グロトフスキ、カントルに並ぶポーランド演劇の巨匠、クリスチャン・ルパ。緻密で繊細、鋭い批評精神に貫かれたその美学は、どのように生まれ、育まれたのか。ルパが拠点とするヴロツワフ・ポーランド劇場のドラマトゥルク、ピョトル・ルツキ氏に、演劇批評家でカントル『芸術家よ、くたばれ!』の翻訳も手がけた鴻英良がインタビュー。芸術家と国家システムの退廃をえぐる『Woodcutters—伐採—』に織り込まれた、“ルパの唯一の希望”とは−—。
構成・文 鈴木理映子
鴻 今日はまず、現代のポーランド演劇の概略と、そのなかでのルパの活動の位置づけからお話しいただきたいと思います。というのも、日本の演劇人や観客のポーランド演劇に対する関心は根強く、今回のクリスチャン・ルパの『伐採』の上演についても、グロトフスキやカントルを中心とした現代演劇の流れのなかで、ルパがどのような役割を果たしてきたのか、その作品の特色はどういったところにあるのかということに、日本の観客の多くが関心を寄せていると感じているからです。
日本の現代演劇は1965年ごろに始まりますが、その流れにおいては、3つの外国演劇の著作が重要な役割を果たしたと言われています。アントナン・アルトーの『演劇とその分身』、ピーター・ブルックの『何もない空間』、そしてグロトフスキの『実験演劇論』です。要するに、「持たざる演劇」は、「ペスト」、「何もない空間」と並ぶ、日本の現代演劇のキーワードだったんです。また、1971年には、寺山修司が主宰した天井棧敷の機関誌『地下演劇』でカントル特集が組まれ、多くの人が彼に興味を持つようになりました。カントルは1982年に初来日し、鈴木忠志が中心となって開催した日本初の国際演劇祭「利賀フェスティバル」に参加しますが、その鈴木は、1971年に『実験演劇論』の邦訳が出版された際に日本を訪れたグロトフスキの案内人を務めてもいます。この時、グロトフスキは鈴木の案内で青山の銕仙会能楽研修所に行き、観世寿夫の仕舞を観て「能の本質はブレーキの暴力だね」と言ったそうです。ゆっくりと歩いていたのがだんだん早くなってパッと止まる。身体は確かに止まるんだけど、内部にわきあがっていたエネルギーがワッと前に出てくるように感じられる−−。それを聞いた鈴木は、「自分の考えていた身体論をグロトフスキはこんなふうに言い当てるのか」と感激したそうです。このようにして、70年代を通じて強まったポーランド演劇への関心は、その後のアカデミア・ルフのクルコウスキやテアトルシネマの招聘、そしてこの『伐採』の上演にも受け継がれていると思います。
『Woodcutters ― 伐採 ―』
翻案・美術・照明・演出: クリスチャン・ルパ
ルツキ 1989年のポーランド民主化以前の演劇史を振り返ってみると、カントルとグロトフスキの活動は対極にあったということができます。その二人のあり方が、89年以後のルパの活動において一つにまとまってきた、ということはできるかもしれません。
まず、カントルについてお話ししましょう。カントルは戦時中(1942年)に画家や左翼活動家たちの参加する地下劇場を立ち上げ、演劇活動を始めました。この頃彼は、ユウリシュ・スウォヴァツキの『パラディーナ』やヴィスピャンスキの『オデュッセウスの帰還』を演出していますが、それらはいずれも戦争をテーマにしており、個人の住宅で上演されたものです。もちろん、当時はそこだけが演劇ができる唯一の場所でもあったのですが、戦後、社会主義政権のもとで劇場が再興されても、彼がそこで作品を上演することはありませんでした。また、カントルは正式な演劇教育を受けてはいません。彼は画家で、総合芸術家です。ですから画家としての活動と演劇活動は彼の中で同時進行していたし、素材の扱い方についても、抽象的でありながら物質性を伴った、いわば演劇的タシズムを探求していました。1955年、彼は戦前にあった前衛劇団「クリコ」を引き継ぐかたちで、「クリコ2」を創立します。そして1975年の『死の教室』までのあいだは、『小さな館』や『水鶏』といったヴィトカッツィの作品を上演し続けていました。彼は、マルセル・デュシャンがそうしたように、ヴィトカッツィの言葉をレディメイドのものとして扱いました。そこでは、言葉と動きとが、それぞれに独立していたんです。彼は折に触れ、自らの創作活動に名前をつけ、マニフェストを発表してきますが、その最初の名前は文学から独立した「自主劇場」でした。『死の教室』は、その後「ゼロの演劇」、「不可能の演劇」といった宣言を経たひとつの到達点であったと思います。またこの作品は、おそらくポーランドでは初めて、ホロコーストについて、明確に発言した演劇です。
