フェスティバル/トーキョー トーキョー発、舞台芸術の祭典
ウェン・ホイとウー・ウェングアンによる生活舞踏工作室は、日常や社会で起こっている様々な事象をダンス、演劇、音楽、映像など多様な手法を組み合わせて舞台作品として表出させる、中国本土では極めてユニークかつ先駆的な存在。彼等が独自に切り開いてきた創作活動は、そのまま中国の1990年代以降のインディペンデント・アート・シーンの軌跡といっても過言ではない。本作『メモリー』は、中国本土ではいまだ政治的タブーの一つとされている文化大革命*(文革)を、個の記憶という生々しい切り口から問う。
ウェン・ホイは、文革の時代に刻まれた身体の記憶を探求する。1960年代初頭に生まれた振付家・ダンサーのウェン・ホイにとって、最も強い幼少期の記憶は、ベッドとそれを囲う大きな蚊帳―それらは幼い彼女にとって、自身の両親や兄を観客と見立てた劇場空間であり、ベッドがステージで、蚊帳がステージの幕だった。それから40年後、ウェン・ホイは通常の10倍の大きさの蚊帳をステージに仕掛け、同い年生まれの友人であるパフォーマー・文筆家のフォン・ドゥーホアともに幼少時代を追想する―。フォン・ドゥーホアは、母のミシン作業を模倣するかのように、ミシンでモノローグの紙片に針を通し、自らの体験を語る。
彼女達は、意気軒昂としたイデオロギーと幾多のタブーで閉鎖された社会の中で育った。自分が生まれ育ったあの時代はいったい何だったのか、社会が忘却しようとしている"記憶"を、彼女達は個の身体に残る混沌とした"記憶"から振り返る。
そして公演全編に渡り投射されるウー・ウェングアンのドキュメンタリー映像作品『私の紅衛兵時代』。それは、共産主義の理想へ猛進するスローガンや革命歌の数々、そして在りし日の毛沢東の思想のみならずその存在そのものに対する、かつての紅衛兵達の盲目的な情熱を滲ませる。
追憶の断片が身体と言語の軌跡をなぞり、映像が時代を浮かび上がらせる。けれど、それらの記憶をたどる行為が、あたかも時の壁に穴を空けるような儚くむなしい試みのように―。
本作品には、8時間ノンストップに上演されるロング・バージョンと、1時間に凝縮されたショート・バージョンがある。中国の長大な歴史を体現するかのようなロング・バージョンでは、ウー・ウェングアンを加えた3人のパフォーマーが一度の休憩もなく舞台上に自らの身体や言葉をさらし続ける。蚊帳の中にはウェン・ホイの身体が、あたかも歴史の中で前進することができない一個人の葛藤を引き受けるかのように、ひたすら不安定な姿勢でゆれ続ける。観客は彼女の身体を介在して、語り尽くすことができない歴史の重みを、全身で共有することになる。この命を削るかのような壮絶なロング・バージョンは、身体への過度の負担のため稀にしか上演不可能とされており、今回の来日公演での1回限定ロング・バージョン上演は、その場に居合わせた観客にとって、身体的記憶に残る特別な体験となるだろう。
*文化大革命:1960年代後半から約10年間にわたり、中華人民共和国で、大衆を動員して行われた政治闘争。毛沢東自身が主導し、直接紅衛兵を動員して、既成の一切の価値を変革すると唱したが、劉少奇を代表とする党・政府機関および学界の実権派からの奪権闘争でもあった。多くの知識人が投獄・殺害され、文闘は武闘に発展、一般にも多くの死者を出してその後の中国社会に深刻な傷を残した。80年代以降「重大な歴史的誤り」として全面否定。正式名プロレタリア文化大革命。文革。(引用:大辞泉) 文化大革命の期間については諸説あるがここでは、上述のとおりとする。
『メモリー』上演歴
2008:リヨン・ダンス・ビエンナーレ、タンツハウスNRW(デュッセルドルフ)、メルカート・デ・レ・フロールス(バルセロナ)、草地場ワークステーション(北京)劇評より
中国人民の主流はもはや過去に関心がないのかもしれない。これが本作品から導き出されるひとつの結論だ。振付家・ダンサーのウェン・ホイは語る;「多くの中国人にとって、過去とは、集団の記憶あるいは集産主義的な歴史であって、個の歴史が筆頭することはありえない。だから、文化大革命を知らない中国の若い世代は、『メモリー』を観て、はじめは(あまりに自分たちが生きる現代社会とかけ離れているため)笑うが、終演後にはもっと歴史を知りたいという欲求を高まらせる。文革の時代を生きた彼等の両親でさえ、過去に何が起きていたのか、若い世代に語らないから」寄稿