パリ市立劇場『犀(サイ)』

作:ウジェーヌ・イヨネスコ     演出:エマニュエル・ドゥマルシー=モタ
11月21日(土)~ 11月23日(月・祝)
会場 彩の国さいたま芸術劇場 大ホール
日程 11/21 (土)   19:00
11/22 (日)   15:00
11/23 (月・祝) 15:00★
※受付開始は開演の1時間前、開場は30分前
★ポスト・パフォーマンストークあり
上演時間 1時間45分(休憩なし)
上演言語 フランス語(日本語字幕あり)
チケット 一般前売 全席指定
S席6,000円、A席4,000円(当日+500円)
一般前売【S】¥6,000【A】¥4,000
ペア(1枚あたり)【S】¥5,400
5演目セット【S】¥5,400
3演目セット【S】¥5,400
U-25【S】¥4,000【A】¥2,000(当日+500円)
チケット取扱
SAFチケットセンター
チケットぴあ[Pコード:444-858]
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Rhinoceros
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生き生きと鋭く、鮮やかに――。パリ発のエンターテインメント不条理演劇

 ピナ・バウシュやロバート・ウィルソンからさいたまゴールド・シアターまで、世界の最前線で活躍するアーティスト、カンパニーを集めた意欲的なプログラムでも知られるパリ市立劇場が、不条理劇の傑作『犀(サイ)』(イヨネスコ作)を携え、初来日を果たす。
 演出を務めるのは同劇場の芸術監督で、パリを代表する舞台芸術の祭典「フェスティバル・ドートンヌ」のディレクターも兼任するエマニュエル・ドゥマルシー=モタ。ダイナミックな舞台装置と身体性に富んだ演技で魅せるその演出は、不条理演劇につきまとう難解で深刻なイメージを軽々と乗り越えていく。全体主義の滑稽と恐怖を、次々と犀に姿を変える人間たち、犀に占拠される街の様子に仮託したイヨネスコの精神は、現代のグローバル社会の矛盾をも突くものとなるだろう。より生き生きと軽やかに、親しみやすく――しかしその切っ先は鋭いままだ。

あらすじ

アル中気味でうだつが上がらないベランジェは、友人のジャンとともに一頭の犀が街を駆け抜けるのを目撃した。騒然とする街の人々をよそにベランジェはどこ吹く風。翌日、ベランジェのオフィスでは犀の話題でもちきりだった。そこに欠勤が続くブフ氏の妻が犀に追われて駆け込んで来る。しかし、彼女を追って来た犀こそがブフ氏だと気づくと、ブフ夫人は制止を振り切って犀に飛び乗ってしまう。犀の目撃情報が増える中、仲直りをするためにジャンの家へ向かうベランジェ。だが、ジャンもまた犀に変身し、隣人たちも犀に変身してしまう。いよいよ街は犀に占拠され、ベランジェと同僚のデイジーは二人で生きて行こうとするのだが-。

ポスト・パフォーマンストーク
日時:11/23(月・祝)の回(17:15~18:00予定)
出演:エマニュエル・ドゥマルシー=モタ クリストフ・ルメール
   ※エマニュエル・ドゥマルシー=モタは急遽来日ができなくなりました。
会場:彩の国さいたま芸術劇場 映像ホール
定員:150名(先着順)
入場無料/通訳付
※当日14:00より彩の国さいたま芸術劇場大ホール受付にて整理券を配布いたします。『犀』のチケット(半券可)をご提示ください。

彩の国さいたま芸術劇場 演目詳細ページ

 

F/T15公演 舞台写真

  • Rhinocéros撮影:Arnold Groeschel
  • Rhinocéros撮影:Arnold Groeschel
  • Rhinocéros撮影:Arnold Groeschel
  • Rhinocéros撮影:Arnold Groeschel