では、グロトフスキはどうでしょうか。彼は俳優としての教育を受けた後、演出家としての勉強もしています。その頃ヴィトカッツィの『靴屋』という作品をクラクフの古城で上演しようとしたことがあるそうですが、許可がおりませんでした。もし実現していれば、ヴィトカッツィは、カントルとグロトフスキ、そしてルパをより明確に結びつけるポイントになっていたかもしれませんね。グロトフスキは1959年にルドヴィク・フラシェンと共にオーポレの劇団「13列」の芸術監督となりました。「13列」というのは彼らが拠点とした劇場が本当に小さくて、13列しか席がなかったからです。ただ、これはカントルがつくっていたようなプライベートな集団ではなくて、公的な機関としての劇団で、レパートリー上演も行う組織です。この劇団は10年後にブロツワフに拠点を移しますが、『アクロポリス』や『コルディアン』といった重要な作品は、オーポレで作られていました。しかし、その劇場では、同時に、共産主義政権を讃えるような大衆的な演劇も上演されていたのです。それから、もうひとつ、グロトフスキの経歴で重要なのは、彼が東洋の美学をヨーロッパの演劇に持ち込もうとした、その最初の試みがインドのカーリダーサが著した『シャクンターラ』であったということです。インドの演劇では、すべての動き、ジェスチャーが意味を持っていますね。グロトフスキはしかし、この作品を通して、むしろ完璧な記号のシステムをつくりあげることはできないと悟り、ポーランドのロマン主義の伝統に立ち戻るのです。グロトフスキが演出した古典作品を観て、文学研究者たちは激怒しました。しかしそれは、ロマン主義の神話が、現代においてどのような意味を持つのかを探る試みだったと私は思います。
そして、いよいよルパの話をしましょう。彼は物理学を学んだ後に美術大学に進み、さらにクラクフの演劇大学の演出コースを卒業しています。1975年の『死の教室』のプレミア公演を観ていて、この作品に完全に魅了された者の一人でもあります。一緒に観た友人が褒めなかったので、その時話していたカフェのテーブルにあった砂糖を、相手の顔にかけてしまったそうですよ。ルパはその後、卒業制作でヴィトカッツィの戯曲を上演。その作品が評価され、イェレナゴラのC.K.ノルビッド劇場で働くことになります。大都市ではない、小さな田舎の町で活動を始めたのは、グロトフスキも同じです。
カントル、グロトフスキ、ルパ。この三人に共通するのは、誰も、戯曲を忠実に舞台化したりはしなかったということです。グロトフスキの言葉を借りれば、彼らにとって演劇は「乗り物」であり、われわれを、美学を超え、政治や形而上学の領域へと連れていくものなのです。ヴィトカッツィもまた、「20世紀において、形而上学や宗教といったものを経験できる場所は演劇だけだ」と言っています。ただ、そのための方法はそれぞれに異なります。カントルが組織としての演劇、劇場からの逃走を図ったのだとすれば、グロトフスキは自分のための劇場をつくろうとした。彼は美術家と共に作品ごとに異なる劇場空間を設計しました。『アクロポリス』では俳優たちが劇中で装置をつくっていました。そういう試みを通じて観客との距離感を変えていこうとしたのです。一方、ルパはオフの演劇をつくったことはありません。機関としての劇場のなかで作品をつくりつつ、劇場空間の可能性を広げていくというやり方です。俳優に関しても、同じことがいえると思います。グロトフスキやカントルの俳優たちが、ある種、人工的な、不自然な振る舞いをするのに対して、ルパの演劇の俳優たちは日常的に振る舞っているように見える。そこでルパが重要視しているのは、「演じない」ということです。彼は、「俳優たちと仕事をすることによって「過渡期」を研究することができる」と語っています。社会の発展、時代によって人間が抱く哲学的尺度は変わってくるものですよね。ルパは、その変化が起こる直前の状態に俳優を置きます。子供が自分の世界を空想するのと同じように、舞台上の世界にもさまざまな規則があり、それは現実と同等かそれ以上の権利を持っている。ルパはそうした状況下にある俳優たちの、真実の姿を見ているわけです。
