寄稿・千葉俊二

「半七捕物帳」の第一話「お文の魂」は一九一七(大正六)年一月の「文芸倶楽部」に発表されているから、今年は「半七捕物帳」が生まれてからちょうど百年、一世紀ということになる。ということは、岡本綺堂によって創始された捕物帳という時代小説のなかでも根強い人気をもつジャンルが生まれてから、百年ということでもある。綺堂の作品をこよなく愛するものにとっては、感慨ひとしおのものがある。

 今日では純文学と大衆文学の境界がほとんどなくなってしまったようだが、大正の中頃には、いまだ大衆文学といった概念も存在しなかった。ちなみに昭和も終わろうとしているころ刊行された講談社版『日本近代文学大事典』(一九八四年)の「年表」で大正六年をみれば、「半七捕物帳」の記載はない。そこには文学史に著名な作品が列挙されているが、今日では新刊書店の店頭で入手困難な作品が圧倒的に多い。そのなかで「半七捕物帳」が読み継がれ、いまだ現役のエンターテイメント小説として享受されつづけているということは、まさに驚き以外の何ものでもないだろう。

<style=”text-align: center;”>中野成樹+フランケンズ『半七半八(はんしちきどり)』 

作・演出:中野成樹 ドラマトゥルク:長島 確  原案:岡本綺堂『半七捕物帳』より

10月6日(金)~10月9日(月・祝)

 文学作品で百年も読みつづけられれば、もはや立派な古典といってもいい。たとえば、歌舞伎にしても当初は、圧倒的に大衆からの支持を受けたエンターテイメントだったわけだが、時代を超えて残り、現在ではれっきとした古典として受け入れられている。古典と称されるものは、作者の思惑を超えて、大衆の熱狂的な支持によって時代を超えて残りつづけたものである。おそらく「半七捕物帳」も、そうした意味での古典として読み継がれてゆくものと思われる。

「半七捕物帳」の作者岡本綺堂は、一八七二(明治五)年に高輪泉岳寺のほとりに生まれた。岡本家は百二十石取りの徳川の御家人だったが、御家人は御目見得以下の侍をいい、江戸の侍といえば、まず大体がこの御家人で、百石以下のものが多かった。百二十石といえば、御家人でも上の方だったが、父の敬之助(明治維新後は純(きよし)と改名)は江戸幕府瓦解のとき、江戸を脱走して宇都宮、白河口で戦って、弾丸を左の股に受けた。敬之助は以前に神奈川奉行の手に属し、在留の外国人を多く知っていたので、横浜に遁れて、居留地の英国商人にかくまわれ、維新後には英国公使館に勤めるようになった。

 綺堂は「私は維新の革命に敗れた佐幕党の子である。私の一家一門は、いわゆる徳川家三百年来の御恩に報ずる為と、一種の痩我慢との為に、よせば好いことに立騒いでさんざんに敗滅してしまった」(改造社版『岡本綺堂全集』「はしがき」)といっている。明治の藩閥政治のなかで、幕臣の子弟は官員への道も閉ざされ、さりとて商人にもなれず、前途の方向に迷わざるを得なかった。綺堂は十五、六歳の頃から文学者となることを決心したといい、「三界に家なき人間が僅に文芸の領土内にその隠れ家を求めたに過ぎないのであって、もとより大家になろうとか文豪になろうとか云うような、抱負も野心もあったわけでは無く、これで無事に一生を送ることが出来れば好いと思っていた」という。

 はじめ新聞記者として劇評の筆を執り、やがて「修禅寺物語」「鳥辺山心中」など新歌舞伎の脚本家としての地位をゆるぎないものとしたが、天性のストーリーテラーたる綺堂は歌舞伎台本ばかりか多くの小説も書いた。綺堂の基本的スタンスは、歌舞伎を観にくるような一般大衆へ向けて、ともかく面白い話を提供することだった。人間ならば誰しも、アッと驚かされる話や、へーというような面白い話や珍しい話を求めるものである。それによって日常に倦んだ気持ちを刺戟したり、いっとき心を和らげたり、教訓を得たりもするのである。

 近代の多くの文学者たちが、自己の芸術的欲求のみに応じて創作したのに対して、歌舞伎台本作家として立った綺堂は、決して一般大衆読者の要求を無視せず、さりとて自己の芸術家としての表現意欲もないがしろにせず、両者のせめぎ合いのうちに良質なエンターテイメントを書きつづけた。「半七捕物帳」もそうした綺堂の創作活動のなかから生みだされたものだが、晩年、作者の綺堂自身はもう「半七」には飽きたのでやめたいと思っても、読者の圧倒的な人気が綺堂に「半七」の筆を捨てさせなかった。綺堂は生涯にわたって六十九編の「半七捕物帳」を執筆しつづけた。

「半七捕物帳」の魅力は、何といっても適度な知的興奮をもたらす謎解きの物語が、叙情味豊かな江戸情緒のなかに溶かし込まれ、しかも江戸年代記といってもいいほどの正確な知識によって裏づけられていることである。それらの物語がとても心地よい文体によって語りだされているが、作者自身の「半七捕物帳の思い出」によれば、コナン・ドイルのシャーロック・ホームズのシリーズを読んで、「探偵小説に対する興味が油然(ゆうぜん)と湧き起」こり、自分も何か書いてみようという気になったという。