ムービー

【11/21-23 彩の国さいたま芸術劇場 大ホール】パリ市立劇場『犀(サイ)』舞台映像

アーティスト・プロフィール

Emmanuel Demarcy-Mota

エマニュエル・ドゥマルシー=モタ Emmanuel Demarcy-Mota

演出家、パリ市立劇場芸術監督

1970年ヌイイ=シュル=セーヌ(フランス)生まれ。パリのリセ・ルイ=ル=グラン学院に在学中の17歳で仲間を集めて演劇を始める。パリ大学進学後も演劇活動を続け22歳でテアトル・ド・コミューンで演出した『兵士の物語』(シャルル・フェルディナン・ラミューズ)がリヨン・ビエンナーレのチルドレンシアターに招聘される。2002年から2008年までランス国立演劇センターの芸術監督を務め、ファブリス・メルキオの戯曲を初舞台化したほか、ミュージシャンや俳優などさまざまなアーティストとの共同作業を行った。またフランスのみならずヨーロッパ各国の多くの劇団と長期に渡り提携し、その創作と普及をサポート。さらにメルキオと共に実験的な劇作家を支援したほか、俳優の養成施設の設立、稽古や新たな創作のためのアトリエ建設など多くの功績を残した。2008年、パリ市立劇場の芸術監督に就任。2011年より「フェスティバル・ド一トンヌ」のディレクターも兼任している。
パリ市立劇場 公式ホームページ 

エマニュエル・ドゥマルシー=モタ、来日記者会見レポート

  • Emmanuel Demarcy-Mota
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■イヨネスコと『犀』

私がウジェーヌ・イヨネスコに出会ったのはティーンエイジャーの頃。高校の教材でした。
不条理演劇というのは新しい言語を発明する素晴らしい機能、つまり通常の言語を脱構築して新しいものを発明する機能です。
イヨネスコはサミュエル・ベケットと並んで不条理演劇の父と言われています。
イヨネスコ、とりわけ『犀』という作品に10代の私が感銘を受けたのは、まず「変身」というテーマでした。
変身というテーマはフランツ・カフカも取り扱っていますが、若い時に驚き感銘を受けたのは人間の変身を扱っているという点でした。人間は、人生を通して肉体的に変身しますが、この作品では人間ではなく動物に変身してゆきます。そのような変身を通じて、動物と人間存在との関係を問うているところに私は惹かれました。

人間ではない、動物への変身ということは不条理な性格をもっていくものです。
人間や文化とは逆の存在になっていく、特に、イヨネスコが選んだ犀という動物は、現在の我々からは遠い存在の動物であり、人間と動物のあいだのコミュニケーションの不可能性を表しています。また犀には盲目的であるという点や、おびえると危険な存在にもなるという特徴があります。犀は絵画のなかでもさまざまに描かれてきました。古くは、アルブレヒト・デューラーの版画のなかにも登場しています。このように犀は動物として普遍的な存在でもあり、どこかアルカイック(古代的で素朴)なところがある。そして殻や力も持ち合わせています。

イヨネスコに惹かれるもう一つの理由として、言語の発明という点も挙げられます。
これは当時の偉大な作家たちが行っていたことで、ベケットやアルチュール・アダモフがそうでしょう。彼らは戯曲を書くことによって言語を問い直し、また言葉の力、ナンセンスの力を提起しています。

ここで、言語がだんだんに汚染されていくという点も重要になってきます。
戯曲を通じて、ひとは、他人から聞いた言葉を繰り返すようになる。また言語が紋切型になる。そうして言語を通じた自由の問題が提起されることになります。個人がどのように言語を自分のものにし、また、新たな言語が発明されていくかという問題です。それは詩人が言葉の音を使ってメタファーをつくることによって世界を問いかけるのと同じようなことを、演劇で行っていると私は考えます。

そうした演劇には、もうひとつ重要な次元があります。イヨネスコだけでなく、それ以前の時代の作家たちに共通するものですが、たとえばフランスのシュルレアリスム演劇の作家ロジェ・ヴィトラックや、イタリアのルイージ・ピランデルロにしても同じで、彼らは現実と幻想との問題を提起しています。現実と超現実とのかかわりにおいて、イヨネスコは言語を発明したと同時に、幻想的つまり不可視なものを、可視なものにしたという側面も持っています。

■今、イヨネスコに立ち戻ることの意味

私は2004年に俳優たちとともに『犀』を演出することを決めました。彼らは今回も出演していますので、もう10年以上一緒に仕事をしているということになりますが、我々にとって重要なことはイヨネスコのこの作品を使って、演劇の試みを拡大するということでした。それには肉体的な次元、身体のかかわり、音や照明、大きな空間の扱いなどが大きな問題となります。