ベルンハルトからルパへ。受け渡された絶望と希望
鴻 1989年にポーランドは民主化され、その翌年にカントルが亡くなります。それから25年あまりが経つなかで、ポーランド演劇はどのような課題を抱え、クリスチャン・ルパはどのようにそれに応えてきたのでしょう。私は『伐採』の台本を読みながら、ふと、カントルが死の直前に遺した言葉を思い出しました。それは「マーケットのテロルは、コミュニズムのテロルより悪質かもしれない」というものです。
ルツキ グロトフスキの助手だったエウジェーニオ・バルバにインタビューした際に、「この時代には、グロトフスキが生きる場所はなかったかもしれないね」という話が出ました。つまり、現在では国家や公共のお金が、かつてのように実験的な活動に振り向けられることはないだろう、ということです。私はその意見に賛成せざるを得ませんでした。皆がお金を稼ぎ、すべてのものが商品になるこの世界で、創造を主要な目的とするような場所は存在しづらくなっていると思うからです。89年まで続いた政治的検閲は、今では経済的な検閲に代わりました。真の意味での演劇創造の目的は娯楽でも、お金を稼ぐことでもなく、人々の意識の領域を広げていくことにあります。しかし、文化省も地方の行政府も、そうした芸術にお金を出さなくなっています。
この25年、ルパの活動は常に、若い世代に影響を与えてきました。彼らにとってルパは、乗り越えるべき対象であり、模倣する対象、あるいは否定の対象でもありました。いずれにせよ、ルパとの関係性というものを表明することなしに演劇活動をする者はいません。90年代の初めには、ルパの作品は、芸術至上主義的だと批判されていました。政治的なメッセージに欠けると。しかし、「政治的」という言葉の意味を捉えなおさなくてはいけないと私は思います。レフ・ワレサ(元ポーランド大統領)が登場する芝居なら政治的なのか。そうではなくて、社会にとっての重要なテーマを扱う作品は、すべて、政治的なのです。
鴻 『伐採』の冒頭では、のちに自殺したという女優のインタビュー映像が流されます。その中で彼女は、ベケットの『勝負の終わり』を意識した現代戯曲論を交えて、自分が企画したワークショップについて話しています。そして、そのワークショップには誰も来なかった、というんです。この場面は、非常に重要な問題提起になっていると思います。今、芸術至上主義と政治性についての話がありましたが、要するに、ルパはここで、美学的なものと政治的なものが、どういうかたちで一つの演劇空間の中で出会うのかを問うている。劇中では彼女の自殺の意味が絶え間なく議論されますが、この問題は、その議論とも繋がっていきます。
それからもうひとつ、私が気になったのは、この作品にはイプセンの『野鴨』への言及がたびたび出てくるということです。たとえばディナーテーブルについた登場人物たちの様子は、レオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』の変奏ですよね。この場面に13人の登場人物はいませんが、カーテンコールには13人が出てきます。そしてこの13というのは『野鴨』においても非常に重要な数字です 。つまりそこでは、誰がユダで、誰がキリストであるかが問われている。『野鴨』の初演は1884年で、ベルンハルトは、そのちょうど百年後に小説『伐採』を書いた。彼が『野鴨』を意識していたのは間違いないと思います。では、さらに30年後の2014年に『伐採』を翻案、演出したルパは、イプセン、ベルンハルトが描いた人間のありようをどう捉えていたのでしょう。
