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フェスティバル/トーキョー17のオープニングパフォーマンスは、タイ人のダンスアーティスト、ピチェ・クランチェンがディレクターをつとめる『Toky Toki Saru(トキ トキ サル)』。

本作でピチェは「アジア的身体」の構築と提示を目指し、コレオグラファー、ダンサー、アクターの3つの役割が交差する大規模なコラボレーションという新しい試みに挑戦している。新作にかけるピチェの思いを聞く。

(聞き手・通訳・文:岩澤 孝子 編集:島貫泰介)

現代人にとっての「自己と世界」

ピチェ 初めて日本を訪れた2002年、電車に乗っていると乗客の約70%が本を読んでいました。今年(2017年)あらためて乗客の様子を観察すると、車内で読書している人は10%にも満たない。みんなスマートフォンを見ていて……。(東京の風景は)すっかり変わってしまいました。

スマホの世界的な普及。非現実的なまでの大量の情報との暮らしは私たちにとってもはや当たり前の現実である。現代人を取り巻くこのような環境が、ピチェを『Toky Toki Saru』創作へ向かわせた、一つの原動力となった。

ピチェ 『Toky Toki Saru』のコンセプトは「自己への内省」です。東京に限らず、世界中の人々が自分の内側に注意を向けようとしていません。ただひたすら、外、外、外、外……。自分の外側の世界にばかり意識が向いています。

たとえば、読書。小説を読むのも、紙の本ではなくスマホ画面に現れる電子図書で、という人が増えていますよね。この二つのメディアの間には、人間(の身体)とのリアルな結びつきという点で大きな違いがあります。紙をめくるというアクションを伴わない電子図書だと、読み終わった瞬間に物語世界とのつながりが消えて、本を読む時のような読後の感覚が身体に残らない感じがするのです。
このような現代人の世界との関わりは、特に子どもや若者にとって大きな問題に発展する可能性があります。外(機器)から流れてくる音や情報にばかり耳を傾けていると、私たち人間の内側にある想像力、さらには、感情や思考との結びつきが切れてしまうからです。
だからこそ私たちは今、自分たちを取り巻く(外側の)世界を理解する必要があるのです。そして、そのためにはまず「自己を知る」ことが重要なのです。

なぜ、MONKEYなのか

オーディエンス一人ひとりにとっての「自己」を開示してくれる象徴的存在、それが本作におけるMONKEY(以下、「猿」)である。

ピチェ 本作で猿にフォーカスしたのは、私たち人間の感情や記憶、創造、知覚を象徴する存在として猿を表現することによって、逆に人間(自己)を浮き彫りにできると考えたからです。
猿というのは、動きが素早くてとらえどころがない、コントロールしにくい生き物です。このような性質、つまり、とらえどころのなさやコントロールしがたい状態は、人間の感情や情緒、さらには思考のあり方とよく似ています。

生物の進化の過程において、人類と猿は非常に近しい関係にあります。ただし、両者は、脳の大きさ、そして、二足歩行という二点において決定的に異なる、とされてきました。しかし、現代人が自己への内省と自ら思考する力を失いつつある、という点に着目すると、進化という決定的な境界線が崩れ、人間が猿に戻る恐れがあるのです。現代人は人間の感情や情緒、思考を自動的なものとして意識せず、その重要性にあまり気づいていません。しかし、これらにもっと意識的になることで人々の生はよりよく変化させることができるのです。

シアターとダンスの間

猿の姿を通してオーディエンスが自己と向き合う。そんな時間と空間がつくり上げられる本作には、そのための仕掛けの一つとして、「ダンサー」の他に「アクター」という役割のパフォーマーが登場する。アクターは現代社会を生きる多様なパーソナリティ、キャラクターをもつ人々を演じ、各アクターと対をなすダンサーが猿として象徴的に表現する、二重構造になっている。

ピチェ 本作でアクターと呼ばれるパフォーマーが登場するのは、社会の多様性を表現したかったからです。私たちの社会には本当にいろいろな人がいます。多様な人間を象徴するアクター(そして、その対となるダンサー)の存在を鏡として、オーディエンスのみなさんに作品に現れる自分自身を見つけてもらいたいのです。さらに、これは簡単なことではないでしょうが、作品に描き出される世界を通して、反省的に真実/現実を見てとってもらえれば、と考えています。

プロのダンサーではない人をパフォーマーとして採用することは、ピチェにとってこれまでにはなかった試みである。シアターとダンスの間にあるようなキャスティングが企画されたのは、舞台芸術空間における多様性と平等性への挑戦でもあった。

ピチェ 社会は多様であり、だからこそ平等なのです。そのことはまさに本作のあり方によって示されています。これまでの舞台空間には、完璧な人、つまり、よく訓練された表現者や完璧な表現者が登場していました。それはパフォーマンスや舞台空間が、その分野における専門家のためのものであったことを意味します。舞台はすべての人にひらかれておらず、誰もがその場に上がれるというものではなかったのです。しかし、芸術というのは本来、誰もがそこに存在し、表現することができる場のはずです。本作におけるアクターの存在はそのことを如実に表しています。

