12月20日(日)にF/TステーションでF/T09秋劇評コンペ優秀賞発表・講評会が行われました。
受賞者の皆様、おめでとうございます!
<優秀賞受賞作品>
柴田隆子氏 美しい静寂の地獄絵図 ―『神曲―地獄篇』
堀切克洋氏 「本物」はどこにあるのか――『Cargo Tokyo-Yokohama』評
百田知弘氏 『あの人の世界』 劇評
追って審査員の皆様からの各作品・全体についてのご講評をアップいたします。
どうぞお楽しみに!
12月20日(日)にF/TステーションでF/T09秋劇評コンペ優秀賞発表・講評会が行われました。
受賞者の皆様、おめでとうございます!
<優秀賞受賞作品>
柴田隆子氏 美しい静寂の地獄絵図 ―『神曲―地獄篇』
堀切克洋氏 「本物」はどこにあるのか――『Cargo Tokyo-Yokohama』評
百田知弘氏 『あの人の世界』 劇評
追って審査員の皆様からの各作品・全体についてのご講評をアップいたします。
どうぞお楽しみに!
客入れのとき、劇場に入ってまず驚いたのは「音」だった。"INFERNO"というネ
オンが舞台上でシネマの暗黒街のように瞬いていて、スピーカーからネオンの爆ぜるバチビ
チという音が鳴り響いていたのだ。その音の暴力的なこと。「ネオンから漏電しているわけ
ではない」ことは当たり前に知れているのに、それでも感電のイメージが繰り返し想起され、
開演を待つあいだ身体が縮んでいた。
まず僭越ながら私の個人的なことを語らせていただくと、大学の卒業論文を1ヶ月後に提出しなければならないし卒業後の進路も決まっていない。芝居など見ている場合ではない。ないのだが、ひょんなことからチケットをいただいてしまい、さらに前評判の高さについ惹かれて劇場にやって来た。そして劇評などほとんど読んだこともなく、ましてや書いたこともなかった私だが、ものすごい感動に駆られて文章にせずには居られなかった。あんなに綺麗な舞台は見たことがなかった。
「その旅は、『暗黒の森』すなわち、この芸術家の罪の意識から始まる。では、彼の罪、もしくは彼が落ちた穴とは一体何なのだろうか?彼の作品だろうか?」
自ら演出し、かつ暗い森に迷う芸術家役で舞台に登場しさえした「地獄篇」について、かく語る張本人-イタリアの鬼才ロメオ・カステルッチの「神曲」三部作世界ツアーは、仏アビニョンでの初演から1年半を経て、ここ東京で幕を閉じた。そのスケールの壮大さゆえか、または「演劇は時間をかけて観客の記憶の中で反芻され、発展していく」との信念からか、再演は行わない意向という。
であればこそ、その最初で最後の日本上演に立ち会えた幸いを噛み締めたい―これこそ、彼が穿った穴を覗き込んでの率直な思いだ。たとえそれが、の闇へと、彼もろとも落ち込むことを意味するとしても。
耳障りな電子音がロビーにまで響いている。舞台上には文字をかたどったライトがおかれ、白い光がちかちかとまたたいているのが見える。時折、ビィーンというひときわ大きな音が鳴り響く。薄暗い客席は、空気もどことなく白く煙り、開演前から異様な雰囲気に包まれている。ライトの文字は裏返しになっており「INFERNO」と読める。つまり客席側の空間が、舞台に対し「地獄」として展示されているのだ。開演時間になりライトが片付けられる。男が一人登場し、「私はロメオ・カステルッチ」と名乗る。そう、彼はこの作品の演出家だ。それゆえダンテと同じように、主人公として自らの作った地獄を巡礼するのだ。
演劇は、文化の機能を果たしているのだろうか?社会学者樫村愛子は、人が社会に対峙し、参入する際に「移行空間」すなわち「人が主観的に生きている世界と現実の橋渡しをし、人間にとって常に外傷となりうる新しい現実との出会いやその処理を本人にとって無理のない形で受容させる装置 1」が必要となることを示す。この、人の主観と現実(社会)との橋渡しの装置として樫村が注目するのが文化であるのだが、樫村は、現在の文化状況が橋渡しとして機能していないと警鐘を鳴らしている。樫村の指摘は私に問いを立てさせる。我々は、現在の芸術に、社会との接点を見つけることができるのだろうか。芸術は、我々の現実社会での生のあり方に、なんらかの思考を促してくるのだろうか。アニメ、映画、演劇、これらに樫村の言う意味での文化の役割を期待することなど、ほとんど不可能なのではないのか。そんなことを思う12月の中旬、私は、この文化状況への判断を打ち破るような劇に出会った。イタリアからやってきた、ロメオ・カステルッチの「神曲―地獄篇」である。それではこの劇について語っていこう。
12月11日は冬の雨が降り、しきりと皮膚から温度を攫った。
池袋西口を抜け折り畳み傘の弱さと濡れてインクの掠れた地図を持て余し辿り着いた会場で冷えた体を温める。私と、同行した友人は駅直通の出口があると知らな かった。時間よりも随分早く辿り着いてしまった無聊をこれから始まる演目への期待を語り慰め迎えた20時半7分前、私たちを迎える最初の演出として爆音か、さもなくばうんと聞き取り辛い音で流されれば良かったのにといった程度の微妙なボリュームで場内を満たすノイズ。客席に向いた"INFERNO"は要するに講演開始に先駆けおまえたちの居る場所が地獄だと通告する役なんだろう。開始直前文字は取り払われ残るは""のみとなり地獄の在りかの反転を示唆す る。