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https://www.festival-tokyo.jp/18/en/program/marebito/marebito-archive.html
マレビトの会『福島を上演する』について、次の三つの点①上演形態②創作プロセス③三年間の変遷に基づいて概説したい。
舞台は、舞台上に椅子や箱馬をのぞいて何も置かれない、いわゆる素舞台である。舞台装置がないだけでなく、小道具も使われず、俳優はマイムによる演技を行なう。各回異なる演目が上演される一方で、俳優の衣装も、基本的に変わらない。照明についても、一定の明るさが保持され、目立った変化があるわけではない。音響は、そもそも使用されていない。
俳優の演技は、戯曲に書かれた言葉を発話し、戯曲に書かれた仕草を行なうということが基本となり、戯曲から外れた演技は重視されない。俳優の発話には抑揚がなく、小さいときには、観客に台詞が聞こえないこともある。例えば、カフェの中での会話のように、重なりあった複数の発話がなされるときである。重なりあう台詞が一つ一つ明確に聞き取れるのではなく、声が重なりあって、ざわめきとして聞こえる。
複数の作家(『福島を上演する』の場合、総勢8名)によって戯曲が執筆される。各作家は、戯曲を書くにあたって、取材地である「福島」にいかなければならない。取材といっても、福島に「行く」ことが条件であり、それ以外は特段、指定があるわけではない。偶然、出会ったことを題材にすることもある。複数の書き手によって、散発的に取材が行われ、福島の出来事が描かれる。なかには、福島であることが特定しづらい戯曲もある。
戯曲ができてからは、戯曲という「見えないもの」を、上演という「見えるもの」に変換していく作業を行なっていく。俳優たちは、作家たちの戯曲を通して、作家たちが取材した「福島」を表現する。作家と俳優を兼ねているケースもあるが、俳優が複数の演目に跨がり複数の役を演じていくため、当然、俳優本人が書いていない作品にも出演することになる。さらに作家と俳優の関係だけでなく、上演と観客の関係まで考えると、観客は俳優たちによる上演を通して「福島」を看取することになる。
上で挙げた二点は、前作の『長崎を上演する』から基本的に変わっていない、変えていない点でもある。しかし、『福島を上演する』の三年間を通じて、少しずつ変化してきたことがあるのも事実である。
最も大きな変化は、劇場である。一年目は、体育館を改修して作られた、にしすがも創造舎。二年目は、池袋に古くからある小劇場、シアターグリーン。三年目は、東京を代表する公共劇場であり、いわゆるブラックボックスの東京芸術劇場。 取材地もまた三年の中で変わっていった。一年目は福島市内、二年目は避難が解除された地域も含む福島県内、三年目は浜通りと、場所を指定した上で、各作家が福島を訪れた。取材地は、三年をかけて徐々に海へと近づいていった。三年目は、事前に作家が集まり、取材地を確認したほか、目安となる上演時間と戯曲の数をすり合わせた。
以上、三点を通じて『福島を上演する』について説明してきた。それでは福島の原発事故とそれに伴う被曝の問題は、この上演の中でどのように位置づけられるのだろうか。災害や事件が起きたとき、それらを語る言葉や映像は、わかりやすい物語で描かれがちである。一方で、『福島を上演する』では、置き替え可能、再生可能な表象に陥ることのない演劇を目指した。そこでマレビトの会が試みてきたのは、戯曲の時間と劇場の時間、つまり、フィクションの時間と現前の時間を同時に立ち上げる演劇である。具体的には、上演において、マイムという見え方によって何ものにも可変できる手法を用いながらも、かけがえのない俳優の現在の身体が現れることがある。毎回異なる演目を上演する形式もまた、演劇の一回性を強調する働きがあるだろう。
一般的に、福島の原発事故は、人類が記憶すべき普遍的な出来事として扱われる。一方で、それに対置するように、日常の忘れ去られていく、個別で特殊な出来事がある。しかし、この二つの普遍的な出来事と個別で特殊な出来事は、対立するものではないのではないか。私たちが普段生活する日々の中で「被曝」の問題は潜んでいるのではないだろうか。『福島を上演する』は、普遍と特殊どちらにも捉えられない上演=出来事であり、時間や空間に固定されない問いでもある。
11月17日(木)
福島市役所(山田 咲)
蚊(三宅一平)
歌を投げろ、球のように(アイダミツル)
見知らぬ人(松田正隆)
東部体育館(山田 咲)
11月18日(金)
少年と運転手(三宅一平)
千貫森(神谷圭介)
笑い声(松田正隆)
蚊(三宅一平)
湯気、道くさ(アイダミツル)
11月19日(土)
女のように(松田正隆)
警察署の道場にて(神谷圭介)
蚊(三宅一平)
ドリームジャンキー(アイダミツル)
街なか広場の踊り(松田正隆)
11月20日(日)
福島地方裁判所(山田 咲)
神戸から来た男(三宅一平)
あいとさつ(アイダミツル)
蚊(三宅一平)
スターバックス・コーヒーにて(松田正隆)
パティオ(三宅一平)
戯曲執筆のための福島取材で、記録的な豪雨に見舞われたため、宿の近くの施設をめぐるしか選択肢がなく、まずは徒歩2分ほどの福島市役所へずぶ濡れになりながら移動。その夜居酒屋で会った複合コピー機会社の営業のサラリーマン二人組が、市役所の建物をうろつく話になりました。建築の内部空間の移動と出来事と、語りが散漫に散らかっている作品になれば良いなと思って書きました。(山田 咲)
