フェスティバル/トーキョー トーキョー発、舞台芸術の祭典
80年代半ばにいとうせいこう、竹中直人らと展開したラジカル・ガジベリビンバ・システムで演劇活動を開始し、以来劇作、演出活動を軸に、小説、エッセイの執筆、近年では大学教授といった多岐にわたる活動を行う宮沢章夫。若者を中心に幅広い年代層から支持され続ける彼が率いる遊園地再生事業団がついにF/Tに登場する。
2000年にいったん活動を休止した遊園地再生事業団。だが、その1年後に起きた<9.11>の世界貿易センタービルの崩壊に、「無根拠で、茫然とそこに立っていると考えていた『からだ』の脆弱さ」の象徴を見た宮沢は、若い俳優、クリエイターたちとの長期ワークショップを経て03年『トーキョー・ボディ』で、舞台上のカメラマンが撮影した映像(=メディア)によってのみしか、俳優の演技を見ることができない不可視の舞台を製作し、活動を再開した。
以降、翌年に製作された代表作『トーキョー/不在/ハムレット』(05年)から、ワークインプログレス形式を中心に据えた現在の創作スタイルの集大成とも言える最近作『ジャパニーズ・スリーピング/世界でいちばん眠い場所』まで、宮沢はさまざまな演劇的手法への試みと共に、東京という都市に偏在する「ことば」や「からだ」を見つめてきた。
そして今作、宮沢は、今年2011年から25年前......1986年を想起する。25年前、それは日本がバブルへと突入する前夜。高度経済成長の絶頂を迎え経済のにぎわいに浮かれた時期であり、遠くソビエトでチェルノブイリ原発事故が起きた年でもある。
1986年に罪を犯した男が刑期を終え25年後の2011年の社会に戻ってくる。そこでは25年前と同様の原発事故が起きている。男は仕事を求め、事故により立入り禁止となったその土地へと向かう......。
宮沢は2011年と1986年の二つの年をパラレルに配置し、時間と空間が断ち切られ、歪む劇構造の中に「いま」を捉え直そうとする。創作過程では、前作『ジャパニーズ~』で用いられた、「インタビューから創作する」という手法を発展させ、俳優が街のいたるところで集めてきた人々の声を素材にする。インタ ビューを収集する出演者たちは、宮沢のワークショップに参加していた若い俳優陣たち。彼らによって収集され断片的に発話される誰かの声は、過去から現在のトーキョーの音となって観客の耳に届き、原発事故下でなお続いていく「いま」のわたしたちの生の営み=「生活」を映しだすことになるだろう。
1986年、この国では、経済的なバブルの出現があり、そして、それもまたすぐに凋落することなど誰も知るよしもなかったが、80年代の浮かれた時代相のなか、しかし、ぽっかり開いた空洞のようにその年があった。つまり、1984年ではなく、その後、「スカ」と呼ばれた80年代の気配などまだ知らずに、この国を支配していた後期資本主義と、高度消費社会のなか、なんの不安感もなく、このまま世界は変化せずにどこまでもこの幸福が続くと、多くの者が感じていた時代だ。
その世界でノスタルジーは禁物だ。
過去の軛からいかに逃れるか。
思想も過去からはるか遠くへ走り出さなければならなかった。ここから逃げ出すこと。かつてある詩人は「時速500キロで走る」と語ったが、もっと異なる質の速度で走り抜けなければその時代を生きることはできなかった。
その1986年と、〈ここ〉にある〈2011年〉が、平行して動く世界で、人は〈いま〉の〈私〉を語る。〈いま〉、ある者は86年の12月に30歳になるところだった。べつにそのことになんの感傷もなかったし、60年代のある者らのように、30歳以上の人間を信じないなどというスローガンも意識せぬまま、ただもうすぐ来る節目を無自覚に待っていた。いや、しかしそれは、ある時代を生きていた自分から変化し、新たにべつの道を歩かねばならなくなること、自身の特別な時間からいやでも逃れなくてはいけないのを彼は知らなかった。ある女はその年の春、ビルの屋上から飛び降りて死んだ。女はアイドルと呼ばれたタレントだった。なぜ女が死のうとしたか、誰も正しいことを語ろうとはしなかったし、女もまた、そこまですることの意味を自分でもわかっていなかっただろう。あるいは犯罪者はその年、犯した罪を償うため裁判で刑が確定する。刑期が終了し、いやでも社会に放り出されるのがおそらく25年後になるだろう。彼が見る世界、25年後の、つまり2011年はどう変化しているか。そして、世界のいくつかの都市で政変があり、「イランで革命が起きました」とニュースはそれを伝える。ときとして深刻に、ときとして明るく。新しいことがやってきますと誰かが語っている。まったく新しい時代の希望ばかりを幸福そうに語る者がいて、しかし、ここからはるか遠く離れた、それまで意識もしていなかったような土地で、原子力発電所の取り返しのつかない事故が起きる。
世界はきっと動いていたのだろう。だけど、軽薄に反原発を語る者も現れる。なにもかもが薄っぺらだ。それが時代の気分だ。
そして25年後、同様の事故が起こる。それはちょうど、あの服役囚が刑期を終えて社会に出た直後 だった。その土地は〈立入禁止〉の処分がくだされ、以後、何年にも渡って不毛な世界がこの小さな国に出現する。刑期を終えた男はその土地に向かう。ほかに仕事がないからだ。その土地にははぐれ者を救ってくれる仕事があると聞いた。あるいは、86年に生まれた者は語る。なにも知らないと。気がついたらこの国はそんなに幸福ではなかった。しかし、だからこそ生起するまたべつの豊饒さも、自分の生きている〈いま〉に感じてもいる。
私たちの生活。私たちの生活のすべて。
これは時代を描きつつ、世界を遠くに感じ、だがごく小さな具体性を積み上げるようにして描かれる、私たちの生活のクロニクルだ。そのことでまた異なる劇の作法を発見するために、舞台そのものがあり、そうして作品が試される。語ること。私を語ること。時間は錯綜し、断片的にドラマは語られ、言葉は途切れ、私を語ろうとする言葉が切断され、口ごもり、小さな部分を積み重ねることで、劇が構成されてゆく。スケッチの堆積のような劇の構造は、不毛な土地の上で演じられる、きわめて抽象的な世界の歪んだ姿だ。いま、ここで、遠くを見つめるために、方法は、どこか不条理に、けれど、救いを求めてあえぐような語りになるだろう。しかも、屈託のない笑いとともにそれはある。
3つの構造によって作品は分断される。
そのたびに、10分間の休憩があいだに入ることでドラマの流れは中断される。分断と遮断、途切れる言葉と口ごもる語り手。だからこそ、ようやく、この世界の具体性が浮上するにちがいない。私たちの生活。私たちの生活のすべて。ごく間近、耳元で小さな異音がする。それが気になるのは、いままで聞いたことのない音だったからだ。いや、もしかしたらどこかで経験があるかもしれない。羽音だろうか。風がなにかを揺らすのだろうか。そして、遠くからべつの音がする。やはりかすかに。それは果てしなく遠い。ロシアの彼方から。アジアの果てから。ヨーロッパの小さな国から。南アフリカの土埃のなかから。音が伝えるのは、私たちの生活であり、私たちの生活のすべてだ。男はその年の12月、30歳になろうとしていた。焦燥などない。感傷もない。べつにどうも感じてはいないが何かが変化しようとしていたのだ。そして女は死んだ。原発の事故があった。それから25年が過ぎた。それが私たちの生活のクロニクルだ。