トーク 「舞台芸術はアーカイブ③ ~アーカイブのパフォーマー~」ゲスト:ユニ・ホン・シャープ
アーカイビングF/T オンライン連続トーク
「舞台芸術はアーカイブ:消えるものの残し方と活かし方」
15:00-15:50 セッション1「アーカイブのパフォーマー」
ゲスト:ユニ・ホン・シャープ モデレーター: 長島 確、中島那奈子
中島 ユニ・ホン・シャープさんはパリとフランスの二拠点で活動されているアーティストで、アーカイブ資料を使ったレクチャーパフォーマンスの作品を作っています。その作品では、日本、韓国、朝鮮など各地で活動されたある舞踊家のアーカイブを活用しています。この舞踊家のアイデンティティには「アーカイブが特定の人物の多様性と流動性の両方を形作る」ということがあらわれていて、それはユニ・ホン・シャープさんご自身が移動しながら活躍されていることとも繋がっているのではないかと思います。
ユニ はい。私はフランスと日本の二拠点で制作をしていますが、コロナ禍で行き来することが大変難しくなり、日本になかなか来られなくなってしまいました。最近やっと日本へ来ることができて、制作に取り掛かろうとしているところです。実は今まだホテルで隔離をしています。隔離ホテルの様子というのはあまりネットに流してはいけないと言われていてですね、なので今日はホテルで隔離される直前の、飛行機内で撮った写真をバックに、お話ししようと思います。
ちなみに、窓の下に写ってるのはシベリアあたりですね。今、このルートの飛行機は止まってしまいました(※ロシアによるウクライナの軍事侵攻により、各航空会社はロシア上空を迂回)。
では、画面を共有しながら、今ちょうど取り組んでいる『ENCOREプロジェクト』についてお話しします。『ENCOREプロジェクト』では、3つの方向性からアプローチしています。朝鮮半島出身の舞踊家である崔承喜(チェ・スンヒ)をめぐる「レクチャーパフォーマンス」の制作、在日外国人の方々を交えた「ワークショップ」、崔承喜のレパートリーを受け継いだ在日コリアン舞踊家との「映像制作」です。制作プロセスでは、崔承喜の持つ大変複雑なアイデンティティのあり方を検証しながら、歴史を異なったやり方で再現します。それにより、今の私達のアイデンティティや、コロナ禍で顕在化した在日外国人問題を再考していきたいというのが概要です。
トークのテーマが「舞台芸術のアーカイブの在り方や使い方について語り合う」ということで、今回のテーマに近いのがレクチャー・パフォーマンスの部分かなと思いました。ただレクチャー・パフォーマンスは現在制作中で、これから城崎国際アートセンター(KIAC)とICA京都にて完成させる予定です。そのため今日は、制作プロセスを軸に、崔承喜に関するアーカイブのパフォーマティブな使い方について経験的に話していきます。
さて、まず崔承喜(チェ・スンヒ)とは誰なのか?という説明から始めますね。崔承喜は1911年にソウルに生まれ、1926年に東京の武蔵境に研究所を構えていたダンサーの石井漠に師事します。
3年ほど石井漠さんの研究所で踊り、朝鮮半島へ帰りますが、また1933年に東京へ戻ってきます。当時はモダンガールとして、広告やグラビア写真で人気を得ました。ちなみにモダンガールとは、1920年代の流行最先端の女性のことで、まず「洋服を着ている」そして「髪の毛はボブカット」「化粧は濃いめ」などの外見的特徴があります。
ユニ 崔承喜が登場する雑誌の広告がいくつか残ってるので2つ引用します。李賢晙(イ・ヒョンジュン)さんという方が書かれた『「東洋」を踊る崔承喜』(勉誠出版/2019年)からです。まず135ページ。
ちなみにここで、私は「さいしょうき」と読みました。これは韓国語読みである「チェ・スンヒ」の日本語読みですね。当時は「さいしょうき」と呼ばれていました。次は同じ本の口絵36番からです。
広告だけでなく、当時の崔承喜はアイドルのように一般の人にも人気があったようです。たとえば、アマチュア写真家を対象にして崔承喜の野外舞踊を撮影する会というものが、1935年に開かれていたようですね。