蚊は4つの掌編から成る作品である。どの掌編も、簡単な会話や仕草のみの短いやりとりである。蚊を警戒していたら、蜂がいて逃げ出す話。夫婦と男がすれ違うとき、夫と男がほとんど同時に蚊に咬まれる話。くすぐりあっている男子高校生の顔に蚊が止まる話。蚊が気になって眠れない女と熟睡している男の話。蚊をめぐる、どこにでも起こりえそうな凡庸なエピソード。(三宅一平)
合唱部の名門、埼玉の豊春中学校から福島に越した川上優は、主治医の保坂に恋をしている。強豪校から離れ歌への熱量をもてあまし、保坂にも相手にされない優の日々はままならないが、母の鞠子や義理の兄・雅の器用とは言いがたい愛情に触れて鬱屈を極めることもできず、保坂の勤める咽喉科クリニックの周りをうろつくばかりだ。何かと優をかまおうとする岡本有希と、ふと意地になって歌い合った放課後、優はさぼりがちだった合唱部に翌日顔を出すことを有希に約束する。(アイダミツル)
母と娘で暮らしている福島市内の家。母は台所で夕飯の後片付けをしている。娘はテレビを見ている。やがて、娘はテレビを消して宿題に取りかかろうしたところ、かたわらに見知らぬ一人の男がいたことに気づく。母も娘も驚くが、男が空腹であることがわかり、母は、彼のためにおにぎりを握ってやり、男は美味しそうにそれを食べ、去って行く。見知らぬ男の来訪はいったい何だったのか。母は男に、亡くなった夫の面影を見、娘は、人が誰かに似ているということはどういうことなのか思案する。(松田正隆)
「福島を上演する」の上演場所が体育館だと聞いたので、雨上がりの夕方にふと見かけた公民館のような大きさの体育館の窓の中のサークル活動について書きました。そこは地上二階で、道路から見上げていたのでボールと人の背中しか見えませんでした。(山田 咲)
病院から逃げ出す少年の話。車椅子に乗った少年は、自動販売機に忘れられた小銭を握りしめ、病院の前で客を待っていたタクシー乗り場へとたどり着く。一台のタクシーの窓を叩くと、少年の姿に驚く運転手。運転手はたどたどしい少年の言葉の中から川に行きたい強い意思を知る。途中、ソフトクリームをおごり、仲を深めていく二人。阿武隈川にたどり着くと、運転手は川へ入るかと少年を誘う。一度はためらった少年だが、運転手に抱えられ、浅瀬を進んでいく。途中、少年がペッパーに川への行き方を尋ねるシーンがある。ロボットを人間が演じるということを試みたかった作品でもある。(三宅一平)
初めて福島市に向かう際、なんとか現地の方とふれあえないかと「福島市(スペース)ふれあい」と検索したところ出てきたのが福島ふれあいUFO館でした。千貫森付近でのUFOの目撃談や写真、世界のUFOにまつわる資料などが展示されていました。なぜUFOがその一帯に現れるのかはわかりません。そんな場所で、不思議な磁場のようなものにより引き合わされた人々を描きました。(神谷圭介)
福島市内にある、震災前は老舗の旅館だった簡易宿泊施設。主人の田村悟とその妻の良子、娘の五月が笑い声をめぐり話し合っている。五月は、良子の連れ子で、悟とは血がつながっていない。悟は、最近、宿泊施設の運営を良子に任せ、ブログ上で詩を書くことに専念している。その詩を、五月と友人とで一緒に笑った声を、悟が録音したのを3人は聞いているのだった。その施設には、志水という除染作業員が宿泊している。良子は、宿泊する作業員たちと性的関係を結び、生活費にしており、志水ともそのような関係にあった。悟は、毎晩、近隣の若い男たちと飲み歩き、自暴自棄な生活を送り、その夜も信夫橋の上で泥酔して、新幹線が東京へ行くのを眺めていた。(松田正隆)
福島市に住む横岡は神奈川県から旅行でやってきた絹田に付き合い、飯坂温泉街をふたりで出歩く。軒並みを眺めながら絹田の語る半生に耳を傾ける横岡。ふたりは足湯を発見し、熱すぎる湯に挑む。さばさばとした女や近所の子どもたちが横岡たちを囲み、去り、ふたりはそこで別れる。帰り道、銭湯に寄った横岡は老いた男たちと背中を流し合う。人間の人生のさまに心打たれた横岡はその夜、恋人の加奈子に電話をかけプロポーズをするも上手くいかず、別の女友達と連絡を取るのだった。(アイダミツル)
コントグループに所属する平山雪雄は、小さな女党という政治グループに所属する川崎まりあと出会う。その出会いは、川崎が平山たちのコントの稽古を窓越しに聴いて楽しんでいたことがきっかけだった。小さな女党は、この日本の男社会を女の小さな力で変革しようとする代表の岡星みや子の考えを活動方針としていた。平山は川崎に魅かれるようになるが、ある日、川崎が党員の小川という女性を愛していることを知る。そのことを、平山は小川に伝える役目を自分が担い、川崎の想いを成就するように協力すると告げる。川崎はそれを拒絶する。おりしもコントグループ内で暴力が横行し、平山もその犠牲者なるかもしれないことを予感させ、劇は終わる。(松田正隆)
素舞台での俳優の発話と行動から、観客に徐々に情景を想像させていくマレビトの会の上演方法を強く意識して書いた作品です。前々から、日本の警察が押収した盗難品をメディア対応のためにブルーシートのうえに並べる景色はとても珍妙な光景だと思っていました。また道場という神聖な空間に対して礼を重んじる武道の精神にも興味がありました。外側から見れば理解しがたいことも、当事者にとっては当たり前となってしまっている状態をテーマに書いた作品です。(神谷圭介)
