『演劇書簡 -文字による長い対話-』1
「マレビトの会」の長期プロジェクトを巡っては、これまで多くの創作と対話の循環がなされてきました。それは時にプロジェクトメンバー内での創作に向けた対話であり、『マレビト 土曜の言論の場』と呼ばれた俳優による言葉の発信から始まる対話であり、また時にマレビトスタディースやアフタートークといった、開かれた場での対話でした。そこで交わされた言葉の数々はまた実践の場へと還元され、新たな表現、そして言葉を生み出しています。『演劇書簡 -文字による長い対話-』はそういった「対話」に関する新たな試みです。 ここでは「マレビトの会」代表松田正隆による問題提起文に対し、舞台芸術の分野でそれぞれ活躍する劇作家、演出家、ダンサー、批評家、研究者たち6名が、書き言葉によってそれぞれ応答します。そこで生まれた言葉たちを踏まえた上で、松田が改めて文章の執筆を行う予定です。 試みの中で産まれるのは、「私」と「あなた」の言葉ではなく、「私とあなたの間」に、それもそれぞれの書き言葉の間に生まれる、つながりを持った言葉たちになるでしょう。そしてそれらは互いに作用し合い、マレビトの会の創作、それぞれの表現活動を揺るがし、また新たな展望を生み得るかもしれません。そんな、他者との出会いと、そこから生じる新たな文脈・文体への変化の軌跡が紡がれることを期待し、この場を開きたいと思います。
©Keiko Sasaoka
『演劇書簡 -文字による長い対話-』
(文:マレビトの会代表 松田正隆)
この書簡は6人の人物に宛てて書かれたものである。その人物に向けてというよりも、ここに書いたこととその6人からの応答の書簡との間にどのような関係が生まれるかを期待している。書簡と書簡との間、書かれた言葉と言葉との間にこそ何かが生まれる契機があると思われる。 そして、これは公開を前提とした書簡のやりとりなので、一種の演劇のようなものとも言える。だから、演劇書簡と称することにした。 演劇とは何か。そのことについて、このところ考えていることを、この書簡には書いた。しかし、この問いの立て方はよくない気がする。何々とは何か、という問い方よりも、どのような場合に、どうすることが、何と何の間で演劇なのか、と様々に角度や方法を変えて、演劇の時空間とその様態について問いを立てなければならない。 最初の書簡は問題提起ということになる。だが、それへの応答が答えとは限らない。問題に問題を重ねたり、その問題を引き伸ばしたり、展開したり、無効にしたり、いなしたりすることもあるだろう。そのような意味でも、問題は常に未来を生き、現在に収まることのない劇の力でもある。
母という経験
私には、母を花嫁にして何かへと嫁がせるという人には言えない願望のようなものがあって、こうして書けば、人に言えない願望でもなんでもなくなる気がするけれど、正直なところの、自分自身の何かをつくるときの発想の原点というか、底のほうにあるような欲望のところからこの書簡を書き始めるのがいいのではないかと思い、こんな個人的なことから始めることにした。人が読めば特に興味を覚えないことだろうと思い、こんなふうに断りを入れるようにまわりくどく書いているけれど、私にはなんだか笑えるような願望である。
最近、宇多田ヒカルの新しいアルバムを何度も聴いていて、「夕凪」という曲のところになると、母が嫁いでゆくようなイメージになる。視覚的に何かが見えることはないが、言葉とは思えない声が連なるようなところでそんなイメージになる。母を嫁がせるからと言って、母が花嫁衣装を着るようなこととは、それは随分かけ離れている。
その宇多田ヒカルの歌では、ぜいあーぜいあーぜいあーぜいあーと聞こえて来て、まぶしくなる。母はまだ死んではいないけれど、このまま行ってはいけないところに連れていかれるような心持ちになって、お母さんちょっと待ってと言いたくなるのである。すると母は凡庸な笑いとともに振り返る。このときの母の顔は本当にどこにでもあるような顔で、まさしく私の母のはずが、まったく私に関係のないようなしらじらとした振り返りようなのである。と、まるで、見えたかのように書いたが、そのありさまは見えてはいない。