この時に枡田和三郎(ますだ・わさぶろう)さんという方が映像を撮っています。崔承喜の映像はほとんど残っていないので、超レアな1分23秒のサイレント映像です。また、崔承喜は公演も行なっています。1934年の第1回新作舞踊公演会は、モダンダンスと朝鮮舞踊の二つのジャンルで構成されていました。当時の日本では、モダンダンスよりも朝鮮舞踊に人気が集まったみたいですね。朝鮮は日本の植民地だったので「朝鮮文化は日本の文化の一部だ」という考えもありました。一方、朝鮮では「民族の誇り」と言われたり、逆に「朝鮮文化を十分に再現していない」とも言われていたそうです。これから読む3つのテキストは、先ほどの、李賢晙《「東洋」を踊る崔承喜》勉誠出版、2019年、138-139ページから引用をしています。
また、次に読む3つの引用元は、金賛汀(キン・チャンジョン)さんの『炎は闇の彼方に─伝説の舞姫・崔承喜』(日本放送出版協会/2002年)からです。
崔承喜は、日本や朝鮮で踊った後、1938年より欧米ツアーを始めます。これは第二次世界大戦が始まる一年前です。ニューヨークで公演後、ヨーロッパに行き、フランスではマルセイユなどの地中海沿岸都市や、パリで公演しています。当時のジャーナリストが書いた記事がさまざまな新聞に残っています。いくつか私が日本語へ訳したものを読んでみます。
Le petit journal, 1939年6月18日
私たちヨーロッパ人は、東洋の繊細さを理解できない野蛮人だ。しかし、朝鮮と日本の踊りをまとめて研究することはできる。二つの踊りの大まかな形は似ているが、日本の踊りの方が比較的よく知られており、簡単である。(中略)
ヨーロッパ人は足で、日本人は手で踊る。私たちは常にダイナミックな生活をしており、動くことが不可欠である。日本人は完璧な定住生活に磨きをかけている。
Dominique Sordet, L’action française, 1939年2月3日
極東のダンスは、地理や民族的出自とは関係なく、よく似通っている。
ヒンドゥー、バリ、カンボジア、中国、朝鮮、日本、これらの国に共通した性質は、私たちの目に鮮やかに飛び込んでくる。スタイルやテクニックの違いは、もちろん大切だが、表現の微妙なニュアンスは、ヨーロッパ人の目には映らない。
Albert CH. Morice, Le journal, 1939年2月25日
凶悪な戦争に従事する彼女の国、武装する熱狂的なヨーロッパ。昨年9月フランスでの、彼女の不安な1ヶ月…?(中略)いや、彼女は何も知らないし、何も見なかった。…崔承喜は純粋なアーティストで、リズムと動きの美しさ以外を見ず、世界を通り過ぎる。この若い東洋女性のように、狂気の中にいながらそれを知らず、美しさの夢の中に閉じ込められ生きる存在がいると思うと癒される。
欧米ツアーが終わった1940年代、崔承喜は日本に戻ってきてまた公演を行います。これが日本で公演を行った最後の時期です。アーカイブとしてはパンフレットがいくつか残っています。舞踊写真を元に描いたイラストが載っているチラシもいくつかあって、例えば画家の東郷青児などが描いた絵も残っています。次の画像は、グラフィックデザイナーの鈴木哲生が描いた絵で、写真をもとに描かれています。
1942年には帝国劇場で連続公演があり、マチネではレクチャー形式の公演をしていました。レクチャーでは崔承喜が最初に3つのパートを解説し、門下生達が実践したようです。ひとつ目は東洋舞踊について、ふたつ目は朝鮮舞踊の基本、みっつ目は西洋舞踊の基本を発表したそうです。この公演の時に、崔承喜は警視庁から「次は少なくとも1/3は日本舞踊を入れないと公演許可を出さない」と言われていたようですね。この後、崔承喜は北朝鮮に渡って自分の舞踊研究所を設立し、亡くなったのは1969年とされています。
