映画《Hiroshima, Mon Amour》で男性の主人公がアドバイスするように、外から来た人の感覚には許されることと許されないことがあります。即ち、すべてを見ても、見なかったことになるかもしれないということです。許されたことは目に見えるが、それがすべてではないのです。許されなかったものを見るということは、再現されたものを超えて再現されなかったものと一緒になるということです。
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フラッシュバック1
今村昌平監督の「カンゾー先生」の最後のシーン。職人精神で一生を生きてきたある島の医者が、自分を愛する女性と舟遊びに行く。突然海の向こうから第二の太陽が上がる。この奇妙な何かが歴史を変えた原子爆弾であるということが知られないまま、映画は幕を閉じる。(この映画はこのシーンの直前まで物語の背景が1945年だということははっきりしないので、赤い光は観客にも突然のことである。)無知の重さは一生守ってきた知性と熱情を空虚なものにする。「歴史的な現実」は皮膚と感覚を占領しながら一瞬で日常に浸透するが、相変わらず理解されないばかりだ。
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ある一定の国に長期間住みつづけ文化を享受していると、自国に蔓延る文化のすべてが「正常」であるという無反省な誤認に至りかねない。それは自分の家族の常識が正常であるという無根拠な思いこみに十代の子供が陥ってしまうのと同様の方程式であり、それこそ客観性がないゆえに、揺るぎない不文律のヴェールとしてその文化圏の人間を知らずに覆ってしまう。去る11月、日本とルーマニアという特異な2カ国の舞台芸術祭を立て続けに視察してまわったことで、いかにこうした「正常」さが、その国の社会的、経済的、政治的、時代的、土壌によって人工的かつ必然的に生成されたものであるかということを改めて痛烈に認識した。
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1994年から2006年の間、私が日本を訪れたのは、バンコクからアメリカへ渡る途中に乗り換えで成田空港に降り立った程度のものだった。私のトランジットは、出発ゲートにいるタイ人女性と恋に落ちてしまうくらいに、頻繁なものだったのだ。日本語が理解できない限り旅をすることは難しいと耳にしていたし、円高のおかげで私の貯金にも大きな影響を及ぼしかねないうえ、ガイドツアーも楽しめたことがなかったこともあり、日本へ行くことを躊躇していた。
それ故、日本の演劇は国際交流基金(以下JF)がタイへ持ってきた作品くらいしか観たことがなかった。JFがバランスよくトラディショナルなものとコンテンポラリーな作品を紹介してくれたことは、タイの演劇好きにとっては幸運なことだった。JFの予算は限られたものだったにもかかわらず、その時我々は歌舞伎と落語、そして平田オリザと野田秀樹の作品を観劇することができたのだ。とにかく、劇場やテレビの世界でプロとして働く私の元教え子たちは、平田オリザのワークショップに参加し、そこで学んだことを未だよく記憶している。そして後に、大学にあるブラックボックスシアターで上演された『東京ノート』を観劇しているのだ。同様に、タイの演劇好きや批評家たちの多くも野田秀樹の『赤鬼 タイバージョン』をここ10年来のベスト作品として評価している。
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「なぜ、人は劇場に足を向けるのか」。筆者の場合はそこにまず、職業がシアター・ジャーナリストであるという自明の理由が存在する。ただその職をなぜ飽きずに十数年も続けているのか。あるいは日本だけではあきたらず世界の劇場を訪れるのか。今回のフェスティバル/トーキョー公募プログラムは、この問いに対しての答をより明快にし解き明かしてくれた。
日本滞在中の1週間で観劇した舞台は、80年代生まれの日本人作家5組(KUNIO、鳥公園、バナナ学園純情乙女組、ロロ、捩子ぴじん)による作品。ロンドンから日本に飛ぶ十日ほどまえに、主に70年代生まれの日本人作家を主題にとる拙著を脱稿したばかりだったこともあり、意図せずして、70年代世代と80年代世代の比較、という立地点から後者であるテン年代作家の特性を立て続けに認識させられることとなった。
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F/Tの「公募プログラム」は、2011年から大幅に拡充された。はじめて門戸を開いたアジア諸国からは80組もの応募があったという。結果的に国外4組、国内7組による開催となったこのプログラムが、おそらく今年のフェスティバルの中で最もリスクの高い実験であり、文化的な投資だったであろうことは、まずは議論の出発点として認識されるべきだろう。どんなに個性的な作品が出そろったとしても、日本国内で無名のアジアの若手作家の作品に、残念ながら集客的には期待できない。その目標は、必然的に、「いま、ここ」よりも「未来」に向かわざるを得ないのだ。したがって、このプログラムが対峙しなければならないのは、近未来の舞台芸術であり、近未来の世界であると考えることができるだろう。今回上演された11組の作品は、総じて野心的で刺激的な作品が揃っていたことは間違いないが、問題をそこだけに限定しては意味が半減してしまうのである。
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F/Tサロンで捩子ぴじんは、普段コンビニで働いているときは自分の作品のリハーサルを行っているようなものだと語った。彼は社会と人生を一種のリハーサルスタジオ、または、リハーサルという非現実的な場とみている。私はその時、日本は演劇国であるという見解を提示した。
今回、F/T11で6作品観劇した。その6つの作品がF/T11の全容というわけではないが、作品からは3・11の震災が日本社会全体に震撼を与えたということを確かに感じた。作品の大部分がダイレクトに震災の影響を受けている。大自然に対する畏れや都市や現代文明における自己認識の危機が作品に反映されているのだ。
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ディケンズの『二都物語』は「それは良き時代でも悪しき時代でもあった」の一文で始まる。この有名な一文は波乱に満ちた時代の総括としてよく用いられてきた。しかし、我々の生きるこの時代はとうに「良い」、「悪い」という白か黒かで単純に分けられるものではなくなっている。「良い」と「悪い」の間には長きにわたる曲折と過程があり、日常生活は留まることなく続く。日は昇り、また落ちる。我々が負った責任を時代や環境に委ねることなく、演劇やあらゆる文芸は生活や人類そのものの思考に戻る必要があり、そこから表現をすべきなのだ。フェスティバル/トーキョー11で鑑賞した作品は、まさに我々が生きる今の時代の静かな思考とその表現のあらわれであった。
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3・11の震災は日本の東北地方に空前の苦しみをもたらした。また、福島の原発事故は日本にとって更なる試練となった。震災後、電力不足から節電対策として劇場が休館を余儀なくされ、原発への憂慮から海外のカンパニーが日本での公演を相次いでキャンセルした。今世紀最大の震災を前に、劇場の軟弱で無力な一面が露呈された。想像以上の大きな災難は、非現実的な感覚をもたらした。3・11の背後には、現代の消費社会やエネルギー環境などの難解で複雑な問題があるといえる。震災の恐怖心や外傷はは未だ払拭されていない。震災後、複雑な問題に直面しているとき、演劇は一体何を語れるのだろうか?これは、今年のフェスティバル/トーキョーのテーマでもある。
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東京の至る所でみかける「フェミリーマート」。31歳の捩子ぴじんはそこでアルバイトをしている。朝9時から夕方5時まで働く。すでに4年になる。レジだけでなく、フライドチキンやフライドポテトも作る。一年前から、もうひとつアルバイトを始めた。夕方6時から夜11時半まで、駅の売店が新しい仕事場だ。毎日13時間、立ちっぱなし。捩子は舞台上で自分の脚を見せながら「ついにはO脚になってしまいました」と語る。
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