「個室都市東京」劇評 「袖すり合うも気付かぬ縁」  [大泉尚子氏]

 すとーんと腑に落ちた。ここを通った時、後頭部の隅っこの方に潜んでいて、意識に上ってこなかった何かが――。
 
 「個室都市東京」は、東京都豊島区の池袋駅からほど近い、池袋西口公園でやっている。やっているといっても、何をやっているんだか、よくはわからない。なんだか、個室ビデオ店なるものを作ったのだという。私は、台本があって劇場(必ずしも劇場じゃなくても、テントでも野外でもいいのだけれどともかく会場)でやる、いわゆる芝居らしい芝居が好きなので、こういうドキュメンタリーっぽいというか、役者を使わない作品は得意ではない。でもちょうど池袋で時間が空いていて、話の種にというのもあったし、何なんだそれは?という好奇心もあって出向いてきた。

 プレハブのその店は、入口もわかりにくくて、建物の周りをぐるっと回ってしまったのだが、いかにもチープなそれらしい看板の横のドアを開けて、とりあえず中に入る。受付で聞くと、DVDを借り、好きな部屋を選んで見られるのだという。料金は1時間1500円。オプション・ツアー付きもあるというので、それを申し込む。部屋は、畳やリクライニングシートなどタイプ別で計10室。マッサージチェアの部屋が1室だけあり、迷わずそれを選ぶ。
 受付横の陳列棚には、ずらりとDVDが並んでいる。300以上ありそうなDVDのケースには、外国人も含まれる老若男女の顔写真。眺めていると、街ゆく人をアットランダムに選んでインタビューした映像ではないかと思われる。背景にはどことなく共通するものがあり、どうやら撮影場所は、この公園もしくは周辺では...ということは想像に難くない。そう言えば、HPか何かにそんなようなことが書いてあった気もする。どれくらいの長さかも表示されていて、2、3分のものから10分を超えるものまで。これは面白いのではと、ピピーンときたのをまず1本、後は少し迷いながら3本ほどセレクトし、先に渡された小さなプラスティックのカゴに入れて部屋へ向かう。
 
 そこは、部屋というか、DVDプレーヤーの前に大きなチェアがあるだけの、2畳あるかないかのスペース。隣の部屋とは、人の背丈くらいの高さの、ややベコベコする壁で間仕切られている。音はヘッドフォンで聞くから、お互いに気にはならないのだろう。チェアは座イス式だったので、ブーツを脱いでどっかりと座りこみ、気になる順にDVDを見ることにする。
 最初のは、50代くらいの、ちょっと綾戸智絵に似た女の人。頭に布のようなものを巻いている。その布の下からのぞくほつれ毛の、ドレッドヘア的に少し束っぽい感じや、極端に斜めになっている姿勢などから、普通に家に住んでいる人なのかそうでないのか、その辺りがビミョーだなあ...という雰囲気が漂ってくる。
 マッサージ機のスイッチを入れ、いざ再生スタート。

...「特技は何ですか?」
「下手の横好きながら作詞・作曲と踊りです。体は不器用だけど」
「このインタビューを迷惑だと感じますか?」
「いいえ、その逆で光栄だと思います。もったいないことです」
「この西口公園にはよく来ますか?」
「この頃、確率的にはよく来ています」
「何をしに?」
「休みに。居眠りをしたり。駅だと、どうしても迷惑をかけますので」
「東京は住みよい街だと思いますか?」
「はい。皆さん親切でホームレスにたくさんお金を恵んで下さるので、東京のいい政治がうかがえます」
「日本は豊かな国だと思いますか?」
「平均すればそう思います。自分は乞食をしているけど、車が繁栄しているし、お金持ちの方が多いです」
「避難生活を送るとしたら、何を持ち歩きますか?」
「やっぱり自分の作品。肌身離さず持っていて、それだけあればいい。後は、ゴミ袋だったらトイレの代りになります」

 
 やっぱりホームレスの人だった。こういう人の趣味が作詞作曲、最後は作品だけがあればいいと聞くと、東京はやっぱり豊かなんじゃなかろうかと、つい思ってしまう。そんな単細胞なことを人前で言ったら、顰蹙ものなのだろうけど。比較的よどみのない口調から、ある程度の教育を受けている人という印象を受ける。

