飴屋 『転校生』では生まれてから15、6年経っている女子高生の中に、逆にあと15、6年で死んじゃうかな?という年の人が混じってるんだけど(*1)、相模さんの『DRAMATHOLOGY/ドラマソロジー』はちょうど逆の設定なんですよね。
相模 はい。僕の作品ではあと30年も生きることが難しい人たちの中に20代のひとりの俳優が抜け殻のようにいるんです。企画としては、最初に70歳以上の人と何かやるという枠組みがまず決まっていて、そのうえでどう理解しあえるだろうかってことだったんですね。だから、集まった方々のお話を聞いて、実際に舞台をつくる時には僕と同じような世代の俳優を使うという案もあった。ただ僕はやっぱり、来てくれた皆さんに出て欲しくて。でもそのうえで僕は、ただ単に舞台上にその人たちがいるっていうのではない、なにかフィクショナルなものを差し込みたいと思ったんです。それも完全に架空の「この人は死体です」くらいの存在がよくて。それで俳優といってもせりふすら与えられてないような、抜け殻のような身体、それ自体が演劇的な装置になりうる、ひとりの俳優を舞台上に置くことにしました。それが若い身体だったのはたまたまな部分もあります。飴屋さんが『転校生』の中で、転校生役を他の女子高生とは違う世代の俳優にした意図はどこにあるんですか。
飴屋 うーん。なんかあの時は「いまどきの女子高生と一緒にやるのって大変だよ」とか言われたりしたんですよ(笑)。確かに僕の娘であってもおかしくはない人たちと実際に何かをつくるわけですからね。でもそこが肝心のスタートになりました。ちゃんとやっていけるのかなぁ、ということが。だいたい彼女たちは平田オリザさんのことも知らないし、ましてや僕のことなんてなにも知らないんですよ。世代だけじゃなく、下手すれば共有できるものが何もないのが前提。じゃあ、どんなことなら共有できるかっていうのを考えたら、自分の家族にたどり着いたんです。ちょうど娘が1歳になったばかりで、僕の母が75歳くらいで、家の中に3世代が住んでいるんだけど、それが稽古場になったら......って考えてみたんです。世代も感覚もバラバラな人たちが出会って、何かを分け合ったり交換したりできたら面白いなぁという感じでした。
(*1)『転校生』では「朝、起きたらこの学校の生徒になっていた」という転校生の登場をきっかけに、女子高生たちがとりとめもなく、この世の不思議、生と死について対話する。平田オリザの戯曲に、転校生の年齢設定は書かれていない。
――お二人ともいわゆる「俳優」ではない人たちとの共同作業を経験されていますよね。
飴屋 『転校生』では、高校の演劇部だとか、地方のミュージカルに参加してっていう人が多かったです。舞台やいわゆる芸能界みたいなものに憧れがあるとか。あとは数はそれほどいなかったけど、「自分を変えたい!」っていう子もいました。
相模 そうやって「自分じゃないものになれる」って期待している人にとって、こちらが提示しているのはいわゆる「演劇」らしくはないものですよね。これは僕の経験でもあるんですけど、「何を言ってるか全然分からない!」みたいな反発はなかったんですか。
飴屋 ありますよ。最初はやっぱり「演劇」ってことなので、正面向いて「おぉ」って感じの芝居だったし。「台本を読んでどう?」って聞いたら、盛り上がりがない、ドラマがなくてつまらないって感想も多くて。ヒロイン願望もあるしね。でも、最終的には「演劇やって楽しかった」って感じにはなったのでよかったですけど。
相模 『転校生』はカーテンコールがすごくよかったです。「ありがとうございました!」って挨拶しますよね。そのはつらつとした感じがうらやましい(笑)。違う世代の人と何かをつくるという意味ではやっぱり自分の体験と重ねあわせたところもあるし、飴屋さんと彼女たちが積み重ねてきたものの重さがあの「ありがとうございました!」の以前にはあるんだなぁと。僕、そこだけ巻き戻して2回観ました。
飴屋 (笑)。『DRAMATHOLOGY/ドラマソロジー』はどのくらいの期間をかけてつくったんですか。
相模 7、8か月くらいですね。週1回から始めて徐々に回数を増やして。僕はパッとものをつくれる方じゃないので、このくらい長い方が焦らずやれるという意味ではよかったです。
飴屋 『転校生』は3か月半くらい。テキストそのものはいじってないんだけど、転校生を演じるのがおばあさんだということと、それからクラスメイトの一人が校舎から飛び降りることが元の戯曲といちばん違ったところです。最後におばあさんと一人の女子高生が向き合う場面があるんだけど、僕の中ではそれを飛び下りた子と同一人物にしたいということがあって。彼女は飛び下りたのかもしれないし、そうじゃなくて80歳くらいまで生きていくのかもしれない......というような感じに見せようと思ったんです。でも、そんなふうなことはやっぱりどれも、あの子たちと付き合うなかで出てきたことでしたね。飛び降りること自体、平田さんの本の中で勝手にドラマティックなことを起こしちゃいけないって気持ちは強かったし、すごく迷った(*2)。でも、稽古をしていくうちに「どう考えてもそうだよね」というふうになってしまったんです。
相模 僕の場合は参加者を募集する時に、まずは「あなたの話を聞かせてください」みたいなチラシをつくって。そこにちっちゃく「最終的にはそれを演劇にします」と書いておいたんですね。来た人を選別するつもりもなかったですし、それこそ誰でもいいと思っていたので。ただやっぱりそれで集まってきたのは、戦争体験を語ることへの使命感を持った方がほとんどで。自分たちはそれぞれに語るのでそれを選別してもらって、「舞台(戯曲)にするのはおまかせします」って感じだったんです。だから稽古期間の前半の4か月くらいはずっと彼らの話を聞いて、改めて徐々に「舞台に出てみたいと思いませんか」って話をして。でもそこでも「演劇」っていうと何かを演じる、何かの物語を生きることなんだと皆さん思っているわけじゃないですか。だから「そうじゃないのをやりたいんですよね」「そうじゃない演劇ってなんでしょう」「僕も分かりません」みたいなやりとりをずっとしていた気がします。
(*2)戯曲ではこの人物がある時点から登場しなくなる。飴屋版はそれを「飛び降り」として演出した。