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2022/07/12

トーク 「舞台芸術はアーカイブ③ ~アーカイブのパフォーマー~」ゲスト:ユニ・ホン・シャープ<後半>

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アーカイビングF/T オンライン連続トーク

「舞台芸術はアーカイブ:消えるものの残し方と活かし方」

15:00-15:50 セッション1「アーカイブのパフォーマー」

ゲスト:ユニ・ホン・シャープ モデレーター: 長島 確、中島那奈子



ユニ すみません。実は、最初から嘘をついていました! 隔離期間は終わりました! 今、京都にいます(笑)。『ENCOREプロジェクト』は本当です。


長島 どおりで不思議な感じがしていました(笑)。


ユニ そうですよね。先日、日本で長島確さんと打合せをして、一緒に武蔵野市に石井漠さんの研究所があった地域を見に行きました。そこで撮った写真も資料に紛れ込ませていました(笑)。


中島 嘘をつくことは、けっこう大事なことだと思います。「嘘か? 本当か?」というのは、アーカイブ資料を用いてレクチャーパフォーマンスをすることに本質的に繋がってくる。もしかするとあったかもしれない過去をパフォーマンスに組み入れることは、新しい歴史を立ち上げることだと思うんですよ。


長島 すごく面白い話でしたね。脳みそに負荷がかかって、頭を抱えています(笑)。アーカイブについてのトークの中で、こういったことを紹介していただけることで考えますし、広がりますよね。ユニさんが隔離期間中だということはフィクションですし、資料として見せてくださった写真も実際のものではなくユニさんが再現したものですよね。けれども事実関係やリサーチに基づいている。そうした場合に、実際のアーティストやパフォーマンスのアーカイブがどう残ってるのか、資料がどう辿れるのか、何が残っていて何が残っていないのか……こういった作品を作る上でとても決定的だと感じました。これをどこからどう解きほぐしたらいいんだろう……。


ユニ 参考にしたものについてお話しすると、まず、崔承喜の映像は本当にほとんど残っていないので、本を読みました。さっき紹介した李賢晙さんの『「東洋」を踊る崔承喜』のようなとても良い本に出会えて幸せでしたね。あと、在日コリアンダンサーの方など崔承喜の踊りを知ってる人物に会ったほか、新聞記事のレビューも参考にしました。フランス人が書いたものも、クオリティや文章量に差はありますけれど、わりと残っていました。そういったさまざまなものを参考にしています。掘ったらまだなにか出てくるかもしれないので、京都や城崎でさらにリサーチをしていこうと思っています。


長島 具体的にどうやって調べていくんですか? たとえば良い本に出会ってから、その本が使っている資料に当たっていくんですか?


ユニ 本はとても効果的ですね。というのも『「東洋」を踊る崔承喜』には年表が付いてたので、何年にどこでどういう公演をしているかがわかる。その時期のその地域の新聞にはなにか載っているかもしれない……という推測ができる。フランスの場合は図書館のアーカイブがオンラインでも見られるようになっているので、年代や名前で検索しました。「チェ・スンヒ」だとあまり見つからなかったので、当時の呼び方である「さいしょうき」で検索したら出てきたりしました。また、私は在日コリアンコミュニティ出身なので友達の友達に人づてで「崔承喜の踊りを知っている舞踊家を紹介してくれませんか?」と聞きました。でもそうやって掘っていってもなにも出ないこともあるわけですよね。たとえばこの間、武蔵境を確さんと散策したじゃないですか?


長島 ええ。


ユニ なんにも残ってない! 90年という時間を感じました! うろうろしていると、「古そうだよね?」という跡はあるんですが、確信できない。それでも、200年前ならまだしも90年前だからなにかあるかも……という期待感もあった。自分と90年前との距離感を強く感じましたね。見つからないということもひとつの答えかなと。


長島 そうですね。街並みも違うし、家もほぼ建て替わっていました。道路は拡幅されていたり、塀が建て替わっていたりもするので、「当時はこんなふうだったかも」ということもわからないですよね。


中島 ひとつお聞きしたいのは、なにを見つけたいと思っていたんでしょうか? というもの、特定の演目にフォーカスして探すこともできるのかもしれないけれど、崔承喜の生きた経路を網羅的に探っていらっしゃる感じがする。なにをどう探しているのか、選び方の決定打を教えてもらいたいです。


ユニ 今回は網羅的だったんですが、今一番知りたいのは、1942年の帝国劇場でおこなわれたと言われるレクチャーパフォーマンスについてですね。まだ詳しい情報にたどり着いていない。やはり映像がないのでわかりにくい。まぁ、映像があってそれをもとにレクチャーパフォーマンスを作っても、素晴らしいものになるわけではないかもしれないですが……。ほとんど情報がないので、考えどころですね。