ナヨはアオムシ入り味噌汁の夢を見た。メガネは夢の話を聞くのを嫌う。それを知りつつ、大学の研究室で夢の話を嬉々として話すナヨはいつも通りメガネを怒らせるが動じない。「俺がおまえに夢の話をしたがるのは、おまえがそれを嫌がるから」というナヨの言葉に怒るメガネ。ナヨはメガネの、夢の話に興じない態度が好きなのだと訂正する。いつしか夢の構造について議論をするふたり。ナヨはアオムシを食べることが夢のその先を見る鍵だったと結論づけ、メガネはわからん、と呆れる。(アイダミツル)
福島市内の中心部にある「街なか広場」で、インストラクターの指導のもと十数人が群舞を踊るスケッチ的な上演作品。(松田正隆)
大雨でも行ける施設その2。やることがないので裁判を3つ傍聴しました。震災を機に家族が疎開してひとりぼっちになってヤク中になった人の裁判や、懲役15年がその場で言い渡されて家族が泣いている法廷などもありましたが、最も話にならなそうなキセル常習犯の件について書いてしまいました。彼の、周囲にほとんど興味を示さないどうしようもない感じと、過去に捕まりつつも磨き抜いた周到な手口、裁判の休憩時間に彼を揶揄する鉄道会社社員たちの奇妙な連帯感が、空間を作ってくれれば良いと思って書きました。(山田 咲)
神戸から復興作業のために福島に出稼ぎにきた関口は、子供を車で轢いてしまう。亡くなった子供の両親は離婚しており、不仲をまだ引きづっているようだ。葬儀のためにあらわれた僧侶は、生臭坊主で不謹慎な発言を連発する。失意の中、僧侶の言葉に困惑する母親。一方、関口は、事故後、ふらふらと酒ばかり飲んでいる。その頃、福島では大阪から出稼ぎから来た人たちに対する嫌悪感が広がっていた。関西弁を察知して、居酒屋への入店をやんわりと断られた関口は、キャッチに誘われてキャバクラに入る。泥酔した関口は、暴力沙汰を起こし、お店から逃走する。取材に行ったとき、実際に「大阪の人」に対する嫌悪の言葉を何度か耳にした。不安のなかで人々が抱いてしまう偏見について考えた。(三宅一平)
男の子のもとに女の子が訪ねて来る。
JR福島駅内にあるスターバックスコーヒー。老夫婦、女子高生たち、会社員たちなどの様々な人々たちが会話を交わし行き交う。その中に、一人の男がいる。彼は戯曲を書き、東京で演劇の上演を行おうとしている。そのために、昨日一日中、福島を取材して歩いた。その男のところに天使と称する男が来て、同じ席に座ってもいいかと言う。その申し出を受け入れた男は、天使にその取材で見た光景のことを話す。その光景は無人駅の近くで、光に包まれた場所を見つけたという話だった。それを語っているうちに、その男自身もその語りの光景に中に入っていってしまう。(松田正隆)
中庭のあるマンション。中庭を隔てて、姉妹は別々の部屋で暮らしている。姉の澄子の家では、娘のももが留学時代の友達を招いてパーティーを催している。漏れ聞こえるパーティーの喧騒。しかし、真夏のパティオには静けさが保たれている。姉妹は、中庭を隔てて、会話を交わしている。家事にまつわる愚痴をいったり、ちょっとした怪談話をしたり。近くの映画館から家路についていく人並み。ぎこちない恋人未満のカップル。やがて、パティオには、かすかにサックスの音が響き渡る。最近、千葉からパティオに引っ越してきた屋敷さんのご主人のサックスのようだ。そして、屋敷さんの奥さんは原発から出る放射能を気にして、心の病を抱えているようだ。その後、姉妹は祖母と小さい頃に行った夏の小旅行の思い出を語り合う。曖昧な澄子の記憶、当時からしっかり者の妹・洋子は当時の話を進めていく。洋子は一人、祖母と澄子と離れ、田舎の駅のベンチで長い間、電車を来るのを待っていた。夏の思い出をどう描くかということに腐心した。(三宅一平)
10月7日(土)16:00
国宝白水阿弥陀堂(山田 咲)
パークウィンズ(草野なつか)
10月7日(土)19:30
握手会にて(島 崇)
石炭・化石館 ほるる(松田正隆)
老人の話(三宅一平)
10月8日(日)14:00
ヒミツホテル(アイダミツル)
国道6号線(草野なつか)
10月8日(日)17:30
エブリデイ・エブリナイト(松田正隆)
遺骨収集(三宅一平)
10月9日(月祝)14:00
衛星、船着場、または新しい軌跡(高橋知由)
回転寿司にて(神谷圭介)
こずえと茂吉(三宅一平)
10月9日(月祝)17:30
トミー理髪店(アイダミツル)
涙の木(三宅一平)
アクアマリンふくしま「サンゴ礁の海」にて(松田正隆)
スポーツショップ(神谷圭介)
10月12日(木)19:30
上演と陰謀(松田正隆)
革命(神谷圭介)
10月13日(金)19:30
あなたはわたしの劇場(松田正隆)
富岡川 子安橋より(島 崇)
10月14日(土)16:00
イオンシネマのベンチにて(松田正隆)
メタスタ(アイダミツル)
10月14日(土)19:30
帰れない2n人(高橋知由)
磐越東線、いわき行き(松田正隆)
10月15日(日)14:00
番外編 大阪の福島にて(島 崇)
点字図書館にて(神谷圭介)
塩屋埼灯台(山田 咲)
10月15日(日)17:30
パン屋の跡地にて(高橋知由)
守山さんの受難(草野なつか)
北白河宮家和子さま、道の駅「よつくら港」来訪のこと(松田正隆)
2回目の福島取材で、レンタカーを借りて行きました。ほかにほとんど来場者がいないのに、観光客っぽい動きをしてしまう自分の様子がまとわりついてくるような場所で、一人称でこの場所を描いてみたいと思って書きました。(山田 咲)
