「トランスナショナルなディスクールとしてのダンスプロジェクト“LOGOBI”」
モニカ・ギンタ―スドルファー(以下モニカ): 『LOGOBI』シリーズは今回で6作目となり、現在4人グループで作品を製作しています。7、8日の稽古で製作するこのシリーズを成立させるのに多言語の翻訳システムを介していて、フランス語話者とドイツ語話者に、その他が加わり、今はトリリンガルです。フランクは私が仏独通訳をしてコミュニケーションをとならないと創作が進みませんので、議論をするにもプロセスが長く、時間がかかります。
コートジボワールでは80%の人がダンサーになりたいと思ってる
フランク・エドモンド・ヤオ(以下フランク): コートジボワールの都市部でストリートダンスをしていて、コートジボワールのカンパニー、ショービズと、3つの違うジャンルで活動していました。同じ「ダンス」といってもこの3つはジャンルが異なります。ストリートダンスは、子どもが路上で踊り始めることについて思われがちな、家に居場所がないだとか、貧困が原因なわけでもない。あるいは気ままな路上生活者になりたいと思って始めるわけでもありません。 日本のダンサーは職業として認められていないと聞きました。ダンサーとして生計を立てられている人は少ないそうですが、コートジボワールは80%の人がダンサーになりたい!と思っているという人気職なんです。親族の間でも伝統的に、祭りなどで受け継がれていきますが、その後このまま伝統的なダンスを続けていくのか、別のことを始めるのか、という問題に直面することになります。 コートジボワールの若者にとってダンスは色々と重要な意味を持っているのですが、そのひとつには「学校に行きたくないからダンサーになればいいや」というのもあります。 。
“LOGOBI”とは?
フランク:LOGOBIというのは特定のダンスの名称ではなく、社会の中の特定の人たちを指す言葉として生まれました。社会的に評判のよくない、いわゆる不良。それが今や、LOGOBIで活躍することは羨望の対象となりました。
LOGOBIの発祥はナイトクラブです。といっても中でパフォーマンスしていた人ではなくて、ドアマンたち。クラブに出入りしている客をチェックしていた立場の者が実際にダンスをするようになり、パフォーマーへと変わっていきました。ドアマンやガードマンというのははエレガントな存在ではないですよね。眼光鋭く客を監視しているし「この人と一緒に踊りたい」という対象ではない。しかし、彼らがダンサーとなることで、人々の見る目が変わっていきました。スタイリッシュなダンスだと人気になって、同じことをやりたいと思われはじめる。そうやってグループは派生していき、色々な形で公演するようになる。下っ腹の出たドアマンがダンサーへと早変わりし、人々を魅了する。ドアマンは「カッコいい」存在です。ダンスをしない人でも一緒にダンスをするようになり、大人と子ども、性別すらも超えてみんなが真似するパフォーマンスとなっていきました。
モニカ: ダンスのコンセプトが拡がりはじめて、社会の多用な役割をダンスで表現するようになっていました。そして社会運動とも連動しはじめたことが我々の出会いのきっかけです。フランク・エドモンド・ヤオはパリに移住し、コートジボワール出身者で構成された「Jetset」というグループに属していました。
フランク:「移民」になること、移住することは容易ではありません。どの国に行くかでも事情が異なります。社会に溶け込めるかのハードルも高いですが、せっかく移住したからには退屈な人生は送りたくない。ヨーロッパでは移民がいかに社会に統合するかという問題がありますが、何に、どこに統合しなくてはいけないかが重要なのです。
移民だからといって社会から無視されたくない
フランク: Jetsetというグループは2000年代初めにパリでできました。一般的にJetsetというのは「今日はパリ、明日はNY、明後日はロンドン…」という具合に(ジェット機で)あちこち遊びまわっている人のことを呼ぶものであり、それは「ラグジュアリーさ」を体現する言葉です。ただし、2000年代のパリのJetsetについては、ちょっと違います。つまりコートジボワール出身者が形成したJetsetというのは、「移民だからといって社会から無視されたくない」「目につく存在になりたい」と思っていたひとたちによる、「フランスでしたいことをするためのグループ」です。市民権も与えられておらず仕事もなく、じゃあ手に入れたいものをどうやって入手するか、手段は選ばなかったし、それが合法か違法なんてことは関係なかった。
その頃はフランスではサルコジ大統領から移民に対して圧力がかかっていたので、「やりたいことはやる」と反抗するためには目につく存在、認識される存在になろうとしていました。センセーショナルなものをつくることで、「移民は無価値ではない」と証明したかったんです。Jet Setのメンバーは例えば「大統領」といった高い階級の名前を付けることで、価値を主張していました。ただそういったことにはパフォーマンスが伴わないといけませんので、プロのミュージシャンやダンサーを巻き込むことにしました。振付を依頼されてもひとつのスタイルを習得しようとしてもそれがなかなかうまくいかないし、話を聞いてくれない。そんなプロセスを踏みながら独特な美しさを生み出していきました。
モニカ: Jetsetのひとたちが受け入れるものもあるけど、そうでないものもあり、ステップを教えても、全部できるわけではない。けれども、滅茶苦茶なものを取り入れたその取組みは舞台で表現する上で全く遜色のないものでしたし高い評価と反響を呼びました。
フランク: 従うのでも学習でもない、というやり方は基本的原則です。グループは個性の強い人間が多く、まとめようとしてもうまくいかない。ひとりひとりが自分の性格をもち表現をしたいことがあるので、何を目指しているのか、同じ意見ではないし美的感覚も異なるので矛盾も生じますが、それを作品に取り入れていくのです。決まった時間に来ないといけないなどといった劇場のルールと、来ても来なくてもいいようなナイトクラブのルールとは違いがあって、そのようなことは守らせたけれど、できるだけの自由を与えることにより観客に多くの新しい発見をもたらすことができました。
コンテンポラリーダンスは、西側諸国の野心の表れではないだろうか?
モニカ:『LOGOBI』のフォーマットは2人でやると決まっています。グループが大きくなると、複雑になります。最初の2作品はゴッタ・デプリと一緒にやりました。ギンタースドルファー/クラーセンはダンサーではないし、コンテンポラリーダンスには詳しくないということもあり、コートジボワールとドイツ、ひいてはヨーロッパの美的感覚に違いがあるのか、向き合うことにしました。かなり挑発的なパフォーマンスを目指していたので、ワークショップを繰り返して創作するようなものでなく最初からパフォーマンスをしたいとおもいました。
その時、ある仮説を立てました。“コンテンポラリーダンスは、形がはっきりとせず特定することができない。ある技術に基づいてやっているわけでもない。もしかするとこれは西側諸国の野心の表現なのではないだろうか?つまりダンスが上手なアフリカ人のダンスを排斥するために、コンセプトを設け演出することで踊っているのではないか?”。この仮説に対して議論できる人がいるのではないか?いうところからスタートして、ダンスへの考えが異なっていること知らしめたのです。現代アートシーンに属していない人からの問いかけ、植民地主義のアジェンダが隠れているという側面がJetSetにもあります。
フランク:今回のLOGOBIもダンサーが2人で、バックグラウンドが全く異なりますね。共通点がほとんどない。かなり違う。お互い歌舞伎のバックグラウンドもないし、舞踏のバックグラウンドもない。一緒になって日本の知識を学ばないといけないのです。
モニカ:『LOGOBI』は動きだけでない、言葉を使う、コメントしあって、対話が生まれる。動きでだけではないのです。
フランク: すべて尊敬しあい、しかしそれだけではなく分析しあい、話し合いをする、ということなのです。