この作品は1960年にフランスの偉大な演出家ジャン=ルイ・バローの演出によってパリで初演されました。それ以来2004年に私が演出するまで再演されたことは一度もありませんでした。

『犀』を04年に演出しようと思ったことはチャレンジでしたが、私は直感的に、「イヨネスコに戻るべきだ」と判断したのです。
70年代以降、ベケット以上にイヨネスコは「不条理演劇」という言葉の中に閉じ込められてしまったように思います。イヨネスコ自身が「不条理演劇と形容されること自体が不条理だ」と語っているように、私も不条理という思想に閉じ込められていることを感じました。イヨネスコは、単なる言語の戯れであると見なされ、物語を語っていないとか、あまりにも当時の時代性を帯びすぎていると考えられていましたが、時を経て、今やっとこの戯曲に立ち戻ることを重要だと思いました。これはほかの作家たちにしても同じです。たとえば現在アダモフを演出するひとはとても少ないです。アダモフを今読み直し、あたらしいビジョンで演出することが必要であって、彼がもっている現代的側面を見つけることが必要だと思っています。 ギリシャ演劇、ローマ演劇、エリザベス朝すなわちシェイクスピア演劇は我々にとって曽祖父母のような存在で、しばしば上演されますが、私たちの両親にあたるイヨネスコのような、より近いけれども亡くなっている作家たちはあまり上演されていません。
しかし、現在の社会の現実をみると、イヨネスコがもつ現代的な側面を明らかにすべき時がきていると私は思います。

もちろん60年代にバローが初演をしたときと04年ではこの作品から読み取れるものが全く異なっています。初演の場合は犀が仮面を被って実際に出てきており、完全に舞台で表象されています。その犀は第二次世界大戦の接近と、ナチスの台頭を表すものでした。04年に私が再演した際、問題は全く異なっています。2011年に、私は『犀』の2つめのバージョンを作りました。こちらが現在世界中で上演され、今回、日本で初演するものなのですが、この2つめのバージョンについて重要なのは、「犀になる“病”」という問題でした。それはフランシス・ベーコンが言うところの、人間の特徴が漸次的に消失するということで、ベーコンの場合は鳥になりますが、人間存在がいわば漸次的に、徐々に消えていって、動物になってしまう。イヨネスコの場合はその動物に犀が選ばれています。

■登場人物=ジャンと、ベランジェについて

この作品はふたりの人間の友人関係を重視しています。このふたりは、ジャン(Jean)とベランジェ(Bérenger)ですが、フランス語でJeanと聞くと、ふたつの意味が頭に浮かびます。まずは、Jean(ジャン)という人名ですが、les gens(ジャン)と言うと、それは「人々」「人間」ということになります。イヨネスコはこの“ジャン”という言葉で二つの意味を遊んでいます。もう一人の、Bérenger(ベランジェ)は、フランス語で「邪魔する」という意味の、déranger(デランジェ)にすごく近い。そしてBérengerという名前のなかには、ange(アンジュ)という音が聞こえます。angeは、天使ですから、すなわち”ベランジェ”は「邪魔をする天使」「厄介な天使」と聞こえます。
言語の詩的な発明は、イヨネスコも言うように、政治的な発明であると思います。詩的なものが政治的なものを邪魔しにやってくる。そして社会的問題を提起します。

ジャンとベランジェの友人関係に戻りますが、戯曲では、ふたりの関係がおかしくなっていくのがわかります。冒頭でジャンは社会における良き機能の仕方を表しています。他者を尊重するため、服装も髪型もきちんとしなくてはいけない。それに対してベランジェは、髪もボサボサで、服装も乱れていて、いつも遅刻をする、いわば社会の組織を乱す存在です。ジャンは良き社会を体現していたのですが、そのジャンのほうがだんだんと犀に変身してしまいます。

私が好きな考え方は、このジャンとベランジェが実はひとりの同じ人間ではないか、ということです。同じ人間の持っている、異なるふたつの側面をジャンとベランジェが表しているのではないかと考えています。個人は様々な側面から成るものであって、そのなかにはふたつの対立した面がある、という考え方です。