「風俗で働く人をどう思いますか?」
「それなりの気持ち、ポリシーがあればいいと思いますね。その人なりのあれで、私にはわからない背景があると思いますので」
「昨日の今頃、何をしていましたか?」
「体が疲れて、電車の中で居眠りをしていたような気がしますね」
「それは充実した時間でしたか?」
「体がいうことをきかなくて、それしか方法がなかったので。ある意味で充実していました」
「何歳まで生きていたいですか?」
「やっぱり長生きした方がいい。できれば100歳くらいとか」
「死にたい場所がありますか?」
「別にないです。天が与えた場所でというかね」

 
 この西口公園に面しては東京芸術劇場(以下「芸劇」)が建っており、公園は劇場の前庭のような格好でもある。私は芸劇には、観劇や会合に出るために足繁く通っているので、ここも、数え切れないほどの回数横切っているわけだ。それなのに今まで、このようなホームレスの人の存在は、目にも耳にも入ってこなかった。
 芸劇の小ホールでは、若手実力派作家の先鋭的な演劇もしばしば上演され、簡単にさっくりとは理解の及ばないような、超重量級の手応えの作品も少なくない。行きは、開演時間ギリギリで焦っていたり、帰りは、今見たばかりの芝居のことで頭がいっぱいで、誰それの演劇論と照らし合わせると...なんてことばっかり考えて、せかせかと通り過ぎていたせいだろうか。
 記憶にあるここの風景を、デジタルカメラの画像を1枚ずつ再生するように呼び出してみる。その中には確かに、ちびちびとワンカップ大関を飲んでいたり、所在なげにベンチに座っていたりする、それらしき人の姿がある。人は、風景そのものを見ているのではなく、自分の目的に適った風景だけを見ているのかもしれない。
 
「守るべきものはありますか?」
「自分なりの正義感をまっとうしたいという気持ちですね」
「この先、日本で戦争が起こると思いますか?」
「可能性としてはあります。憲法九条もありますけれど」
「祖国のために戦うことはできますか?」
「それは義務だと思いますね」
「命を懸けてもですか?」
「はい。国に生まれた以上、国のためにっていう...。それで自分が生きてこられたのだから」

 
 池袋は不思議な街だ。
 ストリップ劇場はおろか、あの手この手のあらゆるエッチ系のお店も、また何年か前には、山口組やオウム真理教の事務所も、恐いものヤバいものは何でも揃うと言われていた。東急ハンズ前の通り魔事件をはじめ、物騒な出来事にも事欠かない。
 以前、イタリアへのツアー旅行から帰国した翌日のこと。通っていた事務所に向かうため東口駅前の一角に足を踏み入れた途端、情けない気持ちでいっぱいになった。なんて雑然とした汚い街なんだろうと。空気も臭い。車やエアコンの排気の匂い、食べ物の匂い、人の匂いに加えて、得体の知れない臭気の入り混じった、何ともいえない匂いがする。
 一方でここには、かつては上智・青学と並んでJALと称された、お洒落ミッション系の立教大学のほか、音大ランキング上位の東京音大もあるし、芸劇やあうるすぽっとといった劇場も立ち並び、〈文化の香り高い〉雰囲気作りに一役も二役も買っている。駅から少し足を延ばせば、ほどなく閑静な高級住宅地にもたどり着く。
 こういう街を何というのだろう。清濁併せ呑む街?
 そういえば、新宿の西口地下通路からホームレスが追い出されたのは何年前だったのか。地下道の片側に、円柱状のものが点々と設置されて(あれは一体、誰の何の役に立っているのだろう?)、人が寝たり座ったりはおろか、行き交う人の流れに押されて、たむろすることもできない構造になった。確かに、かなりひどい刺激臭だったおしっこ臭さはなくなったけれど。あの時のいきさつを、私も含めてもう誰も口にせず、いや思い出しもしないが、あの人たちは一体どこへ行ったのだろう。あそこから、ここ西口公園に流れて来た人もいるのだろうか。でもここには屋根がないから、寝るには夏以外は寒すぎるし、真冬なら死んでしまうかもしれない。
 そして、池袋から「濁」の部分を削除したら、この街は腑抜けになって死ぬのだろうか?(とここまできて、ホームレスがいることを「濁」の一要素ととらえている自分に気付く) 
 民俗学者の宮田登と詩人の伊藤比呂美が、対談でこんなことを話している。

