フェスティバル/トーキョー トーキョー発、舞台芸術の祭典
F/Tの常連アーティスト、飴屋法水とロメオ・カステルッチが、ついに初のダブルビル上演に挑む。宮澤賢治のテキストから自由に発想し、それぞれ新作を発表。二つの才能が宮澤賢治の世界を媒介に響きあう瞬間を、1000人もの観客が野外で同時に体験する、フェスティバル/トーキョー11、堂々のオープニング作品。
『転校生』、『4.48サイコシス』、『わたしのすがた』によって、日本演劇史に不動の1ページを加えた飴屋法水。『Hey Girl !』、『神曲三部作』で日本の観客に鮮烈な残像を残したロメオ・カステルッチ。共にフェスティバル/トーキョーの常連アーティストであり、同世代に属する2人。今回F/Tからの委嘱を受けて、同一の空間、時間、観客を共有するフレームの中で、新たなクリエーションに挑む。それぞれの作品の演出は各自が担当する一方、2つの作品はその創作のプロセスにおいて、賢治の世界観を媒介に刺激し合い、影響を及ぼしあい、やがてはひとつの世界をつくりあげていくことにもなるだろう。
今回の委嘱作品では、2つの条件がアーティスト側に提示された。1つは、宮澤賢治のテキストから自由に発想した舞台を作ること。今回はじめて宮澤賢治の言葉に出会ったロメオ・カステルッチは、イタリア語に翻訳された多数の寓話や詩篇の中から「春と修羅・序」を選んだ。タイトルとなった「わたくしという現象」は、詩集「春と修羅」の冒頭の一節である。一方、幼少のころから宮澤賢治の作品に親しんできた飴屋法水は、その作品世界にアクセスし、物質や生命をめぐる思索を繰り広げる。
宮澤賢治の世界では、人や動物、植物といった生命、また雲や風とった自然現象、さらに星や太陽、大地といった天体など、森羅万象が等しく交感し合う。そこには、賢治自身が葛藤した人間存在の矛盾や無常に対する苦悩が投影されるだけでなく、それらすべてを包み込むような自然や宇宙との対話も生みだされる。賢治の世界観は、その死から約80年後を生きる2人の演出家の手によって、いかに引き継がれ、現在の私たちの心象風景を映し出すのだろうか?
もう1つの条件は、劇場以外の場所で上演すること。震災後、飴屋の提案によって選ばれたのは、夢の島。戦後から高度成長期にかけて、東京中の大量のゴミによって埋め立てられた土地である。現在もフル稼働する巨大なゴミ処理場を併設しており、焼却場の熱を利用した植物園やスポーツ施設もある。
今回の公演では、夢の島の多目的コロシアムという、直径約120メートルの巨大な円形広場を360度にわたって全面使用。人工的な自然がかもし出す不自然なまでの美しさの中、カステルッチと飴屋によっていかなるイリュージョンが生成されるのか。賢治の言葉を媒介に、樹木、風、空、星、そして1000人もの観客たちの心身が、「夢の島」という矛盾に満ちた磁場に響きあう。