20代半ばのカップル、優(すぐる)と由希は休日のたびに競馬場へ行っている。由希は競馬初心者でありながら高額配当の馬券をたびたび当てている。優は、なじみの居酒屋の常連客と浮気をしている。由希は、なあなあになってしまった優との関係にうんざりしている。手軽にピクニック感覚を味わえる晴れた競馬場で、別れ話をするカップルを描きたかった。筆者が福島競馬場へ行った時、入り口のすぐ横では桃が売られていた。(草野なつか)
いわき市のライブハウス。ご当地アイドル「HANIWAっ娘」のメンバーしおりんの生誕祭のために熱烈なファンが集っている。そんな中、見慣れない不審な男の姿。彼は「事件」を起こすという。しおりんがアイドルをやめるのを手助けすると。神格化された「アイドル」という存在は身動きが取れない。それはある土地で暮らすことを運命づけられた人々ともリンクする。この作品は言わば「放射能」という鎧を纏わざるを得なくなった福島の話である。どれだけこの土地を掘り返せばここはかつての福島になるのだろうか。(島 崇)
いわき市郊外にある石炭・化石館。昭和初期の炭坑町での生活が等身大の人形で再現されている。そこへ、女性二人が展示を見に訪れる。二人は、クビナガリュウが展示されているスペースへ移動する。そこでは、地球の誕生から現代までの歴史が一本の線で表現してあり、その展示を見ながら、二人は現在という自身の立ち位置の小ささとそこを起点とした世界のとりとめのなさに眩暈を覚える。(松田正隆)
もうまもなく亡くなろうとしている人がいた。その人と二人きりで交わした会話を思い出しながら、この作品を書いた。その人から、余命を宣告された後でも、生を諦められないということを聞いたと思う。現世にしがみつきたいという、すごく人間臭い、泥臭い感覚のことを話していた。薬の副作用で、記憶力がうすれ、今が何時かも覚えられない人にとって、時間とはどのようなものだろうかということを思いながら執筆した。聞き手は、作者自身を投影している。やや福島に強引に結び付けてしまったことを少し後悔している。(三宅一平)
ヒミツホテル308号室の女子高生は相手の男に売春扱いされて落ち込んだ。310号室に入ったミワとサオリは部屋の内装にはしゃぎ、312号室では槇田がイロの秀人を愛でている。路上待機の達央は311号室から出てきた池上と一悶着を起こして先輩の梶に叱られる。サオリの男の話をきっかけにミワとサオリの女子会は終わりを迎え、路上に出た女子高生は達央と出会う。達央は梶とともに去り、残された女子高生はサオリと別れたミワに声を掛けられるが、ミワにはついて行かずにどこかへ去る。ミワもやがて家路につく。(アイダミツル)
東京都内から仙台までをつなぐ国道6号線は茨城県の途中からJR
夏の夜。いわき市から少し離れた、一軒の家。シナリオライターの石本さくらが一人で仕事をしている。そこに、イラストレーターの森マコが訪れる。仕事中のさくらはマコの突然の来訪に驚きを隠せない。マコは、東京での挿絵の仕事がうまくいかず、大学の友人であるさくらを訪ねて来たのだった。それからの数日間、二人の奇妙な生活が始まる。隣に住む土方佳織が婚約者を連れて来たり、さくらが近くのスナックで知り合った無職の二人組の男たちを宿泊させたり、得体の知れない近所の双子が出入りしたり。その日々をマコは日記のようにスケッチしてゆく。(松田正隆)
津波にあい、いまだ見つからない人たちがいる。その人たちの痕跡を探そうと、遺族やその仲間たちは、防護服を着て、静かに砂浜に向かう。それは、限られた時間の中での作業だ。しかし、福島に限らず、世界中に、遺骨を探している人たちがいる。例えば、チリでは、独裁政権に反体制とみなされた人々は殺された上に、遺骨までも抹消された。それでもなお、砂の中から小さな骨のかけらを探している人たちがいる。その赤い土から、粉々にされた遺骨を見つけ出すのは、途方もない作業だ。愛する人たちの姿のかけがえのなさを描こうと思った。(三宅一平)
福島市の郊外にある、公営ギャンブルの場外券売場3つが一緒に入った建物。1階では競輪、2階では競艇、3階では競馬が扱われている。上演では、1階から順に2階3階と場内の様子が紹介されていく。それは舞台上に登場する俳優がそれぞれ3人の人物を演じ分けることによって表現される。どの階でも、来場者たちは異口同音に似たような会話を交わしつつ、異なる競技の行方に同じような視線を向けて、各々の賭けを続ける。(高橋知由)
「画塾」の登場人物のそのあとの話の一幕として書きました。レーンに乗せられ店内を練り回る寿司たちと、想像を巡らせる女、その傍らで寿司を食べている男の話です。(神谷圭介)
妊娠しているこずえは、夫の帰りを待ちながら編み物をしている。そこへ、久しぶりに現れた、こずえの兄、茂吉。いつも定職につかないでふらふらしている茂吉だが、こずえのお腹を見て、順調に育っている赤ちゃんに安心する。呑兵衛でもある茂吉は、こずえの家にある酒を飲む目的もあって、やってきたのだ。やがて、また職をやめて、無職になったことを告げる茂吉。茂吉が辞めたのは、同僚のカズを思ってのことだった。こずえの夫が帰ってくる気配に、驚かそうと茂吉が身を隠そうとしているところで終わる。この短い作品では、小さな地震が描かれる。それは、震災から時間が経ったあとの、ごく日常的な風景としてである。(三宅一平)
