本プログラムについて
ノーベル賞作家、イェリネクが、日本の震災を受けて書き下ろした『光のない。』
三浦基の演出、三輪眞弘による音楽で、ついに日本初演!!
2004年、「社会的通念によって生まれる不条理や強制力を、比類ない言語的情熱で暴露する小説や戯曲において、複数の声とそれに対置される別の声で音楽的な流れを生み出した」としてノーベル文学賞を受賞し、世界的評価も高いオーストリアの作家エルフリーデ・イェリネク。そのイェリネクが、昨年日本で起きた東日本大震災、津波、それに続く福島での原発事故を受けて『光のない。』(原題:Kein Licht.)という戯曲を急遽書き下ろした。
F/T12ではこの戯曲に対し、あらゆるテキストを綿密な解釈により再構築してきた三浦基に演出を依頼、音楽監督には、電気と音、それを享受する人間との関係を深く考察し、先鋭的な手法で現代音楽に一石を投じ続ける作曲家の三輪眞弘を招聘し、日本初演に挑む。
あの日を境に激烈に綴られた、イェリネクの言葉の洪水
「私が書く怒りは未熟な人の怒りだが、その未熟な私はひっきりなしにしゃべり続けている。口さえないとしてもしゃべり続ける。」
エルフリーデ・イェリネク
(ミュンヘン・カンマーシュピーレ劇場「レヒニッツ(皆殺しの天使)」パンフレットより)
震災より前、ドイツのケルン市立劇場から「現代における民主主義」についての作品を書くように依頼されていたイェリネクは、日本での出来事を受けてこのテキストを提供したという。テキストが夏には脱稿されたことから考えると、3月11日の震災が起こってからすぐにこの作品を書き始めたのは間違いないだろう。そしてこの戯曲は、2011年9月30日にケルン市立劇場にて初演された。
二人のバイオリニスト、第一バイオリン「A」と第二バイオリン「B」の二人の対話からなる本作。その声からは、二人が楽器演奏を続けていることが分かるが、彼らは、自分の奏でる「音」、自分たちの「声」が聴こえていない。寒く暗く、叫び声、うめき声、泣き声、騒音がこだまするそ
の場所には何か恐ろしいことが起きた気配が漂い、彼らの演奏を圧倒し無視し続ける。次第に明らかになるのは、彼らが汚染された泥土に流された死者であることだ。だが彼らは沈黙しきっていない、死にきってはいないゾンビのような存在として、状況にイラつき、ひたすらしゃべり続けてい
る。
自分の出した「音」や「声」がどこから鳴りどこへ響いているのか、それすらも分からない状況。この現在の日本を象徴するような混乱と不安の中で、ひたすらに死者の言葉を洪水のように放ち続けること――『光のない。』は、遠い異国であらゆる情報媒体を通じて得た情報とその状況に対する、作家イェリネクの態度を示す一作とも言えるだろう。
イェリネクのテキストの特徴は、登場人物や場所が明確には設定されておらず、言葉がさまざま意味を持ち絡み合う網目のような形式をとっていることだ。例えば『光のない。』で頻出する「光り輝く」「放射能を出す」という言葉はドイツ語では同じ単語であり、これら複数の意味が言葉遊びによって同時に表現されている。彼女のテキストは、哲学、文学、大衆文化やマスメディアなどから引用されたもので、複数の意味を持った言葉と言葉の連なりから、無限にイメージを広げていく。
今回イェリネクが本作で参照、引用しているのは、ギリシャ神話の『イクネウタイ』(ソポクレス)とフランスの批評家ルネ・ジラールが執筆した悲劇と喜劇についての論文。前者は、いなくなった牛の皮が張られた楽器から人々が聴いたことのない音が出てくるという弦楽器の誕生神話、後者は悲劇と喜劇の性質の違いを明らかにしながら人間の涙、浄化=カタルシスについて述べられた文章だ。イェリネクは本作でこの二つのモチーフを利用しながら、「光」(放射能)、「浄化」(津波)、「音」などの言葉のイメージを膨らませ、一つの解に収斂されるはずのない複雑な人間の歴史と現実を掴むための、言語的な体験を観客にもたらす。
「観客にこれを投げる。彼らを実際の状況から守る防御を破るために投げる。」
エルフリーデ・イェリネク
いかに「声」を出すか、いかに「音」を出すか――
この問いに向き合い続けてきた三浦と三輪が挑む
既成の戯曲やテキストを、言葉、身体、光、音などの要素と重層的に関連させながら、「いかに上演するか?」という問題に徹底的に向き合ってきた演出家、三浦基。その根幹になるのが、俳優の身体が舞台上にいかに現前し、発話できるのかという問いだ。俳優を媒介者に、「地点語」と言われる独特の発声法、文節の区切り方を通じて「声」を作り、古今東西のあらゆるテキストを、観客に届けてきた。一方、三輪は、00年に佐近田展康と結成した作曲ユニット「フォルマント兄弟」を主な活動の場とし、テクノロジーと芸術についての問題意識を、コンピューター・アルゴリズムによる「声」の生成に着目した活動に発展させてきた。それは、音の成り立ち、音楽の構造自体を露わにするものでもある。