今年の初めに父が亡くなって母の痴呆症はますますひどくなったようで、8月の初盆のときに帰省したときも、誰の初盆のことなのかよくわかっていなかった。母が父の死を忘れるたびに、私は、お父さんはもう死んだよと教えることになるが、母はそれを聞いて、え? あら、そうねと多少驚いた表情になって、しばらくするとまた忘れるのである。
父は母が介護施設のような場所に行くのを嫌がっていた。父がいなくなって、母はデイケアサービスに行けるようになった。最初は本人も嫌がっていたが、何度か通ううちに慣れたのか、そこで行われるレクリエレーションも楽しむようになった。私が見学に行ったとき、たくさんの見知らぬ老人たちに混じって母は輪投げのようなゲームの最中で、以前デイケアで何をするのと聞いたときには子供だましのようなもんと言っていたのに案外面白そうにしていた。このときも、母の意外な面を見た気分になって、私にもそれなりの嫁がせ感があった。
今思えば、一番それを感じたのは、母が祖母に抱かれている赤ん坊の時の写真を見たときだったような気がする。見てはいけないものを見た気分になって、それ以来もうあの写真を見ることはない。あどけない眼差しというよりも、何を見ているのかわからない生まれたての目がそこにはあったのだろう。その見開いた目は母のものであるからこそ、母の目ではないのだった。デイケアにいるときの母も、それが母であるからこそ母には思えなかった。
父の呪縛から解き放たれた母のことを述べたいのかと言うとそうでもない。私のなかにある母のイメージとは違う母を見たときに、その母のありさまに嫁がせ感が生まれて、喜びになるのかというとそうでもない。
それは、デイケアサービスにいる母や写真のなかの母のように個人的な経験を個人的に思い出すことからは、生まれないのかもしれない。ポピュラーミュージックの結晶のような宇多田ヒカルの声、それも意味の取れない「ぜいあーぜいあーぜいあーぜいあー」という声にはらまれていて、それは唐突に顔を出し、私に取り憑き、私の願望を刺激したのかもしれない。それは宇多田ヒカルの声で歌われた歌でなければならなかったのだと思う。
このようにして、私自身の思い出のサイクルから脱して、そこから離別しないと母を嫁がせるという欲望は経験できない。母を何かへと嫁がせるというのは、そういうことなのかもしれない。私自身の親しみの領域が解体されて、何かに向けて開かれ、そこに再度引きつけられ参入するときの感覚がそのような経験を生んでいる。
演劇も経験をつくることと関係があるに違いない。しかし、演劇は、それをつくりだす集団内部へと欲望を囲い込む傾向のある閉じられた表現媒体ではないかと思われるのだ。つくり手の願望は俳優の身体やそれらから発せられる有機的な状態によって、ある意味、その集団特有の親密な時空間を創出するのである。そのとき欲望の経験は個人としてのフレームを保持したままで、分子的に分解されることなく、その演劇集団内部の価値観に規定され従属することになる。演劇の集団のほとんどはどこか家族的にならざるをえない。
私の母を嫁がせるという個人的で、家族的な願望は、ポピュラーミュージックの歌手の声(消費社会に流通する情報化された声)と結びつくことで、得体のしれない欲望として私に再度戻ってくるという経験をもたらした。このように、領域を脱することと再度領域化することのはざまで生まれるような経験を演劇はつくり出せるのだろうか。演劇は、個人の領域が有機的に拡張した(あるいは収縮した)時空間にしか生まれない血と土地に紐づけられた表現なのではないだろうか。
母を嫁がせる、という願望を有機的に成就させるというよりも、非有機的なものへ変貌させ形式や領域の確定できない欲望とするにはどうすればいいのか。その欲望に出会うことこそが現実に遭遇することに思えるし、そこに関わる表現でないとアクチュアルな何かを表現することにならないのではなかろうか。
演劇は、面白い表現手段なのだけど、誰か(あるいは、ある集団)の人間的な願望を有機的に成就させるために適しているにすぎないのではないか。そのことへの批判的抵抗のつもりで、私たちマレビトの会は、「出来事の演劇」というマニュフェストとともに演劇表現を模索する旅に出たと言える。それは、身体表現とその有機的な連関にある物質的な時空間の内部に非有機的で非物体的な出来事の経験をつくり上げることでもあった。