井原は風邪を引いても熱を計らない。数字に惑わされたくないからだ。富井は井原にシェービングを施しながらその話を聞く。福永は凝り性で、後から入店してきた相葉とも話が合う。彼にもまた知りたくない数字があるらしい。相葉は富井に、なぜ理髪店のマッサージは施術した側がお疲れ様と言うのか、と問う。次にやってきた杉田は多趣味でしかももうすぐ孫が生まれる。お疲れ様についての問題を杉田に投げかける富井。杉田は、終わりの合図をされるのならば、優しい合図がいいのだと穏やかに答える。(アイダミツル)
男1は、側溝に隠れ、男2と男3の様子をうかがっている。家に帰ってくる男3。インターホンを押すも、寝ていて気づかない男2。そこへ、男1がふと耳に息を吹きかけ、目を覚ます男2。男3は、エリート官僚で東京から復興のために転勤して福島にやってきた。恋人の男2とたわむれながら、男3は仕事の愚痴をいう。男2は家出したが、最近、父親の具合が悪いらしい。家に帰って、父親に会いにいこうか悩んでいる。男3は、悩んでいる男2を励まそうと、涙の木という作り話をして聞かせる。しかし、男3が男2へ涙の木の最後を話したときには、男2はぐっすりと眠っている。それを見ていた男1は、なぜかそっと涙を拭う。(三宅一平)
水族館、アクアマリンふくしま。その「サンゴ礁の海」という巨大な水槽の前を様々な人々が通り過ぎてゆく。(松田正隆)
地域ごとにある地元のスポーツショップが好きです。周辺の学校指定のジャージや上履きなども販売している類のスポーツショップです。中学校にあがり、学校の制服や指定ジャージを着ることで、小学生の頃と比べ少し大人になったような気持ちになったことを覚えています。人間関係もより複雑になり始めた時期のように思います。子供たちは子供たちでの社会が形成されていきます。自分も経験してきたはずのことですが、ずいぶんと時間が経ち、現在の彼らの心情を想像で補いきれないようにも思います。想像で補うことをテーマに書いた作品です。(神谷圭介)
福島市近郊にある大学。野外劇場で、リハーサルをしている演劇部のメンバー。彼らは、キャンパス内の合宿所で、数日後に迫ったソポクレスの「コロノスのアンティゴネー」の稽古を泊まり込みで行なっているのだった。ところが、演出の北浦が謎の失踪をし、上演が危ぶまれる事態に。それでも、オイディプス役の先輩部員の高野を中心に稽古は進んでゆく。そんな中、イスメネ役の後輩部員の火野は、鈴木という部員から、北浦の失踪には、何か得体の知れない権力者からの陰謀が絡んでいるのではないかという報告を受けることに。鈴木は火野に、北浦が失踪した南相馬の海で拾ったという手紙の入った瓶を渡す。これは北浦が火野に宛てた手紙なのだと。(松田正隆)
舞台は福島ではなくキューバの首都ハバナです。キューバに滞在した経験と、福島に滞在した経験を重ねて構想した作品になります。かつてキューバも原発を作ろうとしたことがありました。ソビエト連邦の全面的資金協力のもと完成間近だった原発は、ソ連の崩壊をきっかに1992年に白紙となりました。キューバは日本とは真逆に歩んできた国だと感じました。決して裕福な国ではないですが悲壮感は全く感じません。妙に楽観的で魅力的な国です。そんな国へ、福島からやってきた男と、現地で出会った女との話を書きました。(神谷圭介)
退職する山村さんの送別会の日。二次会の店を出たところで、参加者は別れの挨拶をする。数少ない参加者の中にいつの間にか見知らぬ人物がいるのを彼らは気づいていた。あの人は誰なんですか、と山村さんに尋ねる。すると、山村さんは、あれは「劇場」なのだと答える。人物と化した劇場を退職金を使って買ったのだと。山村さんは「劇場」を連れて家に帰る。一人暮らしの山村さんの寝床で、「劇場」はシェイクスピアの「ロミオとジュリエット」のセリフを語ってやる。月日は流れ、山村さんは、「劇場」を連れて、阿武隈川の見える道を散歩する。彼女は「劇場」にジュリエットの自死の場面を演じさせる。「劇場」は本当に生き絶える。(松田正隆)
福島県富岡町。幼い姉妹があてもなく歩く。彼女らは母を捜しているという。除染廃棄物の黒い袋が堆く積まれている。だが彼女たちは放射能の存在を知らない。何故ならこの作品における登場人物は福島に残された動物たちだからである。そんな中、彼女らは大阪弁を話すおじさんと「紙さん」に出会う。そして「紙さん」の背中に乗って空に舞う。その「紙」とは戯曲、テキストのことである。「ペラペラの紙の上でも大きく飛躍してフィクションを描いて見せること。それが震災以後、重要になるのではないだろうか?」という考えのもと挑んだ作品である。(島 崇)
福島市内にあるショッピングモールの5階フロアー。イオンシネマへ通じる出入り口にあたる場所にベンチがある。様々な福島市民が通り過ぎて行く。野々宮と望月がベンチに座っている。二人は、以前、磐越東線のいわき行きの車両で偶然一緒になったことを思い出し、その時のことを語り合う。福島の大学に通う女子大生の望月は4階で行われていた、地元企業の合同説明会に参加していたのだった。やがて、野々宮を訪ねて一人の女性、宮岡すみれがやって来る。宮岡は、野々宮にストーカーのようにつきまとうのはやめるようにと言う。望月は、そこに居合わせたことを後悔する。(松田正隆)
シテと地謡がいる。演目は『岩船』。週刊少年ジャンプを買いたい男がいる。金を持っていない。鶴ヶ城敷地内を見学する人々に混ざり、彼は小銭が落ちていないかと探し回る。飯盛山ではある男が女とデート中だが雰囲気は良くない。喫茶室KURAで働く圭子のもとへジャンプ男が金をせびりにやってくるが、まかないのナポリタンにありつけただけで終わる。飯盛山の男が神社を訪れ、女を想って投げた賽銭をジャンプ男がキャッチする。やけになる飯盛山の男。脇をシテが舞う。(松田正隆)