私の取り組む『ENCOREプロジェクト』には3つのパートがあると初めにお話しました。まず「レクチャーパフォーマンス」で、崔承喜についてのレクチャーをします。
次の「ワークショップ」では、1942年に崔承喜が行ったレクチャーの再現を試みることからスタートしようと考えています。でも当時と全く同じものを再現するわけではありません。まず前提として、2022年に生きる私達にとって東洋的、西洋的、自国の伝統のイメージ、言説、身体表現などが一体どういうものなのかという疑問があり、それぞれの皆さんが持つステレオタイプと遊びながら、現代における割り当てられたアイデンティティについて想像を広げていけるような場を作りたいと思っています。最初に崔承喜のことを知った時に、まず面白いなと思ったのが、彼女は踊る場所によってコロコロと自分の踊りの方法を変えているんですね。私は、このような踊りのアイデンティティの流動性のようなものに興味があります。どのようなイメージと言葉が、崔承喜を「日本」や「朝鮮」や「東洋の美」といったものそれぞれの表現者としたのかを、アーカイブをパフォーマティブに使用しながら検証していきたいと思っています。
最後に「映像制作」をする予定です。そこで扱いたいのが、在日コリアンコミュニティで踊られている踊りです。というのも、現在の在日コリアンコミュニティでの踊りは、崔承喜の踊りが元になっているそうなんです。でも当時、崔承喜は北朝鮮にいて、日本にいる在日コリアンがどうやって踊りを習ったのか、ずっと疑問でした。一昨年、在日コリアン舞踊家の高定淳(コ・ヂョンスン)さんという方にインタビューをした時にお聞きしたところ、なんと、船の中で習ったみたいです。1950年代から80年代にかけての在日朝鮮人の帰還事業で北朝鮮と日本を行き来する船があり、北朝鮮から日本へ渡る船の中に、北朝鮮の踊りの先生がいたそうです。この先生は日本への上陸許可を得ていないので、船から降りることができないんですね。そのため在日コリアンの踊り手が港へ行って、船の上で踊りを習ったそうです。このように、水際で密やかに受け渡された踊りの話がずっと気になっていました。
そんな中、コロナの影響で日本とフランスとの行き来が難しくなっていた時期に、在日コリアン舞踊家の尹美由(ユン・ミユ)さんが崔承喜のレパートリーを踊っている様子を、映画監督の草野なつかさんに撮っていただくことがありました。今ちょうど映っているのがそのキャプチャーです。
国家の事情によって個人の様々な自由が制限されることは、崔承喜のエピソードに限らず今でもあることなんですよね。たとえば、コロナ禍の水際対策でホテルに隔離されたり、戦争によりロシア上空を飛行機が飛ばなくなったり……ということは繰り返し繰り返し起こり得る。こうした時に、過去を使って現代を考えることは、現代をサバイブする一つの手段ではないかと考えています。
まさに今、行っている『ENCOREプロジェクト』のタイトルである「ENCORE(アンコール)」には「もう一度」という意味があります。これらを念頭において『ENCOREプロジェクト』では、城崎の水辺で尹美由さんと映像撮影を行う予定です。
最後に宣伝になってしまいますが、プロジェクトに協力や助成をくださった機関の名前です。ありがとうございます。
今後、城崎や京都などのいろんな場所で製作し、成果発表をしていく予定ですのでお近くの方は是非チェックしてください。ワークショップも開催します。
中島・長島 ありがとうございました。
ユニ すみません。実は、最初から嘘をついていました! 隔離期間は終わりました! 今、京都にいます(笑)。『ENCOREプロジェクト』は本当です。
長島 どおりで不思議な感じがしていました(笑)。
ユニ そうですよね。先日、日本で長島確さんと打合せをして、一緒に武蔵野市に石井漠さんの研究所があった地域を見に行きました。そこで撮った写真も資料に紛れ込ませていました(笑)。