■レジスタンス
ジャンとベランジェが同一人物であると考え、今日この戯曲の意味を考えるときに、ひとつ重要なテーマが浮かび上がります。
それは「レジスタンス」というテーマです。
これは、恐怖に対して抵抗するということです。登場人物たちの多くは、はじめ、恐怖ゆえに抵抗をします。
しかし彼らは十分に考えるだけの抵抗力を徐々に失ってしまう。恐怖ゆえに自分で考えて決断する能力を失って、犀になっていくのです。恐怖を感じるということ個人の考え方でもありますが、集団的な動きでもあります。
そう考えると、バローが初演した際に、犀を実際に見せるという選択をしたことも理解できます。
現代においてこの作品を考える時、世界のさまざまな動乱の状況が頭に浮かびます。世界中でいま、危機がおきています。それは単なる経済的な危機を超えて、イデオロギーの危機が勃発しています。強いナショナリズムが世界中の至るところで復権しようとしていて、フランスも含め、ヨーロッパでは極右が台頭し、その極右の思想は実に残酷で危険なものを伴っています。
このように、今日『犀』を考える時、そのことをわざわざ強調しなくても様々な世界の現実の問題がそこに繋がってきます。

ここで、興味深い点であり強調したいことは、戯曲のなかに「犀は美しい」と何度も出てくることです。つまり、犀は人を魅了するという特徴を持っています。人々は犀に惹きつけられます。そのような魅力をもつのは、犀が謎の存在であり、また、強い力を表す動物であるからです。ですから、徐々に人間が犀になっていくのは、犀のもつ強い力に到達したいからという部分もあります。

その犀の魅力に抵抗でき、犀に変わらない人間、それは疑問を持つことを受け入れる人です。自分に対する考察を行う人間が犀に変わらずにいられるのです。これは、自分自身の弱さを受け入れることにもなります。そうすることで、世界や他者との関係においてよりヒューマニスト的な(人間性を重んじる)視点を持っていると考えます。

ベランジェという登場人物はイヨネスコの何本もの作品に登場し、いつも自分の子供時代を、自分のなかに持ち続けている人物とされています。
ベランジェには子供が世界に対して持つような視線があります。つまり驚く能力や好奇心を持ち、世界に対して開かれた態度を持っている、そうした人物です。

そこから、レジスタンスの問題について考えることができます。
変化する世界にどのように抵抗をし、あたらしい世界のビジョンをもたらすことができるのか。そういった点で私は、21世紀に対する問題として、この作品に興味を持ちました。

■伝染
私は、現代的な意味でのイヨネスコについて興味を持っています。そのなかには複数のテーマが含まれていますが、まず先ほど、言語の汚染について話しました。これは伝染と考えられ、恐怖が伝染してゆく、言語の伝染ということです。そして直接的な言い方ではありませんが、ひとつの隠喩的な意味で、伝染病についても本作は語っています。

■友情
もうひとつ重要なテーマは、友情です。
2幕、ジャンが犀に変わっていくなかで、彼らは昔からの友人なのに、ジャンはベランジェに対して、友情は存在しないというのです。それもひとつの変化であり、もはや友情を信じることができない、信じないと宣言します。このことを、友情だけでなく一種の恋愛関係と考えてもよいでしょう。彼らはもちろん性的な関係ではないけれども、強い関係ではあります。その強い関係である友情が破綻します。 この破綻も、本作の重要なテーマです。
友情が破綻し、思想が破綻し、様々な破綻が起こります。それは色々な時代に常に存在してきたことで、個人の生活レベルでの破綻、集団における破綻、個人と集団の問題が、作品のなかで扱われています。

■イヨネスコをめぐって

『犀』は同じ俳優たちとともに10年以上上演していますが、ジャンを演じるのはユーグ・ケステルで、彼はフランスでよく知られており、ベランジェはセルジュ・マジアーニ、デイジーはヴァレリー・ダッシュウッドが演じています。私は彼らとともにイヨネスコをめぐっていくつかのテーマに基づいて調査・研究のようなことを継続しています。