伊藤「...池袋っていうと、もう小さいころから、自分のテリトリーになるんです。沼袋の近くにも住んだことがあるんですけど、池とか沼とか湿地帯のイメージで、しかも袋っていうのがなんとなく、なんでも入ってるっていう、生殖のイメージも感じさせるんですね。『池袋・沼袋』っていうと、そのネーミングの趣味のよさにわくわくします」
宮田「『武蔵風土記稿』をみると、池袋や沼袋はなんか素性の知れぬ怪しげな雰囲気が漂っている、というような書き方をしているんですよ。なんか得体の知れない地域だって。地形的には袋状になっていて、水がじゅくじゅく湧き出ている地域なんですね...」
                          (「女のフォークロア」平凡社刊)
 
 池袋にはどこか底知れない懐の深さがあり、否定しきれない粘液質な魅力を持つ街といえなくもない。
 
 ともあれインタビュー。

「生きがいはありますか?」
「生きがいも何も、次から次へとイメージが湧いてきて、それを作品にしなければならず、また天から与えられた奴隷としての仕事もある。人から見ればキチガイなんだろうけど。ピアノ弾かなきゃとか、区役所に行かなきゃとか忙しいし」
「最後に、あなたはいったい誰ですか?」
「自分はタカハシマリコと申しますが、ある意味で、ほかの星から伝授された何か...、今の世の中、わからないとこで仕掛けられているかもしれず、わけのわからないロボットかも...という気持ちもありますね」

 残りのDVDを見ると、ほかの人にも同じような質問が投げかけられているのだが、この人の言葉がダントツに含蓄に富んでいて、その後も繰り返し見てしまう。

 時間が来て、次はオプション・ツアー。決められたマークを目印にして指定場所へたどりつくように、という指示がある。
 店を出て、目の前の野外舞台にぽつんと設けられた扉をくぐり抜ける。いくつものマークを目の端でとらえながら、芸劇のB1から地下道を通って再び地上に出て来ると、そこにあるのはマクドナルド。その隣の古びたビルの、ガッチャーンという振動音を立てる年代物のエレベーターで3階へ。何だか怪しげな店で、マジックミラー越しに、向こう側の部屋に座っている人の中から気に入った1人を選び、その相手と10分間話をするという趣向。
 話というのも、今しがたDVDで見てきたインタビューでの質問のいくつかが、私にされるのだ。何人もの受け答えを聞いてきたにもかかわらず、我が身に降りかかってくると、とっさにはうまく反応できなくて、面白みのないことしか言えない。聞きごたえのあるやりとりをするというのは、なかなか難しいものだと改めて痛感する。
 最後にここへと言われて木製のドアを開けると、大きな窓があり、聞こえてくるのは、女性の声のこんなアナウンス。「本日は有難うございました...西口公園の舞台の上にご注目ください。私たちが出会ったことのあかしに、灯りがともります」そして右手前方の、さっき通り抜けてきた野外舞台の扉に、ライトが点滅する。それを見ていると、恋人らしき二人が出てくるCMを思い出す。女の子がレストランの席に着き、ふと窓の外を見ると、ドッカーンと花火が上がる→胸キューンの表情(つまり男の子の方が、カノジョのために大枚はたいてそれを準備したわけだ)というヤツを。これは、あの手のちょっと廉価版か?
 その灯りは、映像に出てきたあの人の「私はここにいました」というメッセージに見えた、というオチは、いかにも安手のヒューマニズムにまみれ、センチに過ぎてダサいと思う。それでもやっぱり私には、地続きのところに生きていて、時にはニアミスをしたかもしれない彼女がその瞬間、「私はここ、池袋西口公園にいました」というメッセージを送ってきたかのように感じられてしまったのだから、こればっかりはどうしようもない。