中島 嘘をつくことは、けっこう大事なことだと思います。「嘘か? 本当か?」というのは、アーカイブ資料を用いてレクチャーパフォーマンスをすることに本質的に繋がってくる。もしかするとあったかもしれない過去をパフォーマンスに組み入れることは、新しい歴史を立ち上げることだと思うんですよ。
長島 すごく面白い話でしたね。脳みそに負荷がかかって、頭を抱えています(笑)。アーカイブについてのトークの中で、こういったことを紹介していただけることで考えますし、広がりますよね。ユニさんが隔離期間中だということはフィクションですし、資料として見せてくださった写真も実際のものではなくユニさんが再現したものですよね。けれども事実関係やリサーチに基づいている。そうした場合に、実際のアーティストやパフォーマンスのアーカイブがどう残ってるのか、資料がどう辿れるのか、何が残っていて何が残っていないのか……こういった作品を作る上でとても決定的だと感じました。これをどこからどう解きほぐしたらいいんだろう……。
ユニ 参考にしたものについてお話しすると、まず、崔承喜の映像は本当にほとんど残っていないので、本を読みました。さっき紹介した李賢晙さんの『「東洋」を踊る崔承喜』のようなとても良い本に出会えて幸せでしたね。あと、在日コリアンダンサーの方など崔承喜の踊りを知ってる人物に会ったほか、新聞記事のレビューも参考にしました。フランス人が書いたものも、クオリティや文章量に差はありますけれど、わりと残っていました。そういったさまざまなものを参考にしています。掘ったらまだなにか出てくるかもしれないので、京都や城崎でさらにリサーチをしていこうと思っています。
長島 具体的にどうやって調べていくんですか? たとえば良い本に出会ってから、その本が使っている資料に当たっていくんですか?
ユニ 本はとても効果的ですね。というのも『「東洋」を踊る崔承喜』には年表が付いてたので、何年にどこでどういう公演をしているかがわかる。その時期のその地域の新聞にはなにか載っているかもしれない……という推測ができる。フランスの場合は図書館のアーカイブがオンラインでも見られるようになっているので、年代や名前で検索しました。「チェ・スンヒ」だとあまり見つからなかったので、当時の呼び方である「さいしょうき」で検索したら出てきたりしました。また、私は在日コリアンコミュニティ出身なので友達の友達に人づてで「崔承喜の踊りを知っている舞踊家を紹介してくれませんか?」と聞きました。でもそうやって掘っていってもなにも出ないこともあるわけですよね。たとえばこの間、武蔵境を確さんと散策したじゃないですか?
長島 ええ。
ユニ なんにも残ってない! 90年という時間を感じました! うろうろしていると、「古そうだよね?」という跡はあるんですが、確信できない。それでも、200年前ならまだしも90年前だからなにかあるかも……という期待感もあった。自分と90年前との距離感を強く感じましたね。見つからないということもひとつの答えかなと。
長島 そうですね。街並みも違うし、家もほぼ建て替わっていました。道路は拡幅されていたり、塀が建て替わっていたりもするので、「当時はこんなふうだったかも」ということもわからないですよね。
中島 ひとつお聞きしたいのは、なにを見つけたいと思っていたんでしょうか? というもの、特定の演目にフォーカスして探すこともできるのかもしれないけれど、崔承喜の生きた経路を網羅的に探っていらっしゃる感じがする。なにをどう探しているのか、選び方の決定打を教えてもらいたいです。
ユニ 今回は網羅的だったんですが、今一番知りたいのは、1942年の帝国劇場でおこなわれたと言われるレクチャーパフォーマンスについてですね。まだ詳しい情報にたどり着いていない。やはり映像がないのでわかりにくい。まぁ、映像があってそれをもとにレクチャーパフォーマンスを作っても、素晴らしいものになるわけではないかもしれないですが……。ほとんど情報がないので、考えどころですね。