 しかし現代を舞台としては、どうしても西洋の模倣になってしまうおそれがあって、江戸時代の探偵物語としたが、それには「自分は江戸時代の風俗、習慣、法令や、町奉行、与力、同心、岡っ引などの生活に就ても、一通りの予備知識をもっているので、まあ何とかなるだろうという自信があった」という。歌舞伎作者として江戸についての知識には半端でないものがあったが、そればかりでなく、その裏には「佐幕党の子」としての自己の出自への矜恃と愛着とが裏打ちされていた。

 新聞記者時代の若き日の綺堂は、古老の話を好んで聞いたというが、「半七捕物帳」にそうした体験も大きく反映している。そもそもこの作品の形式が半七老人からの聞き書きという体裁をとっており、会話のなかの江戸弁が何とも耳に心地よい。語り手の巧みな話術によってその物語空間に入り込めば、そこはもう江戸ワンダーランドで、そこに流れる風の感触や、その街中のゆきかう人々の足音や話し声、そして漆黒の闇に包まれた江戸の夜の暗さなど、江戸そのものが体感させられる。もし推理小説として多少の難があったとしても、江戸風物詩としての魅惑がそれを補ってあまりあるといってもいいだろう。

 

千葉俊二

1947年(昭和22)、宮城県に生まれ、のち横浜に育つ。早稲田大学第一文学部人文専攻卒業。同大学院文学研究科日本文学専修博士課程退学。山梨英和短期大学助教授を経て、早稲田大学教育・総合科学学術院教授(日本近代文学)。著書『物語の法則 岡本綺堂と谷崎潤一郎』(青蛙房、2012年)『物語のモラル―谷崎潤一郎・寺田寅彦など』(青蛙房、2012年)など

 


フェスティバル/トーキョー17主催プログラム

中野成樹+フランケンズ『半七半八(はんしちきどり)』 作・演出:中野成樹 ドラマトゥルク:長島 確
原案:岡本綺堂『半七捕物帳』より

あの親分と歩く、江戸でも東京でもない町・松戸 古今東西の名戯曲を現代の日常に移植する「誤意訳」上演で知られる、中野成樹+フランケンズが4年ぶりにフェスティバル/トーキョーに登場する。江戸の情趣を豊かに盛り込む時代小説『半七捕物帳』をベースにした新作の舞台は、東京と川一つを隔てた千葉県の松戸。観客は、とある事件をめぐる謎を追い、市内のいくつかの場所を巡っていく。鍵を握るのは、江戸の親分・半七と、彼に憧れる松戸の男・半八。ある日、その名の通りなんでもスッキリ割り切る半八(8/2)のもとを、割り切れぬ顔の半七(7/2)が江戸から訪れて─。

日程:10月6日(金)~10月9日(月・祝)

会場 PARADISE AIR、FANCLUB(受付)ほか  詳細・チケット

 

中野成樹+フランケンズ

2003年結成。通称ナカフラ。時代・文化風習等が現代日本と大きく異なる、いわゆる「翻訳劇」をとりあげ、「いまの自分たちの価値観と身体」で理解し体現する。大胆なアレンジに応援もいただくが、原作ファン、および伝統に与する演劇ファンからのお叱りも多い。2010年より外の刺激+フランケンズ(通称:ソトフラ)名義で、劇場外にて応用演劇活動も展開中。 http://frankens.net/

 

中野成樹

舞台演出家、中野成樹+フランケンズ主宰 1973年東京生まれ。日本大学芸術学部演劇学科専任講師。近作に『えんげきは今日もドラマをライブするvol.1』(2016)など。としまアート夏まつり「おばけ教室」(13-16)、文化庁「日中韓文化芸術教育フォーラム」WS講師(14)など、近年は教育、地域活動にも視野を広げている。F/Tへの参加は『四谷雑談集』+『四家の怪談』(13)がある。

 


フェスティバル/トーキョー17 演劇×ダンス×美術×音楽…に出会う、国際舞台芸術祭

名称: フェスティバル/トーキョー17 Festival/Tokyo 2017
会期: 平成29年(2017年)9月30日(土)~11月12日(日)44日間
会場: 東京芸術劇場、あうるすぽっと、PARADISE AIRほか

舞台芸術の魅力を多角的に提示する国内最大級の国際舞台芸術祭。第10回となるF/T17は、「新しい人 広い場所へ」をテーマとし、国内外から集結する同時代の優れた舞台作品の上演を軸に、各作品に関連したトーク、映画上映などのプログラムを展開します。 日本の舞台芸術シーンを牽引する演出家たちによる新作公演や、国境を越えたパートナーシップに基づく共同製作作品の上演、さらに引き続き東日本大震災の経験を経て生みだされた表現にも目を向けていきます。

最新情報は公式HPへ


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ディレクター・メッセージ: フェスティバル/トーキョー17開催に向けて 「新しい人 広い場所へ」