関東にある自主避難先から家出した安藤真紀は、いわきに単身赴任している父・聡のもとへやってくる。真紀は、帰宅困難区域の町からいわきに避難している美鈴と、父が不倫関係にあることを知る。一方、毎週末いわき駅前で路上演奏をしている泉田佑樹は、観客から匿名の脅迫を受けたことで悩んでいた。佑樹が演奏の際に扮する姿が真紀と瓜二つであることから、交わらなかった二人の話が徐々に一つになっていく。上演に際しては、「普段の泉田」と「演奏時の姿」が二人一役で、「演奏時の姿」と「真紀」が一人二役で演じられた。(高橋知由)
JR磐越東線を走るいわき行きの二両編成の列車。様々な乗客が乗っている。山間部にさしかかったところで、一人の外国人労働者が「カミマタ」と言い出し、不安なそぶりを見せるようになる。おそらく神俣(カンマタ)という駅のことではないかと思われる。一人の男が、その駅はもう通り過ぎたので、次の駅で降りて、そこで反対方向へと行く列車に乗るように説明する。そのことが外国人労働者に理解できたかどうか不明だったが、とにかく彼は川前という駅で降りる。だが、一つの荷物が残されており、それはきっとさっきの外国人労働者のものではないかと言い始める夫婦がいて、ひと段落した車内はまたざわめき始めるのだった。(松田正隆)
大阪にも「福島」という地区が存在する。また、広島にも「福島」という町がある。このように日本にはたくさんの「福島」が存在する。それらは震災以後、放射能によって汚染されたと言っても過言ではない。この作品は「福島の橋で待っている」という情報だけを頼りに女を探す少年が主人公である。彼は売れないyoutuberや現地のおばちゃんと出会い、最後にはかつての大火事によって失われた“大阪の”「福島の橋」を目指す。東日本大震災以前にも時代を遡ると日本は様々な災害に見舞われた。そのようなカタストロフにおける喪失は「福島」という名付けによって損なわれてはならない。少年が「福島」と聞いて東北の福島へ行かなかった愚かさこそが重要なのである。(島 崇)
視覚に障害のある方たちが読書を楽しんで頂けるよう設けられた施設が点字図書館です。各県にひとつはある施設のようです。点字図書館では既存の書籍を点訳した点字図書を製作したり、図書の音読を録音した録音図書の製作します。そんな場所で、文字の見えない方々を慮った人たちの関係を描きました。(神谷圭介)
垂直に伸びる灯台に対しての驚きと、灯台から見た海岸の景色が過去の出来事が全く感じられないCGのようだったことへの驚きから、時空を縦に移動するものを書いたつもりです。(山田 咲)
南相馬市の住宅街。地図をもとに旅行者たちが訪れたパン屋は、すでに更地となっていた。店舗改装中に遺跡が見つかり、いまでは発掘現場に様変わりしているのだ。パン屋の跡地で出会った旅行者と発掘作業員、そして発掘現場を毎日見学しているパン屋の店主によって、バラバラにこの土地の歴史が語られる。この地が、かつて海だったことに始まり、新石器時代の人々の営み、江戸時代に馬の放牧場だったことなどを経由して、それは、戦時中に陸軍の飛行場だった頃の記憶に至る。(高橋知由)
会話劇。福島駅すぐ近くのファミリーレストラン・サイゼリヤで、人を待っている守山奈緒。隣のテーブルの母娘のもとに若い男がやってくる。母親がやっているスナックの常連客であるその男、遠山明が、娘・あゆみの家庭教師をするようでどうやらその顔合わせらしい。ぬり絵をしながら時間を潰していた奈緒だが、3人から不穏な空気が漂いはじめ、だんだんと目が離せなくなる。基本設定である「家庭教師の顔合わせ」は実際にサイゼリヤでみた光景である。(草野なつか)
太平洋に沿って走る国道6号線、その沿線に道の駅「よつくら」はある。一階は地元の食品や郷土の名産を売る物産館になっている。二階は食堂。休憩するドライバーたち、観光客が行き交う。その中に全国の道の駅を巡っているという自称、北白河宮和子という女性とそのお付きの人も混じっている。和子さまは、その道の駅の来訪客にお言葉をかけてゆく。そのうち、海が見たいと和子さまは、海を展望できるテラスへと歩みを進める。(松田正隆)
10月25日(木)19:30
父の死と夜ノ森(松田正隆)
漂着地にて(高橋知由)
座標のない男(アイダミツル)
広告を出したい男(神谷圭介)
10月26日(金)19:30
草魚と亀(島崇)
峠の我が家(草野なつか)
みれんの滝(アイダミツル)
アンモナイトセンター(神谷圭介)
10月27日(土)18:00
画塾(神谷圭介)
福島の海辺(三宅一平)
郡山市民(山田咲)
いつもの日曜日(草野なつか)
10月28日(日)14:00
ゆきもよい(島崇)
水無月(三宅一平)
標準時周辺より(高橋知由)
いわき総合図書館にて(松田正隆)
いわき市の総合病院の待合室に、宇津木勲がいる。星尾優子が、夫の父の危篤の知らせを聞き、東京から駆けつける。長男夫婦が病室にいたが、徹夜で看病していたため、優子が交代で義父に付き添うことになる。次の朝、父の容態は急変し息をひきとる。優子は、夫の父の死を一人で見とることになった。一方、同じ待合室にいた宇津木は、勤めている原発関係の会社の社長のために席を確保する役目だったが、星尾家の来訪する親戚たちに席を譲ってしまい、それができなかった。上司からそのことで叱責される。翌日、会社を休んだ宇津木は、いわき市内で女子高生を物色し、そのうちの一人が富岡町のJRの駅にいるのを見つけ声をかける。それが彼の犯す連続殺人のきっかけになる。(松田正隆)