アジアの身体

本作にはピチェの他に、カンボジア、タイ、インドネシア、香港からピチェの依頼を受けた4人の振付家・ダンサーがコレオグラファーとして参加する。さらに、3月に東京で行ったオーディションでは16人の日本人ダンサーが選ばれた。彼らとのコラボレーションを通じて、アジアの身体を作り上げる。

ピチェ 僕にとって『Toky Toki Saru』は、いつもと違うところが本当にたくさんあります。アクターの採用によるシアター要素の導入や舞台空間の平等性の問題もそうですが、僕自身の立場と出演者との関係性という点もまた新しい試みの一つです。
まず、本作は僕のカンパニー(Pichet Klunchun Dance Company)の作品ではありません。これは僕の「監督」作品であって、コレオグラファーも別にいますし、出演者は一人を除いて、すべて僕のカンパニーのメンバーではない、という状況です。通常、カンパニーで作品創作をする時は、僕の振付をカンパニーのダンサー達は十分に理解していますし、独自のスタイルがすでにあります。しかし今回は、4人のコレオグラファーと協働しながら作品をつくり上げていきます。この作業はいつもの創作との大きな違いです。

カンボジア、タイ、インドネシア、香港から選ばれた4人のコレオグラファー。ピチェによると、彼らは「猿」という共通の(または類似の)身体性を持つという。4人のうちの一人であるタイ人コレオグラファーはピチェのカンパニーのメンバーであり、タイ古典舞踊の「猿」キャラクターとして修練を積んだダンサーである。

ピチェ 4人は、共通の、または類似した身体性や舞踊技術、振付スタイルをもっています。例えば猿のキャラクターの動きを共有している。ただし、香港の振付家はヒップホップを踊るB-Boyダンサーなので、厳密には伝統舞踊の枠組みにある猿の型をもつというわけではないのですが、その動きは非常に猿的なのです。また、オーディションで選ばれた日本人のダンサーたちにも僕はアジア的身体を感じています。バレエのような上方・外方へ広がる動きとは反対に、地面にむかって力強く動くダンサーたちです。彼らと協働し、お互いの身体を関連させあって「アジアの身体」を構築したい。
ダンスを通じた交流はアジア諸国の友好関係構築にもよい影響を与えてくれることと信じています。

野外パフォーマンスの祝祭性

F/T17のオープニングパフォーマンスとして、本作は野外での祝祭的な雰囲気をもつ作品として構想されている。野外パフォーマンスにおける祝祭性はどのように演出するのか。

ピチェ 野外でのパフォーマンスには、野外劇場型とパレード型の大きく二つがあります。この二つの違いは舞台空間が保証されているか否か、つまり、パフォーマーとオーディエンス空間の境界が明確であるか否かという点にあります。野外劇場もパレードもいずれもアウトドアでのパフォーマンスという意味では共通していますが、空間のあり方やオーディエンスとの関係性において両者は異なっているのです。
本作で僕は、パレード型と野外劇場型の両方の要素を作品に取り込みたいと考えています。僕のイメージでは、パレードというのは、周囲の人々を宣伝し、参加を呼びかけるものです。パフォーマーが呼びかけている間、オーディエンスは舞台空間(パレードの列)に侵入してもかまわないですし、パフォーマンスを見ることに集中せず、自分の興味に任せておしゃべりしていてもかまわない。にもかかわらず、パレードの雰囲気の中ではパフォーマーとオーディエンスの境界が曖昧になり、祝祭的な空気が人々をパフォーマンス世界に引き込んでいく。そんな空間なのです。

Toky Toki Saru』はパレード的に始まる予定です。そして、後半は野外劇場型。このパートでは、パレードと違い、オーディエンスが舞台空間へ侵入することはできませんが、ダンサーがオーディエンスのスペースに入り込んでいくかもしれません。
オーディエンスのみなさんがダンスに参加してもらえるような仕組みも考えています。その際は、自由に動き回る猿たち(ダンサー)が作品とオーディエンスをつなぐ役割を果たしてくれると思います。

探究者、ピチェ

ピチェの作品を生み出す力はどこからくるのだろうか。創作の核となる舞踊観・舞踊哲学は、これまで取り組んできたいくつかの大テーマとともに形成されたものである。現在は第四のテーマに取り組み始めたところだという。

ピチェ だいたい2〜3年のスパンで、自分自身にテーマを課しながら作品創作にのぞんできました。最初が「伝統への問いかけ」、次に「伝統の脱構築」、そして「再構築」へと展開し、現在は「伝統からの脱却、オリジナルな創作」という第四の段階にあります。

タイの古典舞踊を自身の舞踊のルーツとしながら、常に新しい作品を創造し続けてきたピチェにとって、「伝統」という語はタイ舞踊の伝統的身体やそれを形成する思考を意味する。舞踊そのもの、そして、それを形成する文化や思想を探究することが、ピチェにとっての創作の礎であった。