そのことともに思考される三つの問題領域がある。一つは、演劇は物語を扱うメディアであるが、その物語内容とその表現方法に関するものである。その表現は、物語る場所とその様態と言い換えることもできるが、そこでは物語る経験が問題となることだろう。二つ目は、その経験と同時にそれを創作するための演劇的な行為である演技を問題としなければならないだろう。最後に、これらのことにより生じる経験と行為の主体とは何かを問うことである。
この演劇書簡は、主に一つ目を問題としているが、その問題のみに関わるものとは限らない。
F/T17『福島を上演する』撮影:西野正将
物語る経験
フェリックス・ガタリは、『三つのエコロジー』という論考で、こう述べている。「聖書的な世界のはじまりの物語に新しい永続的な世界の再創造の物語が取ってかわろうとしている」
私たちが生存する、このグローバル化を推し進める高度な資本主義の世界では、一切の地域のはじまりの物語は消え去り、地球上のすべての土地は平準化した一律の価値観のもとに再構築されてゆく。そこに棲む人々の内面も安全に管理され同じ価値観に貫かれてゆく。それは容赦のない脱領土化であり、世界中どこでも認知しうる情報化である。そのとき、私たち自身に馴染み深い土地の神話は形骸化し、省みられることなく打ち棄てられ、私たちの生きる指針、私たちがどこから来てどこに向かうのかを教えてくれる私たちの母なる土地の物語を失うのだ。物語に取ってかわるのは、私たちの日々の生存のために必要な情報である。
しかし、それでも、ガタリは、旧来の起源の物語に回帰することのない、「新しい永続的な世界の再創造の物語」の可能性のことを述べる。ガタリは、以下のベンヤミンの文章を引用し、物語が情報の伝達ではないことに注意を喚起する。
「情報が旧来の関係に取ってかわり、さらに情報自体が感覚に場所をゆずるとき、この二重の過程は経験というものの漸進的な減退を反映しているのである。これらの形態はすべて、おのおののやり方で、もっとも古くからあるコミュニケーションの形態のひとつである物語から離脱して行く。物語は情報とは異なり出来事の純然たる即自性を伝達しようとするのではなくて、出来事をそれを語る者の生そのもののなかにくみこみ、語る者が聞く者に対して自分自身の経験として伝えようとするものである。かくして、あたかも陶工の手が陶器の上にのこるように、語り手はそこにみずからの痕跡をのこすことになるのである」
物語るということを情報伝達としてではなく、その語りの現場、その空間での語りのふるまいに焦点を当てること。その語りの現場と様態は語り手と聞き手の主体を揺さぶり、その現場の時空間に配置され、切片化した素材は分離と結びつきを繰り返している。
ベンヤミンの言う、出来事がそれを語る者の生そのもののなかにくみこまれる、というのはいったいどういうことなのだろうか。それは、物語の内容にしかない出来事を、語る者が聞く者に対して自分自身の経験として伝えようとすることである。
私たちは、語る者がその語りの内容のなかにある出来事をあたかも自身の経験のように語ってしまえば、その語りは、出来事の当事者からの横領ではないかと思われてしまう、という語り手の道義的責任が問われる状況のもとに生きている。出来事を経験した当事者でないと、その出来事を語ることは許されないという倫理的な暗黙の了解が存在している。
確かに、そういう側面もあるかもしれない。しかし、出来事はその当事者の所有物ではない。出来事はその痕跡を身体や物体に残すことはできても、物体的に取り扱うことはできない。当事者でさえ、語り手として物語るとき、かつて直面した出来事にくみこまれなければならない。その「くみこまれ」は、かつて身を持って経験した出来事があって、それを聞き手に即座にわかるように表象・再現するというのではなく、いま・ここにおいて語り手の生に出来事のほうから到来し、それを捉えるようにして表現する、という感じではないかと思えるのだ。そのとき、語り手は、出来事に直面した当事者の「私」と「今まさに語っている私」との複合体となる。これをベンヤミンは物語ることによって生じる経験と言うのだ。
