1967年ベイルート生まれ。現在世界の演劇界、アート界で最も高い注目を集める気鋭のアーティストの一人。ベイルートのレバノン大学で演劇学を専攻し、90年より劇作家・演出家・俳優としてのキャリアをスタート。やがて内戦の終わったレバノン社会の傷と矛盾を執拗に表象し、解体するパフォーマンスや映像作品をつくりはじめる。
代表作『スリー・ポスター』(01年)、『BIOKHRAPHIA-ビオハラフィア』(02年)、『消された官僚を探して』(04年)、『表象を恐れるのは誰?』(05年)は、ヨーロッパの主要な劇場やフェスティバルのみならず、中東、北米、アジアの各地でも上演され、世界の演劇フェスティバルや劇場の常連としての地位を築いてきた。日本でも『BIOKHRAPHIA-ビオハラフィア』が04年東京国際芸術祭で、『消えた官僚を探して』が08年SPAC春の芸術祭に招聘されている。また、前作『これがぜんぶエイプリルフールだったなら、とナンシーは』(07年)は、東京国際芸術祭との共同製作により東京にて世界初演され、その後、世界中で大きな反響を巻き起こした。
ラビア・ムルエの作り出す作品は、メディアや共同体が語る真実と虚構の間のあいまいな境界に揺さぶりをかける。個人のプライベートから、演劇やアートの意味や役割、そして宗派や政治派閥によって定義されるレバノン社会の諸問題まで、彼は自身が集めるドキュメント(記録物)、写真、オブジェなどを通して、「真実」を探し求めるが、その行為によって逆説的に明らかになってくるのは、メディアや歴史が作り出した多くの虚構に過ぎない。アーティストは個と社会の「歴史=物語」を交錯させながら、その影に潜む虚構の構造を暴いていく。
一方、俳優としてのムルエの活躍も目覚ましい。2008年には、『私は見たい』(監督:ジョアンナ・ハジトゥーマ&カリル・ジョレイジュ)でカトリーヌ・ドヌーヴと共演。ムルエが、ドヌーヴをレバノン南部にある祖母の家に連れていくという設定で、長年の内戦やイスラエル軍による攻撃で荒廃したレバノンの現実が映し出される。本作品は2008年カンヌ映画祭「ある視点」部門にもノミネートされ、日本でも東京フィルメックスのコンペティション部門で上映され、大きな話題を呼んだ。
1966年ベイルート生まれ。『椅子』(96年)、『Ovrira-オブリラ』(97年)、『戸籍の抜粋』(00年)、『BIOKHRAPHIA-ビオハラフィア』(02年)などの代表作では、演出のみならずサーネー自身も出演している。
初期の作品群では、中東の政治社会的紛争に影響を受けた身体と、そこに刻み込まれた痕跡を描いている。現在は体の理想化が進んでいる一方、この仮想世界における舞台芸術の持つ役割についてを出発点として、我々の市民の権利や公共の立場を疑問にする、マルチメディア・アートや映像、新しいシュプレヒコールを呼び起こせる力がある、様々な手法を借用した作品を創造している。
代表作の『アッペンディス』(07年)は内臓を一個一個取り外して、擬似的に火葬するという作品である。これは「リナ・サーネーボディ・パーツ・スタジオ」というプロジェクトの一貫で、宗教的制限により火葬を禁じ法律のあり方を問。人体に署名して、作品化したアーティストピエロ・マンゾーニにインスピレーションを得たサーネーは国内外のさまざまなアーティストに自分の体の部分部分に署名してもらい、死後には体を解体し、世界中にいるオーナーに分けるという長年のアート・プロジェクトも行っている。サーネーにとって、これはレバノンの抑圧的体制からの脱出方法である。