ピチェ 僕はコレオグラファーというよりも研究者的な側面を強くもつ人間です。これまで伝統との関わりという観点から自己にテーマを課して挑戦しつづけてきたのは、伝統舞踊のバックグラウンドをもつタイのダンサーたちがどうすれば自由に表現活動ができるのか、その道を模索しているからなのです。
過去の偉大な師匠たちが創りあげてきた伝統舞踊の型をなぞり、守り続けるのではなく、舞踊の構造を理解しようとつとめ、舞踊の背景にある思想や文化について探究することによって、これまでになかった表現のあり方を追求することが可能になるのです。
ですから、僕自身や僕のカンパニーのダンサーたちは、おそらく、タイでもっともタイ舞踊について熟知しているダンサーと言えます。にもかかわらず、伝統的な枠組みで舞踊を表現したことがないのです。

舞踊身体に関する飽くなき探究心と創作姿勢が、タイ国外からは「タイ伝統舞踊そのもの」または「伝統と現代の融合」と称され、一方で、過激すぎる伝統舞踊の解体と再構築が国内のタイ伝統舞踊界からは「異端」または「伝統の枠外にあるもの」と排除されてきた。
ピチェのこれまでの道のりは「伝統と現代の間で」二重の評価をされてきたが、「伝統からの脱却、オリジナルの創作」という新しいテーマは、これまでの評価基準から自由になれる道を照らすだろう。
Toky Toki Saru』は、ピチェが伝統から脱却し、本当の意味で自分自身の道を歩く第一歩となる。

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ピチェ 作品のコンセプトについて聞かれると、こんな風につい哲学的な話になってしまいます。けれども『Toky Toki Saru』は、見る人をかならず楽しい気分にさせてくれる作品です。猿の動きは理屈抜きに面白いですし、衣装にもインパクトのある驚きの趣向が施されています。公演を楽しみにしていてください。

 


フェスティバル/トーキョー17主催プログラム

Toky Toki Saru(トキトキサル)』 コンセプト・演出:ピチェ・クランチェン

ポップでキッチュ、自由なサルたちとめぐる「トーキョー」
 タイの仮面舞踊の哲学をコンテンポラリー・ダンスに落とし込んだ作品で、世界的に活躍するダンサー、振付家のピチェ・クランチェン。フェスティバル/トーキョー17のオープニングプログラムでもある本作は、彼が現代の東京にインスパイアされ、生み出した新作野外パフォーマンスだ。
 数週間の東京滞在を経て見出されたキーワードは「Body」と「Mind」。消費文化の中で培養され、去勢された身体、精神を、機敏かつ順応性に富む「サル」たちを媒介に解放し、そこから生まれるあらたなエネルギー、創造力をこの都市に注ぎ込む。
 タイ、インドネシア、カンボジア、香港、日本のダンサーに、20名の一般参加者を加えた出演者は総勢40名。彼らが上野、秋葉原など都内の風景をイメージソースとしたカラフルな衣装を身にまとい踊る光景は、それだけで明るくエネルギッシュだ。ヒップホップやストリートダンスの要素を交えた振付、芝に覆われた会場も、開放感に満ちた時間を演出するにちがいない。

会場:南池袋公園ほか
日程:9/30 (土) 17:00-19:00  10/1 (日) 13:00-15:00
※雨天決行、荒天中止 ※入場無料・予約不要
詳細は公式HPへ

ピチェ・クランチェン(Pichet Klunchun)
伝統の精神を保ちながら、タイの古典舞踊の身体言語を現代の感性へとつなげることで、新たな可能性を見出そうとしているタイ人振付家。タイ古典仮面舞踊劇コーンの名優チャイヨット・クンマネーのもとでコーンの訓練を16歳より開始。バンコクのチュラロンコン大学で芸術・応用美術の学士号を取得後、ダンサー・振付家として舞台芸術を探究してきた。北米、アジア、ヨーロッパの各地で様々な舞台芸術プロジェクトに参加。フランス政府から芸術文化勲章シュバリエ章(2012)、アジアン・カルチュラル・カウンシルからジョン・D・ロックフェラー三世賞(2014)等を受賞。近年では、『Dancing with Death』(2016)『Black and White』(2015)などが日本で上演されている。

岩澤 孝子(北海道教育大学教育学部准教授)
広島大学大学院修了。専門は民族音楽学、舞踊学。博士(学術)。タイの伝統芸能に関する民族誌的アプローチをコミュニティアートやコンテンポラリーダンスに応用し、現代的なアートの形と社会の関係性へと研究領域を広げている。

 

フェスティバル/トーキョー17 演劇×ダンス×美術×音楽…に出会う、国際舞台芸術祭

名称: フェスティバル/トーキョー17 Festival/Tokyo 2017
会期: 平成29年(2017年)9月30日(土)~11月12日(日)44日間
会場: 東京芸術劇場、あうるすぽっと、PARADISE AIRほか

F/T17のオープニングは、タイの振付家・ダンサーであるピチェ・クランチェンが、日本人アーティストと共に池袋の街を彩る参加型・野外プログラム。東京での滞在リサーチを経て、生きた“トーキョー”の姿を浮かび上がらせる。オーディションで選出された日本人ダンサーと、一般から募る出演者のみならず、予約不要・無料で誰もがその場で作品に参加することが可能。F/Tが、都市における新しい祭りのかたちを提案する。

最新情報は公式HPへ