物語る現場において、いま・ここにはない出来事のほうへ引きつけられるようにしてなされる身ぶりは、聞き手への説明のため、正確な情報伝達のためになされるだけではない。語り手が物語の出来事の渦中に引きつけられて起こる身ぶりは、聞き手のためというより、語り手の出来事への「まきこまれ」という事態をあらわしている。これは語りの場における出来事の受肉であり、顕現である。そのとき、語り手から聞き手へ伝わるのは、語り手の経験なのだ。認識されるべき当事者の情報ではない。それゆえ、語り手は、出来事を即刻わかるように、説明的に、伝えるという手段から遠ざかる。なぜなら、ここで問題になるのは経験であり、情報ではないからだ。経験は決して情報化できないし、認識の対象にもならない。
そうであるならば、私たちの演劇表現において、経験はどのようにして受容されるものなのだろうか。
物語る技術
ハライチの漫才に次のようなものがある。 ヒーローの必殺技を一方の男が呈示してゆき、それをもう一方の男がそれを見えるように説明してゆくというものである。「音速のパンチ」から始まる必殺技の名前が列挙され、もう一人の男は実際にその言葉のイメージを演じるわけだが、技を列挙する男のほうの言葉は「鋼鉄のエルボー」「寸止めのキック」「激しめのタッチ」「爆裂に質素」「居酒屋に閣下」という感じで、次第に必殺技から微妙にずれてゆき、挙句の果てに「首筋にユッケ」「横綱がタップ」「角刈りのバッハ」「毛穴からチッソ」という、もはや必殺技からも言葉の意味自体からも離脱する。それでも、次々に提出される言葉から生まれる視覚イメージに演じるほうの男はなんとか合致するようなパフォーマンスを試みようとする。
ここには二つのイメージの流れがある。言葉のイメージとそれに対応する視覚的なイメージの呈示である。言葉のイメージのほうは必殺技という意味的な言葉の列挙からキック、タッチ、質素、閣下、ユッケ、タップ、バッハというふうに、提起される言葉の語尾の音声的同調による列挙に変容してゆく。それでも、その言葉を受けて立つほうの男は、なんとか事例を示してわかってもらおうとする。もはや言葉の意味がナンセンスと化し必殺技から離れてしまっていても、その言葉を視覚イメージとして演じて見せるという制約はどういうわけか存続し、この虚しいプレゼンは熱を帯びてゆくのである。本来ならば、「爆裂に質素」か「居酒屋に閣下」の時点で、おい、それはもう必殺技とは関係ないだろ、と突っ込むべきだが、突っ込み忘れてしまったのか、言葉を呈示する担当の系列と言葉を視覚化して説明する担当の系列は、異議申し立ての機会を欠いたまま中断することなく、分担しながら、その役割を忠実に果たしてゆく。
ここでは、言葉の視覚イメージへの変換がおこなわれているのであるが、重要なのは、その視覚イメージは誰にでもわかるような呈示としておこなわれているということである。「毛穴からチッソ」という不条理な言葉は、なるべく一般的な視覚イメージで観客に伝わらなくてはならない。それが困難であったとしても、毛穴からチッソが出てきたときのありさまを説明担当の男は必死に呈示しようとする。
考えてみれば、「毛穴からチッソ」という理解不能な言葉であっても、ビジュアル的にそれがどう見えるのかという要請のもとに、現在の私たちは生きているのである。「毛穴からチッソ」も「爆裂に質素」も、即座にビジュアル化されたら、たとえ必殺技とは無関係でも、人々には承認される。されてしまうのだ。「角刈りのバッハ」も、それが音声として出された瞬間、情報化されなければならないのである。そのことをハライチの漫才は見事に表現している。不動の姿勢によって発話される音声としての言葉と同時にそれらを、もう一方の男の解像度の低いふるまいで視覚・聴覚的に情報化するという二つの流れが、無謀にも漫才という表現でおこなわれ、それが危いながらも持続する様を観るという経験を私たちは受け取るのである。たとえ不条理でナンセンスな言葉であっても、それが言葉である限り、言葉を言うことによる列挙は可能であるが、それを有機的な行為でわかるようにすることはその身体に無理を強いるだろう。つまり、ここでは、意味不明な言葉を即座に情報化しようとして失敗することが重要なのだ。そんな、不可能な表現でも、それなりの説明の仕方で、なんとか物語ろうとしている、という二人のパフォーマンスを私たちは一つの特異な経験として受け取っているのである。
このように、物語ることは特異な経験であり情報ではない。
ベンヤミンの「物語る技術」という短いエッセイに、そのことが述べられている。 世界はニュースには溢れているが、不可思議な出来事には乏しいとベンヤミンは言う。日々起こることは何ひとつ物語の役には立たず、ほとんどすべて情報の役にたつだけである。出来事を再現することで、出来事を説明から解き放ってやることは、物語る技術(物語るという芸術)である。
