若手アーティストによる上演を中心に「これからの演劇を問う場」をつくりだす『実験と対話の劇場 - 新しい人 / 出来事の演劇 -』。まもなく上演を控える彼らのひととなりや作品にかける思いを探る。2回目はBプログラムで上演する「演劇計画・ふらっと、」「玉城大祐」の2組に注目する。
(取材・文 鈴木理映子)
『実験と対話の劇場 -新しい人/出来事の演劇-』
11月3日(金・祝)~11月5日(日) あうるすぽっと 詳細・チケット
劇作・演出家で、立教大学でも教鞭をとる松田正隆が4組の若手アーティストに声をかけ、自身も強い関心を寄せる「出来事の演劇」をテーマにした実験と対話の場をひらく。
参加するのはいずれも、劇や空間設計の文法そのものを自覚的に利用、解体、再構築する20代のつくり手。本企画では、それぞれが60分以内の作品を創作、2組ごとに発表し、ゲストを交えたディスカッションにものぞむ。続きは
「できない人」の変化が、「劇場」の時空間を解きほぐす
演劇計画・ふらっと、
演劇にかかわったのは昨年のF/Tでやったマレビトの会の『福島を上演する』が初めてです。映画が好きで、大学に入ってからはサークルで、脚本を書いて、ぼちぼち撮ってもいましたが、演劇はちょっと……元気な感じが苦手で。でも、マレビトの会の作品には、どんどん場面が移ろうような、映画に近い面白さを感じました。それでいて、誰かがはけて別の人が出てきても、なぜか残り香がある。僕にとってはそれが、演劇にしかない斬新なことにも思えました。
今度の舞台は「何かになりそこなった人」「できない人」をモチーフにした短編で構成する予定です。企画全体のテーマでもある「出来事の演劇」について、松田さんは「上演は戯曲から切り離される」と書いています。そこで、「切り離されてしまう劇作の意味ってなんだろう」と考え、できるだけ戯曲を単体で完結させないことを心がけるようにしました。無理難題なト書きもありますが、それも含めて、「上演することで形づくられるもの」を観たいと思いますし、「福井さん、これ、どうするんだろう」と想像することが書くモチベーションにもなりました。僕は出演もしますが、自分で書いた会話でも、相手の反応が思っていたのと違うことは、結構あるんです。だから確かに戯曲は書き上げたけど、上演することで形が変わっていくのを実感していますし、そこに楽しみを見出してもいます。(我妻直弥/作)
「出来事」という言葉は、ドゥルーズの『意味の論理学』にも出てきますが、それを読んでもなかなか「出来事の演劇」を解釈しきれてはいません。「到来する出来事に値するものになる」という一節を舞台にあてはめても、身振りやせりふを反復することで何かがやってくるのを待つような「雨乞い」では、あまりにも他力本願すぎる気がしますし……。ただ、今回戯曲のモチーフは「できない人」「なりそこなった人」です。最終的にその人たちが何かをできるようになるという話ではないですが、上演を通して何かしらの変化は描かれる。だから、その状況を自ら感じとろうとすることが糸口になるのかもしれません。
「演劇計画・ふらっと」という名前は、新たなチームの結成にあたって、年齢や演劇経験による先輩後輩の関係をなくしたかったということ、それから上演する側の自分たちとお客さんとの間のヒエラルキーもなくしたいと考えてつけました。上演後のディスカッションでも「こういう意図です」と押し付けるんじゃなく、対等な議論をしたい。もちろん、その前に、解釈への欲望を刺激するような上演が必要なんですが。
今回の上演ではあえて、劇場の形式に乗っかっていくことも意識しています。対面式の芝居も経験はありますが、客席と舞台とが段差無く地続きでつくられた空間でのこと。あうるすぽっとのような「ちゃんとした劇場」を使うのは初めてです。舞台と客席という異質なものをどうやって合流させるか、どうしたらその力を生み出せるか。王道の空間に乗りつつ、予想を裏切るような方法を探っています。(福井 歩/演出)
演劇計画・ふらっと、『金星人』
11/4(土) 12:00 B+ディスカッション(カンパニーメンバー×松田正隆×宇野邦一)
11/5(日) 14:00 B+ディスカッション(カンパニーメンバー×松田正隆×佐々木敦(批評家・HEADZ主宰)) チケット
演劇計画・ふらっと、
2017年、劇作・我妻直弥の戯曲を演出・福井歩が上演するために発足した演劇プロジェクト。寄り道するように演劇に関われる、つくり手・観客の立場を問わないフラットな創作・上演の場の構築をコンセプトとし、活動していく。
推進力と把駐力のあいだで
玉城大祐(作・演出)
