アンジェリカ・リデルを観るべきいくつかの理由
もっとも国際評価の高い代表作が日本上陸!
《これを観ずして、これからの演劇は語れない!》ほど度肝を抜くインパクトを与えてくれる、『地上に広がる大空(ウェンディ・シンドローム)』。作・演出・美術・衣裳を手がけるアンジェリカ・リデルがアトラ・ビリス・テアトロをマドリードに立ち上げたのは1993年(当時27歳)のこと。しかし、スペイン以外の国々における彼女の活動に対する認知度は(舞台芸術を仕事にする者のあいだでも)それほど高くありませんでした。ヨーロッパの演劇祭で上演される機会が増えていったのはこの数年のことで、その名前を一躍有名にした作品が2013年のアヴィニヨン演劇祭で(賛否両論を巻き起こすほどの)大成功を収めた『地上に広がる大空(ウェンディ・シンドローム)』なのです。数あるリデル作品の中でも最大規模の本作は、1つの作品の中に演劇・音楽&ダンス・モノローグなど多様な要素が織り込まれており、各ジャンルの良さが見事に結実している点で国際的に高い評価を獲得しています。
モノローグの、”見えないチカラ”
リデルは一見とても優しそうな女性ですが(そして実際に話すととても優しい方なのですが)、舞台上に立った瞬間にその性格は急変し、あたかも全くの別人のようになってしまいます。というのも、2時間40分(休憩なし)とやや長い上演時間のうち後半半分を占めるのが、リデル本人演じるウェンディ(『ピーター・パン』に出てくるヒロイン)による怒濤のモノローグなのです。
このモノローグについて、リデルは次のように語っています。
「わたしは毎公演、モノローグで、自分のなかにあるもっとも忌まわしいものを吐き出そうとしています。心のなかにある糞を吐き出そうとしているんです。(以下略)」
(演劇ジャーナリスト岩城京子さんによるインタビューより)
私自身がこの作品を最初に観たのは、かれこれ1年以上昔のことですが、その時に感じたことは上演時間の長さよりも、永遠と繰り返されるリデルによるモノローグが持つ《見えないチカラ》のようなものでした。
その《チカラ》はあまりに強大なものすぎて、終わった後もしばらく呆気にとられたような感覚が続き、それが一体何だったのかしばらく分からないままでいましたが、今から思い返せば確かにそれは《忌まわしいもの》や《心の中の糞》であったようにも思えます。
「しばらく他の演劇は何も見なくていい・・・」
世界中で色々な演劇作品を見て回る仕事をしていると「美しい作品」や「良く出来た作品」に出合う機会は沢山あります。しかしあの日リデルの作品を見終わったときに感じた衝撃は、それまでに感じたことのないもので(海外の演劇祭を訪ね歩いていた時期なのに)「しばらく他の演劇は何も見なくていい・・・」と思ってしまったほどでした。
海外の演劇作品を日本に招聘するには人手もお金もかかるため、1度のフェスティバルで紹介することのできる本数は(他の芸術ジャンルに比べて)どうしても限られてしまいます。普段の生活の中でも「美しい作品」や「良く出来た作品」に出会うことはありますが、「度肝を抜く作品」に出会う機会はそれほど多くありません。せっかく海外から演劇作品を紹介するのであれば、普段出会うことのできない《ドキドキ感》を与えてくれる作品でなくては! そんなことを考えていた当時の私にとって、この作品を東京で紹介したいと思うまでにそれほど時間はかかりませんでした。
『地上に広がる大空』は、東京でしか観られない!?
観客の度肝を抜く作品には、その舞台裏で(一般的な作品にはない)《特別な苦労》が付きまとうもの。出演者の多さをはじめとする実務的な問題に加えて、リデル本人の体力も大きく影響する本作を上演できるのは世界中でも限られた都市だけです(東京の次の上演地もまだ決まっていないとか・・・)。そんな中、多様な要素が融け合った本作品を、アジアで初めて東京で紹介できることは《融解する境界》をテーマに掲げるF/T15にとってまたとない喜びです。いま東京でしか見られない必見の舞台、これを見逃さない手はありません!
(文・横堀応彦/F/Tディレクターズコミッティ)