フェスティバル/トーキョー トーキョー発、舞台芸術の祭典
常に社会と演劇の新しい関係を模索しつづけ、世界の演劇シーンを盛り上げるスペインのアーティスト、ロジェ・ベルナット。 シチュアシオニスト運動の影響を受けた本作では、劇場を飛び出し、街の中でその理論を展開する。
TVやインターネットの普及に端を発するメディアの多様化によって、「公共領域」そのものも変化しうる現代。 そうした社会の潮流の中でロジェ・ベルナットは、生の「今、ここ」でしかできない「観客参加型」というアプローチを通じ、個人とパブリックの関係性に言及する。
『パブリック・ドメイン』を上演するにあたっての主たる構成要素は、「ある公共広場」「ヘッドフォン」「いくつかの簡単なルール」そして「観客」――これだけだ。 この演劇に、俳優はひとりも登場しない。この作品では、広場に集まった150人ほどの観客たち全てが参加者となる。 上演する国や都市の地理、歴史などに即した質問がヘッドフォンを通して次々と投げかけられ、観客たちは、その答えに沿った行動指示を受けて、広場一帯を動き回る。 そして気がついた時には、演出家が慎重に練り上げた物語のなかに巻き込まれて、単なる参加者から、唐突に与えられた役割=「支配者」と「支配される者」の演じ手となっている。
このように、『パブリック・ドメイン』は、三次元型プライベート・アンケートのように始まり、いつしか権力構造をもった奇妙なフィクションへとその様相を変え、終幕へと向かう。
ヘッドフォンからの質問は、参加者それぞれの習慣や考え方を暴く、私的な内容となっている。 したがって、観客は自分自身の行動によって、自らのアイデンティティを可視化されてしまう。
時間が経つにつれて、参加者の中からいくつかの小さな集団が生成され、個の寄せ集めだった小さなコミュニティが、社会全体の構造を投影しはじめる。こうして知らず知らずのうちに参加者は用意された共通のフィクションの出演者となってゆくのだ。
また、この実物大ボードゲームかのような演劇の駒となった人々は、同時に互いにとっての観客であることにも気付かされる。 出演者兼観客たちは、アイデンティティが露呈されてしまうような質問に対し、「正直に行動すること」と「嘘をつくこと」という選択肢の、どちらを選ぶのだろうか。
「われわれは自分自身のアイデンティティを偽って遊ぶことに慣れてしまった。インターネット上でニックネームを付けたり、プロフィールに偽物の写真を載せたりすることは、ごく一般的に行われている。
そして、それは決してインターネット上だけにはとどまらない。われわれは常に、ある状況や、自分に向けられているであろう期待に応じて行動する生き物なのだ。」 (ベルナット)
メディアの多様化によって、人々の個性が失われていくことを危惧するベルナットが本作で問う個とパブリックの関係とは......?
この秋、東京・池袋西口公園に新たな演劇が立ち現れる!!
台本より[仮訳]
抜粋劇評より
最もドラマチックな時、このゲームはグループダイナミックス(権力者との関係、暴力に対してのわれわれの反応)を問いながら、感動的な場面を作り続けている。『パブリック・ドメイン』は楽しいゲームの枠を大いに超えている。参加者を変えられる力を持つ珍しい経験の一つである。 Alexandre Vigneault (La Presse)