1996年第40回岸田國士戯曲賞を受賞、その後も読売演劇大賞など数々の賞を受賞し、人間の心のひだを丁寧に描く会話劇を作り出す作家として90年代に高い評価を獲得し、日本を代表する劇作家となった松田正隆。
自身の故郷であり原風景という長崎を舞台背景とした作品を数多く執筆、上演し、「ナガサキ」の歴史を持つ地に生きる人々の営み、心象風景、特に“死”を扱ったその筆力は、演劇界はもとより映画界からも注目され、『美しい夏キリシマ』『紙屋悦子の青春』などは黒木和雄監督によって映画化されている。『紙屋悦子の青春』は、松田自身の母に取材し母をモデルとした作品だが、今回松田は「ナガサキ」に住む、元日本軍兵士だった実の父親のもとを訪れ取材・インタビューを敢行。シェイクスピアの『ハムレット』、カフカの『父への手紙』のテキストを引用しながら、国家・国民・法・政治・母国言語(母語)など、あらゆる「父」的なものを抽出し、日本における「父なる者」を暴き出す。
マレビトの会は前作『クリプトグラフ』で、俳優によって舞台の外の世界からの「報告」がされる、という表現形式を試みた。どこの時代、どこの国、どこの場所かさえ分からない、けれども“どこかにあったかもしれない都市の報告”や“歴史に埋れてきた、取るに足らない記憶や忘れられた都市の断片”が、俳優によって発せられる豊穣な言語世界によって、発掘されていくかのように次々と立ち現れる。それらは例えば、アウシュビッツ収容所やキリシタン受難の地、原爆の記憶などと重なるイメージを作り出し、観客は自分たちと無関係ではない、「都市の報告」を目撃する。
本作ではその形式を深化させ、自身の原風景「ナガサキ」、そして「誰よりも愛している」という「父」に迫る。そこには、どのような「都市」の姿が現れるのか。
松田正隆、マレビトの会の挑戦は、見るものの心に深く刻み込まれる「歴史」となるだろう。
戦後の歴史を通して父の物語は失われていった。戦争の記憶。しかし、それは新たなグローバリズムという世界「帝国」の規範と結託し、私たちの社会に偏在し、潜在し、見えざる父権をふるっている。このような父の復権とどう対峙するのかが、この作品の主題である。
私の父が心臓発作で倒れたとき、無脳児の記憶がよみがえった。かつてその写真を幼い私は父に連れられ長崎の原爆資料館で見た。そこから、私の原風景である長崎、その歴史に刻印された廃墟と無脳児の意味を考えぬきたいと思った。できることなら、あの無脳児の視線となって、父と子と世界のことを見つめ返してみたいのだ。
この作品は私の故郷である長崎への映像取材をもとに舞台を創りたいと思っている。
作・演出:松田正隆
注)現在の長崎原爆資料館には無脳児の写真は展示されていません。また、原爆による被爆と無脳児の医学的な因果関係は、証明されていません。