主なテーマは、
1:肉体
これは身体の関与と運動についてです。イヨネスコが言語で行ってきたことを、身体で行うことで、我々の身体・運動を考えています。個人的なレベルにおいて例えば人が誰か別の人を惹きつける、それをどのように身体的に表すか、逆に互いの嫌悪感をどのように身体的に表すかと言ったことを研究しています。集団になったときの人々の動きもとても重視しています。

2:音
長年、おなじ音楽家たちと仕事をしていて、彼らは創作過程すべてに付き合ってくれます。リハーサルの段階から参加して、どのシーンで、どの瞬間にどのような音を入れるか、工夫しています。音によってカタストロフィ(大災害)をいかに表現するのか、どのような暴力性を出すのか、どのようなメランコリー(憂鬱さ)を出すのか。私の作品では音もまた俳優と同じような役割を持っていると言えます。

3:照明と舞台美術
04年に演出する際、まず、もちろん、「犀」という動物を、具体的に舞台上で観客に見せるかどうか、という問題提起をしました。そして結局、私は、犀自身は見せないという選択をしました。なぜなら、現在、犀のようなものが表しているのは、必ずしも見えるものではない、現実には隠れていたり、隠されて秘密になっていたりするが存在はしているものだからです。しかしながら犀はそこに存在している、という感覚に訴えることにしました。
現在カタストロフィは具象化することができません。むしろ見えないものの領域においてそれを表すことが演出において重要でした。

■日本公演にむけて
昨年、さいたまゴールド・シアターがパリ市立劇場で『鴉よ、おれたちは弾丸をこめる』を上演し、大きな成功をおさめました。すべての年齢層の観客が、高齢者による演劇という未知の体験をしたことで衝撃を受け、その特別なアプローチや芸術的な作品そのものとしての価値の高さがフランスの観客や批評家に評価されました。
今回、そのさいたまゴールド・シアターが拠点とする彩の国さいたま芸術劇場が、はじめてフランス語の演劇作品を招聘すると聞いて、誇りを感じています。
言語のバリアを越えることは難しいことです。しかし『犀』はニューヨーク、サンフランシスコ、チリのサンティアゴをはじめ世界中で上演されていますが、言語の違いを越えて、世界中で共感を呼ぶような問題を提起している作品であると実感しました。日本での上演を大変楽しみに思っています。

来日会見:2015年9月8日開催

キャスト/スタッフ

ウジェーヌ・イヨネスコ
演出エマニュエル・ドゥマルシー=モタ
演出補クリストフ・ルメール
アーティスティック・コラボレーターフランソワ・ルニョー
舞台美術・照明イヴ・コレ
音楽ジェファーソン・ランベィエ
衣裳コリーヌ・ボードゥロ
ヘアメイクカトリーヌ・ニコラ
小道具クレモンティーヌ・アゲタン
出演ユーグ・ケステル、セルジュ・マジアーニ、ヴァレリー・ダッシュウッド、フィリップ・ドゥマール、シャルル=ロジェ・ブール、ヨリス・カサノヴァ、サンドラ・フォーレ、ガエル・ギィユー、サラ・カルバシュニコフ、ステファン・クレヘンビュール、ジェラール・マイエ、ウォルター・ンギュイエン、パスカル・ヴィルモ
※ヴァレリー・ダッシュウッドに代わり、セリーヌ・カレルが出演いたします。
製作パリ市立劇場
共同製作ルクセンブルク市立劇場、ロワール・アトランティック公立劇場「ル・グラン・T」
字幕翻訳岩切正一郎
制作松野 創、原口さわこ、高木達也(彩の国さいたま芸術劇場)、十万亜紀子(フェスティバル/トーキョー)
助成アンスティチュ・フランセ パリ本部
後援在日フランス大使館/アンスティチュ・フランセ 日本
主催公益財団法人埼玉県芸術文化振興財団、
フェスティバル/トーキョー実行委員会、
豊島区、公益財団法人としま未来文化財団、
NPO法人アートネットワーク・ジャパン
協力アーツカウンシル東京・東京芸術劇場(公益財団法人東京都歴史文化財団)
平成27年度文化庁劇場・音楽堂等活性化事業
初演:2004年10月 パリ市立劇場

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