松田さんが書かれた「『出来事の演劇』宣言」や演劇論は、私にとっては納得するほかない文章で、かえって相対化して考えることさえできていません。ただ、あの広いあうるすぽっとで何ができるのか。ともすれば、あの空間をどう見せるかに意識が向きがちですが、せっかくの「試されるのではなく試す」場なら、いつも通り、本当に関心があることを思うようにやりたい。たとえば私の書いた言葉や演出で、俳優の行為の何が変化したかというようなアンニュイな部分をどう可視化するか、じっくり考えていきたいと思っています。
タイトルの『把駐力』とは、錨が船を引き止める力のことです。人の行動原理、人々が集まる場に生まれる推進力、またそれをコントロールする舵はどのようなシステムになっているのか、というのが大きなテーマになりますが、これは前作の『戎緑地』ともつながっているんです。「戎」というのは、あの西宮の商売繁盛の神「えべっさん」のこと。要するに、親を失った者が流れ着いた土地で、神様として認知されていく、というマレビトの話をやったんです。で、今回はそれがどこかに着く前の、流れている状態について考えてみようと思っています。仕事でもなんでも、数学的な直線で物事が進んでいくことはまずない。まだ何者でもない状態のまま、まさに葦舟に乗った蛭子のように、風や波に乗ったり交わしたりしながら流れていく。私自身もそういう、誰にも見つからずに流れている存在だし、演劇を続ける限りそれは終わらないでしょう。じゃあ、その流れに僕は、どう乗ったり、コントロールしたりするのか興味が湧いたんです。演技にしても発話にしても、前にプッシュすることはイメージしやすい。でも今回は、それを制御する時に、後ろから引っ張ってバランスをとろうとする力、そのテンションの方に焦点をあてるつもりです。
京都でパフォーマンスをしていた頃には、かなりストイックに俳優と演出のやりとりの精度を高めていくことを考えていて、ドラマトゥルギーや作品のダイナミズムといったものにはあまり興味がありませんでした。でも、最近はもう少し「演劇」を信じてみてもいいと思っています。ここでいう「演劇」がどういうものかについては、「今やっていることを真に受けられるか、どうか」が、稽古場での判断基準にはなっているんですが、僕自身もっと詳細に考え、言語化しなくてはいけないとも思っています。『戎緑地』で、いったんは名刺代わりの作品をつくったつもりではありますが、劇場で生きていく以上、やっぱりそれを言語化して、観客に対して見方や切り口を提案していく必要もあるんですよね。何をどういう枠組みで上演し、どのように観客と対話していくのか。『実験と対話の劇場』の、劇場も実験も対話も、僕にとってすごくホットな課題ですし、どれもフォーマットのないもの。特に今回はディスカッションの時間がしっかりあるので、作品についてはもちろん、それ以外のことについても、自分の視点をプレゼンテーションし、試したいと思います。
玉城大祐『その把注力で』
11/4(土) 12:00 B+ディスカッション(カンパニーメンバー×松田正隆×宇野邦一)
11/5(日) 14:00 B+ディスカッション(カンパニーメンバー×松田正隆×佐々木敦(批評家・HEADZ主宰)) チケット
青年団演出部所属、こまばアゴラ劇場制作/プログラムオフィサー。1988年9月16日生まれ。大阪府豊中市出身。 京都教育大学教育学部卒業。2011年より京都のライブハウスを拠点にパフォーマンスを発表。3年間で上演した短編11本、長編2本全ての作・演出を担当。2016年より青年団演出部所属。
『実験と対話の劇場 - 新しい人 / 出来事の演劇 -』
フェスティバル/トーキョー17 演劇×ダンス×美術×音楽…に出会う、国際舞台芸術祭
名称: フェスティバル/トーキョー17 Festival/Tokyo 2017
会期: 平成29年(2017年)9月30日(土)~11月12日(日)44日間
会場: 東京芸術劇場、あうるすぽっと、PARADISE AIRほか
舞台芸術の魅力を多角的に提示する国内最大級の国際舞台芸術祭。第10回となるF/T17は、「新しい人 広い場所へ」をテーマとし、国内外から集結する同時代の優れた舞台作品の上演を軸に、各作品に関連したトーク、映画上映などのプログラムを展開します。 日本の舞台芸術シーンを牽引する演出家たちによる新作公演や、国境を越えたパートナーシップに基づく共同製作作品の上演、さらに引き続き東日本大震災の経験を経て生みだされた表現にも目を向けていきます。
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