海岸に巨大な水棲生物の屍体が漂着している。横たわったその生物の大きさを計測する作業員たち。同じ場所で、海岸の漂着物をもとに物語を作るワークショップも開かれている。だが、作業員たちはワークショップ生たちに気付かず、ワークショップ生たちも水棲生物の屍体や作業員たちに気付かない。やがて、作業員たちとワークショップ生たちが同じ場所の異なる時間に(設定上は)存在していることが明らかになり、さらに、異なる時間に居たはずの人々が互いの存在を曖昧に知覚し始める。(高橋知由)
カリフォルニアのOliverはバスケットボールを大切にしている。Robertの家でTsunami Bikeの動画を見た帰り道、ボールを見失ったOliverは動画に映っていた男に出会う。男は自分をいつでもどこにでも存在できる者だと言い、健やかに育てと言い残してOliverと別れた。同時刻、いわき市で彼が見ているのは音楽仲間同士で集まった大人たちの様子だ。そこで大西もジッポを失ったが、座標のない男だけはすべての行方を知っている。何も知らないまま日々を生きる人々を、彼はただ愛おしそうに眺めている。(アイダミツル)
福島でレンタカーを借りて運転していると道路沿いにある広告看板が目に入ってきます。地元の病院や商店、博物館などの看板です。たまに広告募集と書かれた空き看板もあります。ここに広告を出すにはいくらくらいかかるのだろうという疑問から構想した作品になります。互いに顔が見えない状態の二人の男の話です。(神谷圭介)
この作品には様々な視線が交差する。観光客たちが飯盛山から鶴ヶ城を見る視線、鶴ヶ城から飯盛山を見る視線、人物や風景を見る視線。また、忘れてはならないのはかつて飯盛山から鶴ヶ城を見た白虎隊の視線、さらには観客の視線である。演技、役になるとは「視線を借りる」行為でもあると言えるだろう。そんな視線の往来の果てに登場人物の視線は鶴ヶ城の橋の下に生息する「草魚」と「亀」に一気に注がれる。彼らは見られるだけなのだ。彼らの視線を借りることはできるのだろうか? 彼らは何を見ているのだろうか?(島崇)
震災から数年後、母親の病死のため東京から地元のいわき市に戻った陽香は、団地で、障碍のある妹・まひると2人で暮らしている。物をため込む性分だった母親の遺品整理が終わりそうな頃、東京から、友人と元恋人がそれぞれ彼女を訪ねてやって来る。家族・記憶について、選んだものと捨てたものについての物語。2年越しで描きたかった題材に取り組んだにもかかわらず、うまく描くことができなかった。悔しさが残る。(草野なつか)
近頃、若い青年登山家が雪山で死んだ。アオイケは一度だけ寝た相手の男が忘れられずに山岳専門モデルになった。背戸峨廊での取材中、ふとそのエピソードをミズモリに漏らしたアオイケは話が止まらなくなる。ヒートアップした彼女を宥めようと、ミズモリは友人の死や山での死亡事故の知識を盛り込んだ長い長い話をする。納得いかないアオイケは勝手に下山し、ふもとでふたりの男に呼び止められる。彼らの周囲にもまたそれぞれの死があり、アオイケは少しだけ泣いた。(アイダミツル)
家族の話です。家族になった二人ともうすぐ新たに加わる家族とが、骨を取りに行く話です。私も父の実家に祖父の骨を取りに行った経験があります。亡くなったひとの骨を大切にとっておくということは一体何なのだろうかと考えました。骨を見て生前の元気な姿を思い返したりはしません。でも何かしら故人への想いを宿す物が必要なのかもしれません。化石の様なものだと思えばいいのでしょうか。自分たちも何万年も経てば化石とかになるのだろうか、などと考えながら書いた作品です。(神谷圭介)
画塾を営む夫婦とその塾に通う生徒たちを描いた作品です。画塾は美大受験のためにデッサンの基礎を学ぶ場所です。静物デッサンはただモチーフを描写するだけでなく、同じ空間に置かれたモチーフどうしの関係を観察し描写します。この作品は人との距離感をテーマに書きました。その距離感見誤ったことで起きたとても小さな出来事です。(神谷圭介)
久美子、絹代、早苗は三人でいつも遊んでいる女子高生三人組だった。しかし、暗い倉庫で、久美子と絹代二人きりになったとき、久美子は絹代から好きだと告白される。やがて時はたち、久美子は高校生の男の子(高嗣)を持つ母親になっている。学校の課外授業で演劇を観にきていた高嗣たちは、雪の積もった劇場の広場で雪遊びをする。出演していた女優たちと話す機会を持ち、興奮する高嗣たち。さらに時は流れ、高嗣の結婚式に場面は移る。結婚し、子供を持った高嗣。一方で、一緒に雪遊びをしていた友人・吉武は、脳に後遺症をかかえ、言葉が不自由になっている。最後に、現在まで時間が経つと、高嗣とその妻、母親の久美子が津波により亡くなっていることがわかる。そして、場面は海辺に移り、絹代と早苗は、久美子のことを思いながら、ピクニックをしている。やがて、二人は海の方に向かって歩き出す。そして、波打ち際に立つと、花を投げ入れ、祈りを捧げる。震災後、作者が福島の海に初めて訪れたとき、海に向かって自然と手をあわせていた。その時のことを思い出しながら、書いた作品。(三宅一平)
お互いに細かい認識のズレがありながらも、そこここでまあまあ普通の生活が営まれている都市の様子、行ってみるまで思いつきもしなかった郡山経済圏の存在。その2つの間で、引っ張られながら書きました。(山田咲)