そして、ベンヤミンは、物語とは何かを端的にあらわす例として、ギリシャの歴史家ヘロドトスが書いた、プサンメニトスの物語をあげる。
「エジプト王プサンメニトスがペルシア王カンビュセスに打ち負かされ捕らえられたとき、カンビュセスは彼に屈辱を与えようと図った。カンビュセスは、ペルシア軍の凱旋行進が通ることになっている道に彼を立たせておくように命令した。さらに、彼の娘が、瓶をもって泉に水を汲みにいく召使いにさせられて側を通るのが見えるよう、手配をした。すべてのエジプト人はこの光景を見て嘆き悲しんだが、プサンメニトスだけは言葉なく、身じろぎもせず、じっと視線を地面に落としたまま立っていた。その後しばらくして、息子が処刑のために引き立てられていくのを見たときにも、同様にじっと動かないままだった。しかし、その後、彼の召使いのひとり、年老いたみすぼらしい男が捕虜たちの列のなかにいるのを認めたとき、彼は両の拳で自分の頭を打ち、最も深い悲しみのあらゆる仕草をしたのだった」(ベンヤミン・コレクション6 p271)
さまざまな解説がこの物語にはなされている。召使いを見てはじめて王が悲しみ、その前には嘆かなかったというのはなぜなのか。例えばモンテーニュはこう答える。「王の悲しみはすでに満ち溢れんばかりだったので、ほんのわずか悲しみが増しただけで、堰を切って溢れ出るのに充分だったのだ」
他にも色々な解釈が可能だろう。何よりも、まるで報道記者のように、その説明は即座になされるだろう。しかし、それは情報でしかないとベンヤミンは述べる。「情報は、それがまだ新しい瞬間に、その報酬を受け取ってしまっている。情報はこの瞬間にのみ生きているのであり、みずからのすべてを完全にこの瞬間の手に引き渡し、時を失うことなくこの瞬間に対してみずからを説明し尽くさなければならない」
これに対して、ヘロドトスの物語る態度は、ひと言も説明しない、というものである。その報告はきわめてそっけない。そのことによって、物語は、みずからを出し尽くしてしまうことがない。自分の力を内部に集めて蓄えており、長い時間を経た後にもなお展開していく能力がある。
物語の経験としての受容とは、プサンメニトスの心理を推察したり、彼の行動の原因を探ったりすることではなく、不可思議なままにこれを経験することであろう。物語の力は、消費され尽くすことなく、永遠の謎のままに展開してゆく。
情報としての経験
物語る行為が、物語の内容を情報として伝達するのではなく、一つの経験として発せられ受容されるということ。そのような言語行為の経験の媒体として、演劇がきわめてふさわしいものであることは、容易に想像できる。
だが、ここで疑念が起こるのは、やはり演劇の身体性とそれによって生じる有機的な現場性のことである。私は、演劇が、無機的な情報ではなく、有機的な経験として観衆を引き込むときの危うさのようなものを感じているのかもしれない。それを演劇という表現形式自体に感じざるをえない。演劇は、個体としての人間の身体(あるいは、その身体の集まりとしての集団的な身体性)とそれによって生じる時空間の状態という、ある意味、閉鎖的な領域によって成り立つからである。
しかし、身体は社会的な個人として限定されるものではない。私の母を嫁がせる願望は、この社会に流通する情報化した宇多田ヒカルの声につながらなければ、まぶしい笑いのような母への欲望とはならなかった。得体の知れない欲望との出会いとは、母が、ぜいあーぜいあーぜいあーぜいあーの声のままであり続け、記憶のなかの母や想像のなかの母へとビジュアル化しないということでもある。それは、決して地縁・血縁の領域、母なるものへと還元できない。しかし、演劇のほうは、身体を演劇にふさわしいものに限定する。演劇による身体の馴致、欲望の抑制。演劇はそれらを管理することに関しては、うまくできている。それは、現前性というライブ感を体験するということにとどまらず、個人や共同体を、彼・彼女や彼ら・彼女らにふさわしい首尾一貫した経験へと象っていくのである。 個的な経験に収まることなく、情報化されたとしても個人的な経験とは別のありかたで、演劇の経験をとらえることができないのだろうか。