三浦基と三輪眞弘、この二人がイェリネクの言葉をどのように「声」にし、その舞台にはどのような「音」が生まれるのか。そこには、「死者」の声をいかに聴くことができるのかというきわめて今日的な問いに対する、怒りと深い鎮魂の祈りが込められることになるだろう。
創作にあたって 三浦基×三輪眞弘
――三浦さんがF/Tからの依頼を受け、『光のない。』の上演を決めた理由、この作品でやろうと思われていること、そのあたりからまず伺えますか。
三浦:演劇の領域で言うと、東西ドイツ分断時代に既成の手法を解体してみせたハイナー・ミュラーという20世紀最大の劇作家と言われる人がいて、イェリネクはそれを踏襲する位置にいる作家ということでその息吹は僕にとっては分かりやすい部分があるんです。それでもイェリネクにはなかなか手は出せないなと思っていたんですが、それは我々に共通項がないからです。イェリネクの場合は、ヨーロッパ演劇の文脈全体に立ち向かっていくようなところがあって、これは一筋縄ではいかないぞ、と思っていたんです。 『光のない。』に関して言えば、こういう言い方は誤解を招くかもしれないけれど、「震災」という共通の文脈がある訳ですね。体験しているし、誰もが一応は知っている。そういう意味では今回の上演は観客にとってもかなりアドバンテージがあるんじゃないかと思いました。台本を読んで確信したのは、これは震災のことだけを書いたものではないということ。特に民主主義というテーマに興味を持ったんです。原発賛成とか反対という二元論に陥らない、もう少し深いところの構造を書いているんだということが分かって、やっても良いんじゃないかと思いました。
三輪:なるほど。僕はこれまで演劇に関わりはなかったんですが、最近親しい友人に震災を扱ったこの作品に関わってると言ったら、ちょっと意外なことを言われたんですね。僕は去年オーケストラのために、"Lux aeterna luceat eis, Machina"(ルクスエテルナ ルケアトエイス マキナ)(邦題:『永遠の光...オーケストラとCDプレーヤーのための』)というタイトルの新作を発表したんです。レクイエムの中の「神よ、彼らを照らしたまえ」という一節ですが、僕は「神よ」ではなくて、「機械(=マキナ)よ」、と変えました。これも僕個人にとっては震災を受けての作品です。つまりそれは、人間は人間のために祈ることなんてもうできないんだ、せめてあそこに取り残されていった動物たちのために祈ろうというものでした。今回の『光のない。』は当然その作品と深く関係している、と友人は言ったんです。だけどなぜか分からないんだけど、僕はそのことを自分ではまったく意識していなくて、どうしてなのかとても不思議でした。
『光のない。』には、日頃僕が持っている問題意識が端々に現れてきます。もちろんそこだけを取り出したらすごく偏ったものにはなるのだけれど、例えば「機械は全てを反復する、無にする」という繰り返し出てくる記述などは、「まさにそれを考えてきた」というところがあります。また僕は福島の原発事故以前に『中部電力芸術宣言』というものも書いていて、電気があることを前提にした人類のあり方自体に対する問題意識を持ってきたのですが、イェリネクも違う場所から同じようなところを考えていたに違いないということを、(このテキストから)すごく感じます。もちろん全てが理解できている自信はないですが、放射線の話、光の話、そしてそれがなぜ音の話から始まっているのかということを、今も考え中というところです。
三浦:今のお話は、人間が神に祈ることができるのか、人間が人間を癒すことができるのか、つまり芸術は何に向かって発信されて受容されてきたのかということを、現代音楽の視点からおっしゃっていると思いました。僕も結局演劇で興味があるのは、俳優が観客に向かって「私はナントカだ」という宣言をできるのか、という人間不信のようなものなんです。何の為に芸術があるのかということを考えちゃったのが現代芸術だとすると、「機械」、「機械的に」、「オートマティックに」、「システマティックに」、という要素が出てくると思います。これだけ複雑化した人間社会のなかでシステムを無視して「俺は苦悩している」なんてことはそう簡単には言えないだろうということです。イェリネクも、ある固有の人物が何かを語るという文体ではなくて、なぜ語ってしまうのかっていう現象そのものを語っていると思うんですね。つまりシステムのことです。その点については、三輪さんの音楽を聴いたり本を読んでも、ああ同じ考え方、方向性でやっぱり考えてるんだなって思った事を思い出しました。
