フェスティバル/トーキョー トーキョー発、舞台芸術の祭典
レバノン出身の鬼才アーティスト、ラビア・ムルエとリナ・サーネー。中東・レバノンの複雑な政治・社会状況を反映した彼らの作品は、東京国際芸術祭 2004での『BIOKHRAPHIA-ビオハラフィア』、同じく2007年『これがぜんぶエイプリルフールだったなら、とナンシーは』、SPAC春の芸術祭2008での『消された官僚を探して』など、立て続けに日本でも紹介され、好評を博してきた。
今回フェスティバル/トーキョーで上演されるのは、去る2009年7月にアヴィニョン演劇祭で世界初演され、大絶賛を浴びている最新作『フォト・ロマンス』。フェスティバル/トーキョーも国際共同製作に参加して製作された本作品は、これまでの作品にも増して、虚構と現実の間での演劇的戯れに満ちつつも、レバノン社会における検閲や共同体の問題に鋭いメスを入れる批評的パフォーマンスとして、日本上演への期待が高まる。
2006年、イスラエル軍による空爆直後のレバノン。激しく対立する2勢力に分かれた大規模デモの当日。皆がデモに参加するため出払ってしまい、空っぽに静まり返ったベイルート近郊のとある小道。そこで、悩み多き主婦リナと、元左翼活動家ラビアの人生が交錯する。
このストーリーは、イタリア映画史に残る名作から借用されたものだ。ただ、舞台は2006年のレバノンに置き換えられている。原作と同様に、出発点は孤独を抱える2人の人生が、突如交錯することである。ただ、『フォト・ロマンス』の登場人物は、社会・政治的の現実に適用し難い元極左翼の活動家、そして家庭・社会・宗教的な悩み事に溺れる主婦である。彼らは極原理主義と極資本主義の間で葛藤するレバノンにいる。この作品でもサーネーとムルエは、これまで同様、演劇における表現と遊戯の関係性、芸術における虚構と真実の関係性を鋭く問いかける。ただし今回は、地元レバノンのドキュメンタリーに着想を得るのではなく、想像上の登場人物と写実的演技で、レバノンの複雑な現実と演劇そのものを「物語」の中に描いていく。
『フォト・ロマンス』は二つのパラレルのストーリーを持っている。一つのストーリーはムルエとサーネーが演じる物語。それはロマン・フォト(写真でストーリーの展開を表す)という形式で舞台後方のスクリーンに投映されている。もうひとつのストーリーは舞台上にいるアーティストのサーネーが検閲委員会の代表、検閲官のムルエに自分のプレゼンテーションをするというシナリオ。『フォト・ロマンス』は母国で検閲を生きるムルエとサーネーの鋭いアイロニーが込められた、二重のメタ演劇作品と言えよう。
劇評より (2009年アヴィニョン公演)
『フォト・ロマンス』:
ムルエとサーネーは、二つの物語を重ね合わせたり響かせたりする戯れによって、レバノン社会では(検閲によって)表現できない言葉や思想をいたずらっぽく織り込ませている。