ただ、昔のことをアーカイブを手がかりに繰り返そうという時に、「どういうアーカイブが残っているか」よりも「今やったらどういう効果を持つのか」を考えなきゃいけないなと思っています。たとえば映像があれば、その映像通りに繰り返すことは可能ですよね。でもそれによる効果は、当時の効果とは異なる可能性がある。そのため、効果について考えた方がいいのかなと思っています。たとえば、どのように踊りが伝えられたのかを考えてみると……在日コリアンコミュニティでは船の上で踊りが伝わったという話は、まず、ほぼ言い伝えの領域なんですよ。テキストが残っているわけじゃない。それでもし船の上で伝えられていたとして、当時は船だったことが、現代では飛行機に置き換えられるだろうか、と試してみる。現代で繰り返してみた時にどういう効果を持つかに興味があるんです。たとえば石井漠の研究所があった武蔵境に、今はおそらく研究所自体はなくても、研究所のような家があったりするんですよ。「これはきっと石井漠の研究所だったんじゃないか!?」とフィーリングにグッとくるような家があって、さきほどのスライドにもさりげなく紛れ込ませました(笑)。繰り返してみるなかで、そういう家や、美味しい蕎麦屋さんが見つかったりする。だから今は、繰り返したらどうなるかの実験をしているんです。
中島 セッション1で三浦直之さんが、海外でハトを見て、同じ日本のハトを思い出して泣いてしまった……という話を思い出しました。ユニ・ホン・シャープさんは時間を越えて、同じお蕎麦屋さんや建物を見ているんですね。
ユニ そうですね。記憶って、突然バッと時を越えてやってきますよね。
中島 効果の変化についても、「時代が変わった」と言うこともできるし、「観客が変わった」とも「テクノロジーが変わった」とも言えますよね。何ヵ月も船で旅をしていた昔と、1日で飛行機で飛べる今とでは、私達の感覚も人との関係も空間もきっと違う。
ユニ そうですね。Netflixに『隔たる世界の2人』という30分ほどの短編SF映画があるんです。すごく面白いんですが、ちょっとネタバレしますね...! この映画はループもので、黒人の方が警官に殺される運命を何度も辿るんですよ。でも記憶があるので、殺された後にまたハッと目が覚めて、また殺されないように頑張る。それでもどうせ殺されるんですよ。その人は過去の記憶を使って、現代で異なるやり方で生きていこうとするんですけど、いつも失敗する。でも、「いつかはこのループから抜け出せるんじゃないか」と期待してしまう。記録やアーカイブは武器になるから。
中島 そうですよ。アーカイブはループだ、という例えもできると思います。資料として、モノとして、いつまでも永遠に生き続けるからアーカイブなんですよね。人間は死んでしまうし、建物は壊れるけど、アーカイブは理論的には永久に引き継がれて存在する。それはループしていくことだと私は思っています。ループすることで、ヘテロトピアというか、時空を飛び越している感覚ですね。ちょっと怖い。まぁ、即身仏も怖いですけど。
長島 (笑)
ユニ アーカイブを燃料にぐるぐるしていく感じですよね。やっぱり燃料がないとループができない。
長島 すごく面白いですね。不思議な気持ちになりました。おそらくひとつのやり方として、過去の上演──たとえば1942年の帝国劇場の公演を調べて再現することはできる。けれどもユニさんは、それとはずいぶん違うやり方をされていますね。武蔵境に行ってみて、何も見つからないことも大事だと。作品の再現というより追体験のようなことが大事な要素とされている。その違いが面白いと思いました。
さらに、プレゼンテーションの中の写真を見て、リ・エナクトメントとも通じる気がしました。リ・エナクトメントとは、歴史上の出来事を実演で再現するようなことを言います。アートだけでなく、アメリカで南北戦争のコスプレをして大人数で現地でやってみたり、日本でも鎧甲冑を着て関ヶ原をコスプレパレードする武者行列のようなものだったりと、歴史について再現・実演されています。それと、現代の体験との繋がり方がとても面白いと思いました。そのあたりについて、ユニさんのフォーカスポイントやこだわりはあるんですか?
