1994年から2006年の間、私が日本を訪れたのは、バンコクからアメリカへ渡る途中に乗り換えで成田空港に降り立った程度のものだった。私のトランジットは、出発ゲートにいるタイ人女性と恋に落ちてしまうくらいに、頻繁なものだったのだ。日本語が理解できない限り旅をすることは難しいと耳にしていたし、円高のおかげで私の貯金にも大きな影響を及ぼしかねないうえ、ガイドツアーも楽しめたことがなかったこともあり、日本へ行くことを躊躇していた。
それ故、日本の演劇は国際交流基金(以下JF)がタイへ持ってきた作品くらいしか観たことがなかった。JFがバランスよくトラディショナルなものとコンテンポラリーな作品を紹介してくれたことは、タイの演劇好きにとっては幸運なことだった。JFの予算は限られたものだったにもかかわらず、その時我々は歌舞伎と落語、そして平田オリザと野田秀樹の作品を観劇することができたのだ。とにかく、劇場やテレビの世界でプロとして働く私の元教え子たちは、平田オリザのワークショップに参加し、そこで学んだことを未だよく記憶している。そして後に、大学にあるブラックボックスシアターで上演された『東京ノート』を観劇しているのだ。同様に、タイの演劇好きや批評家たちの多くも野田秀樹の『赤鬼 タイバージョン』をここ10年来のベスト作品として評価している。
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From 1994 to 2006, my experience of Tokyo and Japan was limited to the Narita Airport where I connected my flights between Bangkok and the US - my transit was so frequent that I even started a romantic relationship with a Thai woman passenger at a departure gate there. I was frequently informed back then that not only was it difficult to travel on your own unless you understand Japanese but the Japanese yen was also strong that I feared my Thai baht saving accounts would be much affected had I set foot outside the airport - and I am never a fan of guided tours.
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