ただ、昔のことをアーカイブを手がかりに繰り返そうという時に、「どういうアーカイブが残っているか」よりも「今やったらどういう効果を持つのか」を考えなきゃいけないなと思っています。たとえば映像があれば、その映像通りに繰り返すことは可能ですよね。でもそれによる効果は、当時の効果とは異なる可能性がある。そのため、効果について考えた方がいいのかなと思っています。たとえば、どのように踊りが伝えられたのかを考えてみると……在日コリアンコミュニティでは船の上で踊りが伝わったという話は、まず、ほぼ言い伝えの領域なんですよ。テキストが残っているわけじゃない。それでもし船の上で伝えられていたとして、当時は船だったことが、現代では飛行機に置き換えられるだろうか、と試してみる。現代で繰り返してみた時にどういう効果を持つかに興味があるんです。たとえば石井漠の研究所があった武蔵境に、今はおそらく研究所自体はなくても、研究所のような家があったりするんですよ。「これはきっと石井漠の研究所だったんじゃないか!?」とフィーリングにグッとくるような家があって、さきほどのスライドにもさりげなく紛れ込ませました(笑)。繰り返してみるなかで、そういう家や、美味しい蕎麦屋さんが見つかったりする。だから今は、繰り返したらどうなるかの実験をしているんです。


中島 セッション1で三浦直之さんが、海外でハトを見て、同じ日本のハトを思い出して泣いてしまった……という話を思い出しました。ユニ・ホン・シャープさんは時間を越えて、同じお蕎麦屋さんや建物を見ているんですね。


ユニ そうですね。記憶って、突然バッと時を越えてやってきますよね。


中島 効果の変化についても、「時代が変わった」と言うこともできるし、「観客が変わった」とも「テクノロジーが変わった」とも言えますよね。何ヵ月も船で旅をしていた昔と、1日で飛行機で飛べる今とでは、私達の感覚も人との関係も空間もきっと違う。


ユニ そうですね。Netflixに『隔たる世界の2人』という30分ほどの短編SF映画があるんです。すごく面白いんですが、ちょっとネタバレしますね...! この映画はループもので、黒人の方が警官に殺される運命を何度も辿るんですよ。でも記憶があるので、殺された後にまたハッと目が覚めて、また殺されないように頑張る。それでもどうせ殺されるんですよ。その人は過去の記憶を使って、現代で異なるやり方で生きていこうとするんですけど、いつも失敗する。でも、「いつかはこのループから抜け出せるんじゃないか」と期待してしまう。記録やアーカイブは武器になるから。


中島 そうですよ。アーカイブはループだ、という例えもできると思います。資料として、モノとして、いつまでも永遠に生き続けるからアーカイブなんですよね。人間は死んでしまうし、建物は壊れるけど、アーカイブは理論的には永久に引き継がれて存在する。それはループしていくことだと私は思っています。ループすることで、ヘテロトピアというか、時空を飛び越している感覚ですね。ちょっと怖い。まぁ、即身仏も怖いですけど。


長島 (笑)


ユニ アーカイブを燃料にぐるぐるしていく感じですよね。やっぱり燃料がないとループができない。


長島 すごく面白いですね。不思議な気持ちになりました。おそらくひとつのやり方として、過去の上演──たとえば1942年の帝国劇場の公演を調べて再現することはできる。けれどもユニさんは、それとはずいぶん違うやり方をされていますね。武蔵境に行ってみて、何も見つからないことも大事だと。作品の再現というより追体験のようなことが大事な要素とされている。その違いが面白いと思いました。


さらに、プレゼンテーションの中の写真を見て、リ・エナクトメントとも通じる気がしました。リ・エナクトメントとは、歴史上の出来事を実演で再現するようなことを言います。アートだけでなく、アメリカで南北戦争のコスプレをして大人数で現地でやってみたり、日本でも鎧甲冑を着て関ヶ原をコスプレパレードする武者行列のようなものだったりと、歴史について再現・実演されています。それと、現代の体験との繋がり方がとても面白いと思いました。そのあたりについて、ユニさんのフォーカスポイントやこだわりはあるんですか?


