昨日で会期を終えた「F/T11公募プログラム」。
F/Tアワード受賞作品が下記に決定いたしました。
●審査員長・内野儀による審査経過の説明
審査経過について:
演劇のコンペはそんなに数がなく、言語の問題もあり、文脈のこともあり、絶対的な価値基準は出にくい。
上演にあたっても、審査員が必ずしも全員(5名)、同じ回を見ていたわけでもない。
今回の11演目をどのように評価するかについて、まず最初に、議論の前に、それぞれの審査員が3つの作品を選びました。
さらにもし、必要があれば2本だす。
最高でひとり5本を選出できるという方式になりました。
【得票数】
捩子ぴじん『モチベーション代行』:5票
村川拓也『ツァイトゲーバー』:4票
バナナ学園純情乙女組『バナ学バトル★☆熱血スポ魂秋の大運動会!!!!!』:3票
ジョン・グムヒョン(韓国)『油圧ヴァイブレーター』:3票
チョイ・カファイ(シンガポール)『ノーション:ダンス・フィクション』:2票
ピーチャム・カンパニー『復活』:1票
ランドステージング・シアター・カンパニー『River!River!River!』:1票
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【決戦投票となった上位2作品についての議論の焦点】
『モチベーション代行』
・アーティストである、芸術することはどういうことなのかという点。
・自分のいる場所への問いかけ。
・それが更に大きな文脈(3.11を日本独自の文脈というべきかは議論の余地があるが)のなかにおける、「労働」という大きな社会的問題に対する、態度ないしはスタンス。
・出演者:
文学座の俳優という業界的な位置に自らを置く俳優=
本人(アーティスト)のアイデンティティ=いわゆる作品にすべきかの問いをもつ。
芸術・アートとは関係ない非正規雇用(アルバイト)の労働者
という3人を出し、かつインタビュー形式で行うことについて、現実性への疑いの余地を含めて非常に良くできた作品であった。
『ツァイトゲーバー』
・客席の位置を毎回変えていたらしいが、そこから一人参加して、身体障害者の役を演じることをひとつの仕掛けにしている。それがないと成立しない作品になっている。
そういうことも含めて、代理表象という演劇において政治的な問題に対し、身体障害者の代理表象などできない、しかしながらどうするか、という時に、男性の障害者の代理を女性に限定し、いかに事実から遠ざけるかを非常に入念に考えている。
演劇というものに可能性をみているが簡単に物語やキャラクターを演じることはできず、外には問題が山積みであるという点で高い評価を得た。
上記のように評価ポイントが異なったため、議論を出し尽くしたところで決戦投票を行い、
捩子ぴじん:3票
村川拓也:2票
と言う結果から、F/Tアワードは捩子ぴじん『モチベーション代行』と決定した。
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捩子ぴじん受賞コメントより抜粋:
受賞するかはわからなかったですが、テキストを用意してきました。
電車で暗記してきたのでそれを言うこともできますが、もう6時間前に起き抜けにパソコンに向かって書いた自分が全くの他者のような気もするので、読むことにします。
東京に住んでちょうど10年になります。来年は東京を離れ、九州の別府に移住するのですが、その前に東京の名前を冠したアワードを受賞したのは節目のような気もするし、後ろから呼び止められているような気もします。
別府に行って何をするかといえば、決まったプロジェクトもなく生活のあてもありません。
今後、舞台作品を創るかどうかもわかりませんし、
これまで便宜的に自分が使ってきた振付家・ダンサーという肩書は、日本の、東京というローカルな地域のみで通用する肩書のような気がします。
それに私には、これまでに先人が積み上げてきたダンスや振付に接続できるような専門性はありません。
ただ確かなのは、何かをするだろう、何かを調べ、探し、アウトプットする。
そのモチベーションだけです。
それが舞台作品や、既にある表現形態をとって現れることもあれば、そうではないこともあるでしょう。
なので、果たして自分がこれから「アーティスト」と名乗る必要があるかどうかも分かりません。
もし、アーティストという肩書が職業であるならば、
僕はそれで生活して食べているわけではないので、
僕はアーティストではないでしょう。
それで構いません。
今だったら僕は、フリーターもしくはファミマの店員、と呼ばれます。
ただ、アーティストという言葉は職業であると同時に、
人間に備わった潜在的な役割も指しているのではないかとも思います。
震災があり原発事故の渦中でこう考えました。
今ある文明・文化・社会が崩壊しても、何かを作ることかは可能だろうか。
当然のことながら、答えばYESです。
これに関しては、その答え以外には、ない。
中学校の教師の言葉のようなものです。
「やればできる。大丈夫だ。お前にも将来がある。」
もしそれが難しいと言うならその人は教師でないのと同然で、それは芸術ではないでしょう。
我々アーティストも同じです。
いかなる状況でもいかなる形でも、人間に向けて発信することが、我々の使命です。
「モチベーションは、人に教えたり、人に渡すことはできない。でも、それを伝播させたり、誰かの代わりに何かしてしまうことはあるだろう。」
これは尊敬する、同時代を生きる、あるアーティストの言葉です。
僕には過去の芸術の歴史に接続するような専門性を積み重ねることはできませんが
その潜在的な役割に向けて発信し、その存在をすくいあげることはできるでしょう。
もし自分がアーティストである、と自称することがあるなら、それが私の役割です。
全てのアーティストにむけて『モチベーション代行』を創りました。
皆さん、創り続けてください。
そのモチベーションが、作品に触れたすべての人、そして、私のいない、あなたのいない未来にまで伝播して、誰かが何かをする、と信じています。
ありがとうございました。