中途半端に時間が空いて偶然立ち寄ったいわきマリンタワーは大きな公園の中にあり、公園内をセグウェイで移動できたら気持ち良さそうだな、という気持ちだけで書き上げた。なぜか、いわき市に行く時はいつも曇りで、それが残念だった。晴れていたらもっと違う内容だったのかもしれない。マリンタワーは、何度でも行きたくなる場所だと思う(草野なつか)
伊丹空港発、福島空港行きの飛行機内を描いた群像劇。福島空港の積雪のため出発時間が遅れていた飛行機はようやく離陸する。だが、雪のため「伊丹空港へ引き返すかもしれない」というアナウンスが流れる。ざわめく乗客たち。そんな中、デジャブに襲われる女「前にも同じことがあったような気がする」。乱気流で揺れる機内。特定の場所に属さない「飛行機」という密室空間に居合わせた乗客たちに起こる振動。それは忘れかけた震災の振動であり、これから起こるかもしれない未来を予見させる。(島崇)
ある町の政治劇。ダム建設に反対する市民運動家の父とその息子・勝利は、かつて狐の親子を見たことがあった。やがて、大人になった勝利は、ダム建設を推進する市長の婿養子となる。しかし、保守政治家をめざす勝利には、後ろめたい過去があった。勝利に将来の座を奪われた市長の秘書・小笠原は、その秘密を新聞記者に漏らそうと暗躍する。本作では、「原発」をめぐる自治体のあり方と現在の日本の政治に対する皮肉をこめた。(三宅一平)
山頂に聳える巨大な鉄塔から、標準時を伝える電波が日本中に発信されている。山の麓にある町で、新規開店する園芸店の店舗として廃屋を再利用しようとする塚本恵理。その夫・浩二は、移転が決まって準備に慌ただしい病院に入院しており、妻の奮闘ぶりに理解を示さない。浩二の入院以来、二人の時間感覚はすれ違いつつあり、恵理はすぐにでも店を開きたいが、浩二は時期尚早だと思っている。二人のすれ違いは他の事柄も巻き込んで夫婦の破局を予感させる。しかし、廃屋が新規店舗として開店し病院の建物は廃墟となる中、迎えつつあった破局はすんでのところで回避される。(高橋知由)
ある日のいわき総合図書館の風景をスケッチした上演。出入り口からいわき市民が来館し、去ってゆく。書籍の棚を見てゆく人。雑誌のコーナーで雑誌を読む人。テラスでくつろぐ人。受付で対応する職員。様々な人々が、図書館という空間で緩やかにうつろいゆく時間を過ごしている。(松田正隆)
公式HP
https://www.festival-tokyo.jp/16/program/performing_fukushima/
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公式HP
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松田正隆(マレビトの会代表)×平田栄一朗(ドイツ演劇研究者)
「マレビトの会は『福島を上演する』で何を経験し、上演したのか」
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『演劇書簡 -文字による長い対話-』1 [寄稿] 松田正隆
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『演劇書簡 -文字による長い対話-』2 [寄稿] 松田正隆
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『演劇書簡 -文字による長い対話-』 応答:カゲヤマ気象台
https://www.festival-tokyo.jp/media/ft18/shokan_kageyama
『演劇書簡 -文字による長い対話-』 応答:砂連尾理
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『演劇書簡 -文字による長い対話-』 応答:犬飼勝哉
https://www.festival-tokyo.jp/media/ft18/shokan_inukai
『演劇書簡 -文字による長い対話-』 応答:岩城京子
https://www.festival-tokyo.jp/media/ft18/shokan_iwaki
『演劇書簡 -文字による長い対話-』応答:福井裕孝
https://www.festival-tokyo.jp/media/ft18/shokan_fukui
『演劇書簡 -文字による長い対話-』応答:山﨑健太
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『演劇書簡 -文字による長い対話-』返信への返信:松田正隆
https://www.festival-tokyo.jp/media/ft18/syokan_re-matsuda
寄稿:鴻 英良「福島は上演されたか」
https://www.festival-tokyo.jp/media/ft18/ohtori_fukushima
マレビトの会公式HP
http://www.marebito.org/
The Japan Times(2016/10/7)
'Festival/Tokyo speaks with a defiant voice'
https://www.japantimes.co.jp/culture/2016/10/06/stage/festivaltokyo-speaks-defiant-voice/#.XKcBU1X7SM-
ステージナタリー(2018)
松田正隆×長島確「演劇は今、抵抗できているか」
https://natalie.mu/stage/pp/festival-tokyo18