ディレクターズ メッセージその1
ディレクターズ メッセージその1 FT15開幕に向けて
市村 作知雄
FT15のプログラムは、今から1年半位前にその骨格が決まったと記憶している。だが、この1年半はあまりにも長かった。1年半の間に世界は本当に激しく急速に壊れていってしまった、これが今の私の自覚するところである。さらに地球環境の壊れ方はますますとどまることを知らず、異常な現象はもはや常態化している。崩壊の予感は、私だけのものだろうか。
この1年半、EUの危機から始まり、難民の問題はいまだ解決の糸口すら見つけられない。これほどの大量な民族移動が、難民という形をとって現れてくることなどだれが想定できただろうか。
そのような困難な状況でこそ、世界の人々との文化的交流を絶やさないことの重要さはますます増大するのである。文化的交流がないところで難民問題が起これば、ただちに一触即発の状況が生み出される。戦争を回避するための最大の武器は、互いの人々、つまり民間人の相互交流と理解だと考えられ、互いの人々がそれぞれの国の政府の行き過ぎをストップすることでしか戦争は回避できないし、そのためには常日頃から文化的交流を絶やすことなく、真剣に推し進めることだと思う。フェスティバルトーキョーは、日本における民間レベルでの国際的文化交流のもっとも重要なプロジェクトでありたい。そのためには、友好国との交流ももちろん重要だが、むしろそうではない、政府レベルで問題を抱えた国や地域との交流を進めて行きたいと思う。アジア諸国との文化的交流をしようとする場合、常になんらかのわだかまりと躊躇におそわれるが、それはほとんど明治から終戦までの日本の歴史に由来するものである。さらにそのような意識はかなり世代的なものでもあるようだ。平成の世代は、そのようなわだかまりや躊躇なしに、<素のままで>交流が形成されていくと思われるので、私はその世代に大きな期待を寄せている。
日本社会にいると難民も多民族国家のあり方についても他人事で通り過ぎていってしまうが、ほとんどのアジアの国は、あるいは世界の国は多民族国家である。私は、世界の人々、我々から遠い人々が真剣に感じている、考えている、あるいは被っていることを、自分自身のことのように感じる能力を育むことができるのがアートだと確信しているし、それだからこそ私は、アートの世界に身を置いているのだと思う。かつてドイツのノーベル賞文学者が、東北大震災を語るについて、遠いヨーロッパの地から、それは私たちの震災か、あなたたちの震災かと問うたことと同じである。
(つづく)