ある一定の国に長期間住みつづけ文化を享受していると、自国に蔓延る文化のすべてが「正常」であるという無反省な誤認に至りかねない。それは自分の家族の常識が正常であるという無根拠な思いこみに十代の子供が陥ってしまうのと同様の方程式であり、それこそ客観性がないゆえに、揺るぎない不文律のヴェールとしてその文化圏の人間を知らずに覆ってしまう。去る11月、日本とルーマニアという特異な2カ国の舞台芸術祭を立て続けに視察してまわったことで、いかにこうした「正常」さが、その国の社会的、経済的、政治的、時代的、土壌によって人工的かつ必然的に生成されたものであるかということを改めて痛烈に認識した。
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「なぜ、人は劇場に足を向けるのか」。筆者の場合はそこにまず、職業がシアター・ジャーナリストであるという自明の理由が存在する。ただその職をなぜ飽きずに十数年も続けているのか。あるいは日本だけではあきたらず世界の劇場を訪れるのか。今回のフェスティバル/トーキョー公募プログラムは、この問いに対しての答をより明快にし解き明かしてくれた。
日本滞在中の1週間で観劇した舞台は、80年代生まれの日本人作家5組(KUNIO、鳥公園、バナナ学園純情乙女組、ロロ、捩子ぴじん)による作品。ロンドンから日本に飛ぶ十日ほどまえに、主に70年代生まれの日本人作家を主題にとる拙著を脱稿したばかりだったこともあり、意図せずして、70年代世代と80年代世代の比較、という立地点から後者であるテン年代作家の特性を立て続けに認識させられることとなった。
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I should start this essay with the simplest question: Why do people go to the theatre? I myself as a performing art journalist have a bluntly self-evident reason: it's my job. However, why have I continued doing this for over ten years? Not only in my home country Japan but around the world? There should be some plausible reason other than just for the sake of paying the bills. This year's F/T Emerging Artists Program elucidated, to certain extent, the answer to this question.
During my one-week visit to Japan I took in performances by five groups of Japanese theatre practitioners born in the Eighties: KUNIO, Bird Park, Pure BANANA girls class, lolo and Pijin Neji. And as ten days prior to flying from London to Tokyo I had just completed my book on Japanese theatre artists born in the Seventies, involuntarily, I found myself comparing the two generations of practitioners and subsequently made aware of the salient characteristics of the so-called "eighties babies".
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