無限大のおだやかな闇夜に、命の孤島がぽつりぽつりと浮かぶ。これら卵が羊水の温もりのなか、かすかなエコーを響かせて思惟をはじめる――未知への好奇心、自然への驚き、そして誕生への快哉と終焉への歎き。生命のクロノス時間の砂時計のつぶがさらさらと落下しはじめると、それは同時に、ゆったりと厳かに風化していく肉体の死をも暗喩する。
誕生と死、生成と破壊。幸せな沈黙の殻を破り、生まれ落ちる満目騒音の世。命の残酷な両義性がここでは明快な修辞法で物語られる。静かな薄光のなか、天児牛大は、ふっくらと美しい卵とのひめやかなダイアローグをつむぐ。
人はこの茫漠たる宇宙において刹那の直立時間に戯れ、他者とのミクロの悲喜哀歓の絆をむすび、ふたたび孤独に横たわっていく。生まれては頽れ、頽れては生まれる。愛おしくも矮小な命たちが、永遠との対話をくりかえしていく。
『卵を立てることから―卵熱』は、1986年4月、東京・パリ友好都市交流事業のオープニング・プログラムとしてパリ市立劇場で世界初演された。パリの観客からの絶大な支持を得た本作は、現地メディアも大きく取り上げ高い注目を集めた。同年8月には、大谷屏風岩(栃木県・宇都宮市の採石場跡地)で日本初演。「太古の人たちの息づかいがどこからか聞こえてきそうな洞穴のなかで、それは生命の根源を思い起こさせる見事な表現」(朝日新聞)と評され、パリの初演から20年以上経った現在もなお、世界32カ国137都市で上演を重ね続ける山海塾の代表的な作品である。
舞台上には、四辺の回廊と、その内側に水をはったプール。舞台奥では水と砂が、静かに絶え間なく落ち続け、やわらかな光が水面にさすと、幻想的で美しい水紋が創出される。卵をモチーフに、5名の舞踏手が紡ぐ、受胎から誕生、死、そして再生へと、生命が連鎖して続いていくさまは、「生命へのレクイエム」とも評され、山海塾の主要なレパートリーとして、現在も世界を巡っている。
山海塾は、唖然とさせる想像力をみせつける。純粋な美に満ちた流れは、観客を静かな夢の中へ浸らせる。
(ル・フィガロ)
『卵を立てることから-卵熱』は、極めて芸術的、象徴的迫力に満ち、深い感動を呼び起こす。
(ル・マタン)
原初の素型としての卵との秘めやかな対話が始まる。楕円形の卵は、宇宙の素型の象徴であると同時に、肉体の、さらには霊的なものの素型の象徴でもあるだろう。宇宙の素型とは、永遠であり連続するものの素型であり、肉体の素型とは限界を強いられる不連続の素型の象徴でもある。
(アサヒグラフ)