これまで多くの国のアーティストと仕事をしてきたけれど、結局わかったことは、国籍などの境界はほとんど無意味だということだ。とはいえ、言語という高い壁は確実にまだ残っていて、特に日本語というマイナー言語圏に生きている身としては、この問題とどう折り合いをつけるのかは最大の課題と言っていいだろう。それと同時に体験したのが「多文化、多民族の破れ」とでもいうしかない限界感だった。マレーシアのアーティストと仕事をしたおり、そこにいたチャイニーズの若者たちの思いが切実だった。彼らはもはや中国に行くこともなく、祖先がどこから来たかもはっきりしない。そのような若者はマレーシアでいつまでチャイニーズであり続けるのだろうか。アメリカ大陸にいる日系3世や4世たちはいつまで日系であり続けるのだろうか。新しい価値観を持つ若者たちの間でそのような古い文化や民族性と言った境界は急速に解消されていくに違いない。
フェスティバルを運営する人材も参加アーティストも早い世代交代を期待したい。新しい世代が早く社会のイニシアティブを獲得することだけが唯一の希望と言っていい。私は現在のような世代間格差、ギャップが果てしない大きさとなった社会を経験してないし、ある時代を境にまったく違った種類の人間が発生したような印象を持っている。いまだ権力やポストにしがみつく古い世代をどうしたら追放できるのか、生きているうちに新しい社会を見たいものだ。
フェスティバルを生み出した時には、行政への期待を持ってきたものだが、今は逆である。フェスティバルが行政に期待するのではなく、行政こそがフェスティバルに期待すべきである。行政と民間の関係を本来の姿にもどすべきではないのか。行政こそが民間の能力と技能に期待するのが本来の姿だろう。災害でも福祉でも科学でもアートでも、もっとも基盤となっているのは民間なのだから。行政こそがフェスティバルに期待するような姿を思い描いている。
ダンスグループ山海塾の制作を経て、トヨタ・アートマネジメント講座ディレクター、パークタワーホールアートプログラムアドバイザー、㈱シアター・テレビジョン代表取締役を歴任。東京国際舞台芸術フェスティバル事務局長、東京国際芸術祭ディレクターとして国内外の舞台芸術公演のプログラミング、プロデュース、文化施設の運営を手掛けるほか、アートマネジメント、企業と文化を結ぶさまざまなプロジェクト、NPO の調査研究などにも取り組む。フェスティバル/トーキョーでは、2014~2015年までディレクターズコミッティ代表、2016~2018年までディレクターを務める。
市村 作知雄