F/T09秋劇評コンペアーカイブ

 今回の劇評コンペの審査に参加して、私がこのコンペには意味があると思ったのは、大筋において応募劇評の質が後半に行くにしたがって徐々に向上していっていると思えたからである。これは応募者がすでにUPされた原稿を読み、それを意識しながら書いたからではないかと私は想像した。あるいは、複数回応募した人は自分の前の原稿をも批評の対象にしたのではないかと私はしばしば思ったのであった。劇評は舞台芸術に対する批評であるが、それと同時に、その批評の質を上げるのは、イリヤ・カバコフが「作家は自分の作品を二度見る」の中で書いたように、自らの批評に対する自己批評性を獲得するかどうかにもあるのだと私は思う。

 今回の劇評コンペについては、次々とHP上にアップされていく投稿劇評を読みながら、評価のためのクライテリアを考えつつ、メモを取っていった。それらのメモは、まずは「〜ではない」という否定形になった。「観劇体験記ではない」「描写だけでは成立しない」「モノローグではない」「劇評/批評は自己表現だが、ベタな自己表現ではない」。まとめてしまえば、今回求められている劇評はブログ的劇評ではない、と言い換えてもよい。さらに、「原作/戯曲テクストがある場合、それを読むべき」、「調査すべきことは調査すべき」、「問題提起や分析が明示的に書き込まれているべき」といった幾つかの「〜べき」も加わった。このメモに従って候補作を絞ることになったが、そこから先は、それぞれの劇評が取り上げた作品についての審査員個々人の見解や劇評の文章そのものの力が評価の論点となるので、ある程度は相対的たらざるをえない、と私は考えた。

 今回選ばれた三作は、演劇やパフォーマンスの作品を批評するとはなにかということを単に技術的な側面だけではなく、その本来的な要素を含めて、改めて考えさせる機会にもなっていたと思います。
 特に堀切氏の『Cargo Tokyo-Yokohama』への評は、作品に真摯に対峙しながら、批評を書くものとしてのリスクを背負う覚悟がありました。それは、鋭く対象に踏み込む姿勢に現われています。なぜ素晴らしいものになるはずであったこの作品がこのような事態に陥ってしまったのか、時に筆が滑りすぎる観はあるものの、熱い想いをあくまで理論へと転化して、丹念に調べて書いていました。それは作品の問題点と可能性を吟味した批評の本質的なものをあらためて認識させるものでした。

12月20日(日)にF/TステーションでF/T09秋劇評コンペ優秀賞発表・講評会が行われました。
受賞者の皆様、おめでとうございます!


<優秀賞受賞作品>

柴田隆子氏 美しい静寂の地獄絵図 ―『神曲―地獄篇』 

堀切克洋氏 「本物」はどこにあるのか――『Cargo Tokyo-Yokohama』評

百田知弘氏 『あの人の世界』 劇評


追って審査員の皆様からの各作品・全体についてのご講評をアップいたします。
どうぞお楽しみに!