ユニ なるべく緻密に、昔あったことを卓越した身体能力を持って再現していく、ということはもちろんすごいことだと思うんですよ。たとえばバレエもそうですよね。昔のことを体験できる身体能力や才能がある方、伝統を受け継いでいる方のことはとても尊敬しています。ただ、自分にはそういう能力はないんですよね。崔承喜の踊りをすごく美しく再現することはたぶん私にはできないんです。


さきほどリ・エナクトメントの話がありましたけれど、私の出身がパフォーミングアーツではなくパフォーマンスアートなんです。ビジュアルアートにルーツがあるんですね。そのため捉え方がパフォーミングアーツの方とは違うのかもしれません。 中島 最後にひとつだけ質問していいですか? ユニ・ホン・シャープさんは、もし崔承喜さんが生きていらしてひとつだけ質問できるなら、何を聞きたいですか? ユニ え~! ひとつだけ!?……「武蔵境で蕎麦を食べましたか?」とか聞いてみたいですね。武蔵境にとても美味しい蕎麦屋さんがあったので、崔承喜が武蔵境ですごく美味しい蕎麦を食べていた可能性もあったかもしれない。もし食べていたら、心の距離がちょっと近づきますね。武蔵境で美味しい蕎麦を食べた仲間として(笑)。そういったことが、さきほど言われた追体験にも少し関わってくるのかもしれないですね。すみません、こんなヘンテコな答えで。


中島 いえいえ、ありがとうございます。


長島 ひとつユニさん宛のコメントが来ています。「シャープさんへ。今回のアーカイブについてのテーマとは外れるのですが、先ほどのレクチャーパフォーマンスのお話がとても面白かったです。同じ石井漠研究所に留学していた台湾舞踊家、蔡瑞月(Tsai Jui-yueh)についての研究発表を聞いたことがあり、台湾に行った時に宿泊した所の近くにそのアーティストの方のスタジオがたまたまあって、時空を旅したようなぞっとするような感覚になったことを思い出しました」。名古屋大学のイベントのリンクを貼ってくださってます。


ユニ 台湾に行きたくなりましたね。ありがとうございます。時空を旅する感覚やぞっとするような感覚って、確かにちょっと怖い感じがしますね。


長島 ユニさんのパフォーマンスも楽しみです。もっといろんなお話ができる機会がぜひありますように。どうもありがとうございました。


(テキスト・河野桃子)

前半はこちら

ユニ・ホン・シャープ

アーティスト。パリと東京の2拠点で活動。作品は多くの場合、場所の歴史や個人的な記憶の考察から始まり、規範化した属性より構築されたアイデンティティへの疑問から、その複数性と不安定さを探求する。2022年には城崎国際アートセンターにてプロジェクト《ENCORE》を滞在制作予定。また、コレクティブMapped to the Closest Addressと協働しHonolulu-Nantes(フランス)でダンス・スコアを制作。ICA京都特別研究員。 https://www.yunihong.net

長島確

専門はパフォーミングアーツにおけるドラマツルギー。大学院在学中、サミュエル・ベケットの後期散文作品を研究・翻訳するかたわら、字幕オペレーター、上演台本の翻訳者として演劇の現場に関わり始める。その後、日本におけるドラマトゥルクの草分けとして、演劇、ダンス、オペラからアートプロジェクトまでさまざまな集団創作の場に参加。フェスティバル/トーキョーでは2018〜2020年、共同ディレクターの河合千佳と2人体制でディレクターを務める。東京芸術祭2021副総合ディレクター。

中島那奈子

老いと踊りの研究と創作を支えるドラマトゥルクとして国内外で活躍。プロジェクトに「イヴォンヌ・レイナーを巡るパフォーマティヴ・エクシビジョン」(京都芸術劇場春秋座2017)、レクチャーパフォーマンス「能からTrio Aへ」(名古屋能楽堂2021)。2019/20年ベルリン自由大学ヴァレスカ・ゲルト記念招聘教授。編著に『老いと踊り』、近年ダンスドラマトゥルギーのサイト(http://www.dancedramaturgy.org)を開設。2017年アメリカドラマトゥルク協会エリオットヘイズ賞特別賞。

アーカイビングF/T オンライン連続トーク
「舞台芸術はアーカイブ:消えるものの残し方と活かし方」

日程 ライブ配信:2022年3月5日(土)14:00-19:15
<配信は終了しました>

アーカイビングF/T

フェスティバル/トーキョー(F/T)は、2009年から2020年まで、13回にわたって開催されました。舞台芸術を中心に、上演・上映プログラム数204、関連イベントもあわせ、のべ77万人の観客と出会ってきました。これらの出来事を通じて、国内外にまたがる多くの人々や作品が交差し、さまざまな活動・交流の膨大な結節点が生み出されました。 上演作品やイベントは、「もの」として保存ができません。参加者や観客との間で起こった「こと」は、その場かぎりで消えていきます。しかしそのつど、ほんのわずかに世界を変えます。その変化はつながって、あるいは枝分かれして、あちこちに種子を運び、芽ばえていきます。 F/Tは何を育んできたのでしょうか。過去の記録が未来の変化の種子や養分になることを願い、13回の開催に含まれる情報を保存し、Webサイトを中心にF/Tのアーカイブ化を行います。情報や記事を検索できるデータベースを作成し、その過程で過去の上演映像セレクションの期間限定公開や、シンポジウムを開催します。

 
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