶ。世界的ベストセラーとなった劉慈欣のSF小説『三体』をはじめ、いま、中国のSFは大きな注目を集めているが、ポップな感性を持った香料SPICEのような若い世代からも、この分野の新しい才能が生まれていることを、まずは喜びたい。「ニュージャングル」には、彼らの野心に溢れた初期衝動のような実験精神が詰まっていた。


※1 公演当日に配布されたリーフレットに掲載のインタビュー記事より。
※2 同上。
※3 Web版美術手帖 「初来日公演で見せる、ハッカーが神となる未来。チェンチェンチェン(香料SPICE)インタビュー」https://bijutsutecho.com/magazine/interview/promotion/20335

 

 

杉原環樹

ライター。出版社勤務を経て、現在は美術系雑誌や書籍を中心に、記事構成・インタビュー・執筆を行う。主な媒体に美術手帖、CINRA.NETなど。構成で関わった書籍に、森司監修『これからの文化を「10年単位」で語るために 東京アートポイント計画 2009-2018』(アーツカウンシル 東京)、Chim↑Pom著『都市は人なり 「Sukurappu ando Birudoプロジェクト」全記録』(LIXIL 出版)など。

香料SPICE『新丛林 ニュー・ジャングル』

コンセプト・演出・出演 香料SPICE
日程 10/18 (Fri) – 10/20 (Sun)
会場 東京芸術劇場シアターウエスト
詳細はこちら
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