フェスティバル/トーキョー17 ディレクター
市村 作知雄
私は「新しい人」に果てしない希望を持っている。今、世界で起きている様々な愚かしく、また滑稽ですらある事態を根こそぎ変えてくれるようなことを、残念ながら「新しい人」はまだできないとしても、「新しい人」はすでに現れている。彼らが世界を変えるためにはまだ15年、20年という時間が必要で、フェスティバル/トーキョー(F/T)は、その時を準備するために世界の人々とのしっかりとした交流を築こうと考えている。国際的なフェスティバルは、国同士が争おうと、政治的権力がぶつかりあおうと、全くそれとは無縁に市民レベルでの交流を続け、市民レベルで互いへの敬意を抱き続けようと思えるアートの作品や活動を提示することをもっとも重要なミッションであると考えている。国際的な交流にはいろんなレベルのものがあるが、アートにおける交流こそがお互いの価値観や生活習慣の違いを認識しながら、互いへの敬意をも抱かせることができる最大のアイテムである。国際的なフェスティバルは、マスコミ等にあるいろいろなバイアス、利害に左右される政治家の価値観から抜け出し、ダイレクトで素直な交流を成し遂げることができる非常に貴重なアイテムとなれるはずのものであり、我々の努力もそこにある。
F/Tのテーマに「新しい人」を使うのは、昨年に引き続いている。「新しい人」とは、それまでの世代とは明確な断層によって隔てられた若い世代で、今から15年、20年後には彼らこそが社会の中枢となり、圧倒的な多数を形成しているはずである、たとえ今彼らがまだ無力であったとしても。そのような彼らには世界がどう見えているのか、またそれを少しでも理解できれば、古いジェネレーションでも彼らに寄り添うことができるのか、確かめたいことはたくさんある。F/T17のプログラムは、そのような意志に貫かれている。「広い場所へ」は二重の意味が込められている。「新しい人」への期待をあらわすものと、もう一つは、F/T17の多くのプログラムが、劇場という狭い空間を抜け出し、広い場所を自由に使うようなクリエイションをアーティストに要望しているところにある。オープニングを飾るタイの振付家ピチェ・クランチェン氏には、南池袋公園とそこに連なるグリーン大通り(池袋駅東口)を使っての作品で、タイの伝統に捉われない作品に仕上げてくれるように頼んでいる。アジア各国とのアートの交流を考えるには、伝統的民族的なものをどう扱うかは非常に重要であり、我々はそう簡単に「伝統と現代の融合」をなどというつもりなど毛頭ない。「ままごと」の柴幸男氏には、東京芸術劇場の地下全部を使ってのクリエイションを頼んでいる。さらに昨年から始めた「まちなかパフォーマンスシリーズ 」も思い切った展開が見られるだろう。アジアシリーズは「中国特集」となる。これも中国の「新しい人」に焦点を当てて<中国の若い世代が親しんでいるもの>という切り口でのアート作品やアートプロジェクトを紹介する。確実に中国の若い世代の志向性に触れることができるだろう。
松田正隆氏には、非常に多くのことを頼んでしまった。「マレビトの会」での福島に関する作品の創作と同時に教育者でもある松田氏に若手の発掘というプロジェクトまでも要望したが、松田氏は、我々の予測をもはるかに越えて、「出来事の演劇」というマニュフェストを提示して、強いリーダーシップを発揮してくれている。F/Tとしても松田氏が宣言し、提唱する「出来事の演劇」に最大限コミットして紹介していく計画である。
その他にもやりたいプロジェクトはいくつかあるのだが、経済的な面から見れば、諦めるしかないのだろう。しかしディレクターという職能はとにかく諦めが悪い。まだ少し時間がある。
F/T17は、フェスティバル/トーキョー実行委員会(福地茂雄実行委員長)によって運営されている。その実行委員会の中核団体としてNPO法人アートネットワーク・ジャパン(米原晶子理事長)があり、実務を取り仕切っている。そのような構造を根底から支えてくれているのが豊島区(高野之夫区長)で、豊島区は主催者の構成団体でもあるので、本来は謝辞を述べるものではないけれど、フェスティバル・ディレクターという立場からは心からの感謝をまず表明しておきたい。またオープニング企画の共催団体である国際交流基金アジアセンターには金銭面だけではなく 精神的面でも大いに助けていただいている。株式会社資生堂とアサヒグループホールディングス株式会社にも本当に長く、変わらず支援していただき、これも心の支えとなっている。もちろんアーツカウンシル東京については、感謝はいうまでもない。そして果てしない労力を費やし、わがままなディレクターを見放さず、ついてきてくれている多くのデザイナーの皆様やスタッフには心底からの感謝とともに、一層の奮闘を期待してやまない。F/Tは10回目を迎える。困難はいつでも絶えないが、継続こそが力である。