今回やりたいことっていうのは、「主体性」というものがどのように移り変わっていくのか、ということがテーマになっていくのではないかと思います。その先にようやく原発の問題を考えたり、神のことや光のこと、宗教的なことも含めてもう一度一から考え直せるんじゃないかと思います。しかもキリスト教の国ではない日本人が考えてもいいんじゃないかなというところまで、イェリネクは引きずり落しているんですよね。もう一度一から考えようぜっていう迫力に、最大の特徴があるんじゃないかなっていう気はしているんです。
三輪:僕がいつも言ってるのは、音楽作品も、歌も、演劇なんてもっとそうだと思うけど、基本「奉納」でしかないんですよね。それで、奉納する相手というのがある意味いなくなっちゃった時代に僕らは生きていて、いなくなっちゃったからやめる訳にも行かないという(笑)、そういう困難な時代ですよね。その辺は僕も三浦さんの話を聞いていて、すっと分かるところです。
三浦:(奉納する相手が)いなくなっちゃったからどうするんだろうね、って目の前の観客に普通に問いかけることができたら、よっぽどの進歩だと思うんですよね。
三輪:うんうん、ですです。
三浦:僕も客席に座ったときになかなか「どうする?」って言われないですよね。どこかで美学を求めたり、どこかで伝統的なものにすがって思考しようとするんで、もし「おい、どうする?」っていっしょに考えられるような作品になったらいいと思いますね。それをイェリネクは暴力的なくらい書いてると思うし、イェリネクの態度は一貫してると思うから。観客に襲いかかるくらいの迫力でときどき書いてありますよ。
――三輪さんは今回演劇の音楽を初めて担当されるという点で、普段の作品づくりとどのように違いますか?
三輪:一つは心理的な効果を担当するつもりは僕はないので、作品の本質的なところで「声」以外に聴こえるものがどういう形でありうるのか、いろいろ考えて三浦さんに提案しているところです。総指揮が三浦さんにあるということははっきり認識しているので、その指揮下で音響現象や人間の声がどういう風になるのか、ちょっとしたノイズかもしれないけれど、それが音楽なんだというスタンスで考えています。極端な話、最後にほとんど音楽はなくなっちゃいました、ということになっても構わないと思ってるんです。考えるプロセスに関わったってことが大事だと思っています。
三浦:そんなに簡単にはやめませんよ(笑)。僕は一つのネタをどう成立させるのか、ということに意識が物凄く向くので、三輪さんが持ってくるネタをそう簡単に「喰えない」と言える訳がない(笑)。さっきの「主体性」の話になりますけど、いわゆるメロディアスな音楽ではなくて、例えばどうして声が発せられるのか、このイェリネクの演劇テキストを通して三輪さんと一緒に新たな「システム」を探してるんだと思うんですよね。それがどういう形で機能していくのか、そこにお互いの興味が持てていることは、現段階で非常に豊かなことだと思うし、僕にとっては全く違和感のない作業の入り口になってるなというのが現時点での報告です。
三輪:演劇初めてでこれまでのところすっと入ってきてるってことは今のところ幸せなことです。最後まできっとそうだと思います(笑)。
――最後に、今の日本の状況と『光のない。』という舞台がどうつながって来ると考えているか、ということをお伺いできればと思います。
三浦:台本を読んで感じたことは、イェリネクというひとりの人間が今回の震災をメディアを通してずっと見ていたということです。それは僕もずっと見ていました。それはほとんどの日本人、あるいは世界中の人が見ていたとしましょう。僕はちょうど3月11日に本番を控えていて、震度5強を横浜で経験し、上演中止にするかどうかのルポルタージュを書く機会がたまたまありました。その時なかなか言葉にできなかったんです。やっぱり沈黙せざるを得ない。周りを警戒して見るしかない。発言を聞いたりして、あいつ焦ってるな、とか、あの人はやっぱり頼りになるな、とか、普通に右往左往してた訳ですよ。で、『光のない。』を読んだときにちょっとびっくりした。本当にこの人全部ニュース番組見てたなって感じさせる距離感もありながら、同時に深いところまで見てる、しかも言葉にしている、発言しているっていうことにまず敬意を持ちましたね。こう感じさせてくれるような作家との出会いは珍しいことだと思います。