ユニ なるべく緻密に、昔あったことを卓越した身体能力を持って再現していく、ということはもちろんすごいことだと思うんですよ。たとえばバレエもそうですよね。昔のことを体験できる身体能力や才能がある方、伝統を受け継いでいる方のことはとても尊敬しています。ただ、自分にはそういう能力はないんですよね。崔承喜の踊りをすごく美しく再現することはたぶん私にはできないんです。
さきほどリ・エナクトメントの話がありましたけれど、私の出身がパフォーミングアーツではなくパフォーマンスアートなんです。ビジュアルアートにルーツがあるんですね。そのため捉え方がパフォーミングアーツの方とは違うのかもしれません。 中島 最後にひとつだけ質問していいですか? ユニ・ホン・シャープさんは、もし崔承喜さんが生きていらしてひとつだけ質問できるなら、何を聞きたいですか? ユニ え~! ひとつだけ!?……「武蔵境で蕎麦を食べましたか?」とか聞いてみたいですね。武蔵境にとても美味しい蕎麦屋さんがあったので、崔承喜が武蔵境ですごく美味しい蕎麦を食べていた可能性もあったかもしれない。もし食べていたら、心の距離がちょっと近づきますね。武蔵境で美味しい蕎麦を食べた仲間として(笑)。そういったことが、さきほど言われた追体験にも少し関わってくるのかもしれないですね。すみません、こんなヘンテコな答えで。
中島 いえいえ、ありがとうございます。
長島 ひとつユニさん宛のコメントが来ています。「シャープさんへ。今回のアーカイブについてのテーマとは外れるのですが、先ほどのレクチャーパフォーマンスのお話がとても面白かったです。同じ石井漠研究所に留学していた台湾舞踊家、蔡瑞月(Tsai Jui-yueh)についての研究発表を聞いたことがあり、台湾に行った時に宿泊した所の近くにそのアーティストの方のスタジオがたまたまあって、時空を旅したようなぞっとするような感覚になったことを思い出しました」。名古屋大学のイベントのリンクを貼ってくださってます。
ユニ 台湾に行きたくなりましたね。ありがとうございます。時空を旅する感覚やぞっとするような感覚って、確かにちょっと怖い感じがしますね。
長島 ユニさんのパフォーマンスも楽しみです。もっといろんなお話ができる機会がぜひありますように。どうもありがとうございました。
ユニ・ホン・シャープ
アーティスト。パリと東京の2拠点で活動。作品は多くの場合、場所の歴史や個人的な記憶の考察から始まり、規範化した属性より構築されたアイデンティティへの疑問から、その複数性と不安定さを探求する。2022年には城崎国際アートセンターにてプロジェクト《ENCORE》を滞在制作予定。また、コレクティブMapped to the Closest Addressと協働しHonolulu-Nantes(フランス)でダンス・スコアを制作。ICA京都特別研究員。 https://www.yunihong.net
長島確
専門はパフォーミングアーツにおけるドラマツルギー。大学院在学中、サミュエル・ベケットの後期散文作品を研究・翻訳するかたわら、字幕オペレーター、上演台本の翻訳者として演劇の現場に関わり始める。その後、日本におけるドラマトゥルクの草分けとして、演劇、ダンス、オペラからアートプロジェクトまでさまざまな集団創作の場に参加。フェスティバル/トーキョーでは2018〜2020年、共同ディレクターの河合千佳と2人体制でディレクターを務める。現在東京芸術祭副総合ディレクター。
中島那奈子
老いと踊りの研究と創作を支えるドラマトゥルクとして国内外で活躍。プロジェクトに「イヴォンヌ・レイナーを巡るパフォーマティヴ・エクシビジョン」(京都芸術劇場春秋座2017)、レクチャーパフォーマンス「能からTrio Aへ」(名古屋能楽堂2021)。2019/20年ベルリン自由大学ヴァレスカ・ゲルト記念招聘教授。編著に『老いと踊り』、近年ダンスドラマトゥルギーのサイト(http://www.dancedramaturgy.org)を開設。2017年アメリカドラマトゥルク協会エリオットヘイズ賞特別賞。
アーカイビングF/T オンライン連続トーク
「舞台芸術はアーカイブ:消えるものの残し方と活かし方」
日程 | ライブ配信:2022年3月5日(土)14:00-19:15 <配信は終了しました> |
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アーカイビングF/T
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