ルツキ 劇中に登場する女中の名前はマリア・マグダレーナです。「マリア・マグダレーナを呼んでこい」というせりふは明らかに聖書への言及ですし、パーティーが行われる屋敷の主人は、箱型の舞台装置を回しながら「みなさんを“芸術のゴルゴダへの道”に招待します」というんです。ですから、宗教的な連想というのは、ルパ自身の狙いでもあります。
ルパにとって、何より重要なインスピレーションの源泉となっているのはベルンハルトです。『石灰工場』『英雄広場』など、ルパは多くのベルンハルト作品を演出してきました。彼は非常にペシミスティックな小説家で、人間にも、芸術家にさえも希望を与えることはありません。しかし、それは、これから変わっていくかもしれない道のりへの第一歩でもあるわけです。ですからルパは、ベルンハルトが書く絶望こそを、私たちが現在おかれている状況から外へと踏み出す唯一の希望だ、と捉えているのだと思います。
『伐採』の舞台化において、ルパは、小説にはない要素をいくつもつけ加えています。鴻さんが重要な人物として指摘された女優のヨアナ・トゥルについてもそうです。小説には、葬式の後でディナーに招待された、とだけ書かれていて、彼女がどういう人物であったかは一切説明されていません。国立劇場の女優で、芸術家としてはそれほど業績のない人が、劇場の慣習を破るためにワークショップを開こうとした、という話は、まったく別の文脈で、ほんのちょっとだけ、出てきますけどね。ですから、あの映像の中で話されていることのほとんどは、演じている女優、マルタ・ジェンバの即興です。また、ベルンハルトの小説の舞台はオーストリアのウィーンですが、ルパはそれをポーランドに置き換え、ある種の遊びを用意しました。小説では、パーティーに集まっためんめんは、ブルク劇場(ドイツ語圏の現代演劇を代表する劇場)の俳優を待っているという設定ですが、舞台版ではそれが、ポーランド国立劇場、テアトル・ナロドヴィで『野鴨』を演じている俳優を待っているということになっています。そして実際に、それを演じる俳優は、ただ一人、国立劇場からわれわれの劇場に客演しているんです。そこに現実とフィクションとの戯れがあります。どこまでが現実でどこまでがフィクションなのか、その境目を曖昧にするのも、ルパの意図したことです。
鴻 この作品について、ポーランドではどんな議論がされていますか。
ルツキ 『伐採』についてはもう、絶賛の嵐でしたね。はじめのうちは「芸術家の世界を扱った、閉ざされた業界の芝居だ」というような見方もよく目にしましたが、長い間上演されるにつれて、「これは芸術家の業界話ではなく、理想を持つすべての人間に当てはまる話だ」と理解してもらえたようです。お金でも名誉でも、自分が達成した成果を売り物にしてはいけない、というのがこの作品のテーマで、それはすべての職業に対していえることです。グロトフスキも同じことを、「神聖な芸術家」と「売春婦としての芸術家」という言葉を使って問題にしています。
この芝居は、パーティーを開いたホストの妻と、(客人の一人であった)ベルンハルト本人との対話で終わります。そこで妻は「ここで今夜見たことは書かないでください」という。しかし、ベルンハルトは実際にそれを書いていますよね。リハーサルでルパは、このシーンについて「ベルンハルトはこの世界の外側にいるように存在する」と言っていました。彼も芸術家たちのサロンの一員ではあったけれど、自ら身を売るようなことはしまいと意識していた。だからといって彼が特別優れているわけではなく、多少はましだというだけですが。
鴻 ベルンハルトが屋敷を去り、歩いていく場面の演出はうまいですね。あの終わりかたはとても美しかった。
ルツキ 初めてリハーサルで観たときは、いい芝居だとは思わなかったんです。私自身、グロトフスキやカントルに学んできましたから、文学を舞台化するのは演劇じゃない、演劇は自立すべきだと思っています。ところがルパはこの『伐採』を文学で終わらせてしまっているじゃないかと。でも、今は違います。複雑な状況を前にどこへ向かえばいいのかわからないでいる芸術家の姿が、あの結末には見事に表現されている。ですから私も、鴻先生のご意見に大いに賛成します。