それで今、稽古場で俳優のからだを通して声にしてるときに、そういうことって忘れる(笑)。テーマ性なんか問題じゃなくて、なんでお前そんなことしゃべるの?、誰のつもりでしゃべってるの?っていうようなことが問題になってくる。そうするとおもしろいことに、あれ?、イェリネクはメディアを通してキャッチして自分で考えて発言してるけど、イェリネク自身は誰のつもりで書いてるの? 当のイェリネクはギリシア悲劇までさかのぼって書いちゃってるよ?...とかね。それぞれの距離感が見えてきて、本当にそれこそ主体性がないような印象を受けるんだけど、やっぱり言うべきことは言っているという、そういう不思議な経験をしています。きっとみんな――みんなというのは僕が手に届く日本人、報道も含めて、何か後ろめたさ、言ってないこと、感じたけど言葉にできなかったことってあると思うんですね。そこと照らし合わせられることができるような作品になってることが、震災を日本で経験した私達の特権的な立場だと思うんです。イェリネクが黒か白かということを言っている訳では決してなくて、みんなの言葉にできない違和感などを、ある作家が、シャーマン的にと言っていいのかな、複数の人格を持って襲いかかってきているような印象を持っています。僕個人としては、イェリネクといっしょに原発賛成・反対だとああだこうだ言っても仕方ないんでね、そこは表現と分けて考えています。でも三輪さんは、この間いっしょに飲んだら、この上演で原発がゼロになればいいねっていうロマンをお持ちの方なんで(笑)。
三輪:いえいえ、酔っぱらってそんなこと言ったかもしれないけど(笑)。ただ、勝負の時ですよね。もちろん僕は原発反対ですけど、ポイントは、政治的なメッセージを含むこの作品が、現代芸術の世界の一つの話題の中でしか評価されないのであれば芸術なんかには未来がないという意味において、マジで原発なくすくらいの気迫がなければ、という趣旨で言ったんですね。芸術が政治的にも役に立たなければ意味がないということではもちろん全くないんですが、これだけの大きな出来事があって今もその問題が色濃く残っているなかで、あたかもそれがなかったように振る舞うことは僕にとっては不自然なことです。芸術はなぜ必要なのかということが根本から問われている意味で、このプロジェクトは僕にとってとても大きなものです。個人ではオーケストラ作品というかたちで昨年やってみたんだけど、違う分野の作家とやるとなったら、成功しないのが普通ですから(笑)、さらに難しいのはもちろんだけど、より意義も感じます。ジャンルを越えたコラボレーションは話としてはいい話だからいろいろあるけれども成功例は本当に少ない。でも、それをやってみせられたら、大きな収穫になると思ってます。
(2012年7月15日 稽古場にて)
寄稿
エルフリーデ・イェリネク、言葉と政治、現代演劇(林 立騎)
三輪眞弘
作曲家
1958年東京生まれ。74年都立国立高校入学以来、友人と共に結成したロックバンドで音楽活動を始める。78年渡独、国立ベルリン芸術大学で作曲をイサン・ユンに師事。85年より国立ロベルト・シューマン音楽大学でギュンター・ベッカーに師事する。86年より同大学で、95年よりケルン・メディア芸術大学でコンピュータ音楽の講座を担当。85年ハムバッヒャー国際作曲コンクール佳作、89年第10回入野賞第1位、91年「今日の音楽・作曲賞」第2位、92年第14回ルイジ・ルッソロ国際音楽コンクール第1位、95年村松賞新人賞、2004年オーケストラのための『村松ギヤ・エンジンによるボレロ』で芥川作曲賞、07年音楽についての独自の方法論『逆シミュレーション音楽』がプリ・アルスエレクトロニカ、デジタル・ミュージック部門でグランプリ(ゴールデン・ニカ)を受賞。さらに08年美術家マーチン・リッチズとの共作『Thinking Machine』が同賞ハイブリッド・アート部門で佳作入選。09年フォルマント兄弟として『フレディーの墓/インターナショナル』が再び同賞デジタル・ミュージック部門で佳作入選。モノローグ・オペラ《新しい時代》(2000)、インスタレーション作品《またりさま人形》(2003)などのコラボレーション作品、佐近田展康と共に「フォルマント兄弟」としての創作・講演活動、様々な作品やCDアルバムの発表など、その活動は多岐にわたる。著書に『コンピュータ・エイジの音楽理論』(1995)、さらに『三輪眞弘音楽藝術-全思考1998-2010』により。10年度第61回芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。現在、情報科学芸術大学院大学(IAMAS)教授。旧「方法主義」同人。