私たちマレビトの会が試行し続けていることは、寸劇的な演技や空間の創出である。私たちの寸劇の身ぶりはつり革を握る身ぶり、ハンドルを握る身ぶりをすることで、電車に乗り、車に乗っているという「ふるまい」をあらわす。その「ふるまい」こそが演劇の表現となり、その「ふるまい」に入り込むことで「上演の経験」をつくり出す。それは、電車と車を表現するという経験であり、電車と車を表象するという情報ではない。
ある俳優は、上演で食事をする身ぶりをしたときに意識していたことは、味が来るという感覚だったと自身の演技について語ったことがある。また、ある俳優は、コップを握る仕草をするとき、意識するのは、コップの形を手でつくる(形の説明)というよりも、コップをつかんだときの冷たさ(経験)だと言った。俳優たちの演技は、あくまでも経験としてのふるまいへの没入であり、観客への食事やコップの表象の呈示ではない。そのとき、食事やコップをあらわすマイムは観客への説明的身ぶりを断念し、疎かになる。 これらの寸劇的な「ふるまい」は、観客への記号的呈示(約束事の共有)というだけではなく、その「ふるまい」をおこなう者が、もう一つの世界へ没入したことを表現している。このようにして、寸劇の「ふるまい」は、表象を超えた、経験の表現に関わることになる。
しかし、それでは不十分ではなかろうか。その経験の表現が、既存の個人的な経験へと承認されることにとどまる限り、演劇の管理からその経験の表現は逃れられてはいない。
(文:マレビトの会代表 松田正隆)
マレビトの会
2003年設立。被爆都市を扱う「ヒロシマ―ナガサキシリーズ」(2009-10)、3.11以後のメディアと社会の関係に焦点を当てた『アンティゴネーへの旅の記録とその上演』(2012)、複数の戯曲を通じ都市を多面的に描く『長崎を上演する』(2013-16)などを上演。未曽有の出来事を経験した都市をテーマに、上演形式を変化させながらも、歴史に回収されえぬものを探り、描き続けている。
マレビトの会代表 松田正隆
1962年長崎県生まれ。2003年、演劇の可能性を模索する集団「マレビトの会」を結成。主な作品に『cryptograph』(2007)、『声紋都市ー父への手紙』(2009)、写真家笹岡啓子との共同作品『PARK CITY』(2009)、『HIROSHIMA-HAPCHEON:二つの都市をめぐる展覧会』(2010)、『アンティゴネーへの旅の記録とその上演』(2012)、『長崎を上演する』(2013-16)などがある。立教大学現代心理学部映像身体学科教授。
マレビトの会『福島を上演する』 作・演出:マレビトの会
公演名 | マレビトの会 『福島を上演する』 |
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日程 | 10/25(Thu)19:30・ 10/26(Fri)19:30・ 10/27(Sat)18:00★・ 10/28(Sun)14:00★ |
会場 | 東京芸術劇場 シアターイースト |
国際舞台芸術祭フェスティバル/トーキョー18
名称 | フェスティバル/トーキョー18 Festival/Tokyo 2018 |
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会期 | 平成30年(2018年)10月13日(土)~11月18日(日)37日間 |
会場 | 東京芸術劇場、あうるすぽっと、南池袋公園ほか |
フェスティバル/トーキョー(以下F/T)は、同時代の舞台作品の魅力を多角的に紹介し、舞台芸術の新たな可能性を追求する国際舞台芸術祭です。10周年、11回目の開催となるF/T18は、2018年10月13日(土)~11月18日(日)(予定)まで、国内外のアーティストが結集。
F/Tでしか出会えない国際共同製作プログラムをはじめ、野外で舞台芸術を鑑賞できる作品、若手アーティストと協働する事業、市民参加型イベントなど、多彩なプロジェクトを展開していきます。
タイの伝統芸能と現代性が共存した強靭な身体で、舞台芸術の枠組みを革新し続けるタイ人振付家ピチェ・クランチェンは、昨年の『Toky Toki Saru(トキトキサル)』に引き続き、フェスティバル/トーキョー18オープニングで新作の野外公演を手掛けます。