※1スタニスラフ・ヴィトキェヴィチ(1885-1939): 画家、写真家、小説家、劇作家、芸術理論家。ヴィトカッツィは筆名。ポーランドの前衛芸術の先駆者で、純粋形式フォルマリズムを提唱し、不条理劇の完成に取り組んだ。ロシア革命を目撃し、共産主義の必然と脅威を体験、ソ連のポーランド侵攻に際して自殺。
※2『野鴨』: 『野鴨』では、13歳の少女の自殺への道程が描かれ、「食卓の13人目」という台詞も印象的に用いられる。
撮影協力:ポーランド広報文化センター
スタイリッシュな空間に映し出される、芸術と社会の退廃 『Woodcutters ― 伐採 ―』
洗練された空間設計と深い教養に裏打ちされた鋭い批評性で知られるポーランドの巨匠、クリスチャン・ルパの話題作がついに日本初演を迎える。オーストリアの作家、トーマス・ベルンハルトの小説をもとにした本作の舞台は、自殺した女優の葬儀の後に開かれた「アーティスティック・ディナー」。国立劇場の俳優、作家、ホストをつとめる地方劇場の支配人夫妻……パーティーに集う人々は、友人の弔いもよそに、いつものように酔い、不平不満と自虐、自慢の応酬を繰り広げる。いつ終わるとも知れぬ空虚な時間。だがやがて、彼らは本音を吐露し、互いを批判し始め――。続きを読む→
翻案・美術・照明・演出: クリスチャン・ルパ
作: トーマス・ベルンハルト
東京芸術劇場 プレイハウス 10/21 (金) ─ 10/23 (日) チケットはこちら→
ピョトル・ルツキ(Piotr Rudzki)
演劇学者。ヴロツワフ・ポーランド劇場ドラマトゥルク。1995年から2000年にかけてデリー大学(インド)で教鞭をとり、現在ヴロツワフ大学准教授。ポーランド現代演劇を専門とし、2013年に出版したヴィトカツィに関する著作では1956年から1989年までのポーランド演劇に関する包括的な視点をもたらした。1994年よりポーランドの演劇雑誌『Notatnik Teatralny(Theatrical Notebook)』の編集委員を務め、クリスチャン・ルパに関する記事も多数執筆している。
鴻 英良(演劇批評家)
1948年生まれ。専門はロシア芸術思想。ウォーカー・アート・センター・グローバル委員、国際演劇祭ラオコオン芸術監督、京都造形芸術大学舞台芸術研究センター副所長を歴任。『シアターアーツ』『舞台芸術』など数々の演劇雑誌の編集長も務めた。著書に『二十世紀劇場ー歴史としての芸術と世界』(朝日新聞社、1998)など。
■ 10/22 (土) 11:00-12:30 スペシャルトーク決定
東京芸術劇場プレイハウスロビーにて ※どなたでも入場可 (要予約。定員50名。)
・ゲスト:クリスチャン・ルパ
・モデレーター:鴻英良(演劇評論家) 詳細はこちら→
あわせてぜひこちらもお読み下さい。
F/T Focus vol.4 クリスチャン・ルパの『伐採』 池田信雄
ポーランドの演出家クリスチャン・ルパは自ら翻案したトーマス・ベルンハルトの小説『伐採』を、国立ヴロツラフ劇場の舞台に掛け、2014年のポーランドの演劇賞を総なめにした。 続きはこちら→
■F/Tトーク トーマス・ベルンハルトとウィーン演劇
『Woodcutters ― 伐採 ―』の原作者トーマス・ベルンハルトとはどのような人物で、その作品の魅力とは?
オーストリア演劇が専門の寺尾 格先生をお招きし、原作の舞台でもあるウィーンの演劇事情についてお話を伺います。
・講師:寺尾 格 (専修大学教授)
・日程:10/19(水) 19:00
・入場料:500円(予約優先)
・会場:東京芸術劇場 アトリエイースト
■F/Tトーク ポーランド演劇の最前線
クリスチャン・ルパは1983年からクラクフ国立高等演劇学校で後進の指導にあたっており、現代ポーランド演劇を代表する数々の演出家を輩出してきました。
F/T15で開催した「ポーランド演劇の現在形」では、20代〜40代の3世代にわたる演出家の活動を紹介しましたが、本トークはその続編として、最も若い世代のポーランド演劇に詳しいグジェゴシュ・レスケ氏から彼らの作品の実験性やレパートリー性に関するお話を伺います。
・講師:グジェゴシュ・レスケ(アートプロデューサー)
・日程:10/20(木) 19:00
・入場料:500円(予約優先)
・会場:東京芸術劇場 アトリエイースト