フェスティバル/トーキョー トーキョー発、舞台芸術の祭典
若手カンパニー、 アーティストの自主公演を F/T がサポートする 「F/T公募プログラム (F/T Emerging Artists Program)」。 |
F/T公募プログラム応援キャラクター、F/T公募プログ・ラムちゃんです。 |
動画によるPR内容と、応募資料による事務局内での選考の結果、以下の23団体(日本:14、中国:4、インド:1、韓国:1、シンガポール:1、タイ:1、台湾:1)が一次選考を通過いたしました。
身体を欠如した、知と力学の演劇が、顕わになることを目論む。
演劇は音声以前の、存在以前の「声」があれば成立するという仮説。
その足がかりとして、「複製技術の演劇」という主題で、デジタルデバイス・特殊メイクなどを利用した演劇作品を制作している。
○連作「パサージュ」ついて
ドイツの思想ヴァルター・ベンヤミンをとりあげ、演劇の複製可能性を検証する試み。特に「パサージュⅢ」においては、演劇作品の美術化を試みる。
「パサージュI」
映像に映る俳優が主体で、その映像の人物(ベンヤミン)が架空の自己(ベンヤミン)を想定し、それは実演・生で演じられるというもの。作品の90%を映像の演技のみで構成し、最後に現れる生の演技者と映像の演技者が、存在として拮抗する場合、俳優のアウラは複製可能だという論証を企てた。
「パサージュII」
プラットフォーム型の舞台で上演。観客を舞台に乗せることで、観客の身体・影が舞台空間、映像などに投影され、俳優以外の身体の劇の関わりについて、実践する。展覧会ベケットの前の実験を行った。
「展覧会ベケット/パサージュIII」
ベケットの後期の先鋭的短編を4つ程とりあげ、それを、映像・音声・写真・物で制作し、美術作品として展示する。この鑑賞という行為が、俳優の身体不在について補完し、演劇を構成する可能性があるか検証する。また、ある時間に、ベンヤミンが断続的に登場し、演技が行われる。
大阪で生まれて、仙台で育った。母親が大阪出身だから関西弁を話す東北人として大きくなった。今は大阪では「東北の人」と呼ばれ、仙台では「関西の人」と呼ばれる。2011年3月11日午後2時46分、大阪は静かに揺れた。ボクはテレビやケータイを見る前に仙台が揺れたと感じた。なぜなら数日前にも地震があったため、故郷をとても意識していたから。地震の直後にお米を一〇合炊いた。おにぎりにして持って行くつもりだった。でも交通機関が全てストップしていたから、一〇合の米は自分で食べた。あとは家族から連絡が来ることをひたすら待った。ボクの身体はとても緊張していた。その時に感じたことを表現する過程で生まれた演技が「静止した身体」だった。
「静止する身体」は日常的に行っている動作を分解して、動作を複数のポーズの連続と捉えて、その複数のポーズから象徴的なポーズをひとつ選び、そのポーズをとったまま、身体を全く動かさず、身体から言葉も発しないという演技方法である。2012年3月に大阪で上演した『HOME~静止した日常』は「静止する身体」と共に、ポーズから連想した言葉を文章にして、ポーズをとっている本人が録音した音声を流した。音声は「静止」している人が何処にいて、何をしているかを語った。それは日常でもあり、非日常でもあった。そして「静止」している人は、長い「静止」した時間から開放され、再び動き始めた。
いくつかの要素で構成される。身体、それは骨と筋肉、それぞれの器官、神経経路。人が動くには、喋るには、何が必要であるか?実は簡単なことではない。動くこと、喋ることは小さい頃から自然に教え込まれてきたれっきとしたキャリアである。その為その「動き」や「言葉」には必然性がある。では舞台では何が必要か?空間・時間・客観性。人の生きてきた言葉や動きを結果作り物として舞台にあげる。その上で極限まで嘘のないものにしていく。どうしたら良いのか。それは「必然」を空気中に漂っているであろう、もしくは日常に潜んでいるであろう物質・人物なるものとして舞台に混入させる。私は動く、喋る、頭で考える、そこにいる。それらは全て根付いていて、過去の時間・体験が作り上げている。根本的なことをもっと細胞単位でフォーカスして、歪んだ空間を作り上げていく。そしてもっとも創作の中心的なテーマ、普遍的なテーマである生と死が、そうすることで舞台には見え隠れする。
俳優は、そこで表象される人物の、いわば代理人にすぎない。彼らの義務は、たとえば「ハムレット」を演じることではなく、「ハムレット」という作品を伝えることなんじゃないだろうか。通訳として、仲立ちとして、ハムレットと観客を結びつける役割を、彼らは負っている。だから、彼ら自身はまったく何もしなくていい。いや、むしろ積極的に何もしないでほしい。俳優の意図なんて、これっぽっちも見たくない。偉そうにするんじゃない。
あるいは、演出、劇作という仕事も例外ではない。何も書きたいことは書かない。演出したいことを演出しているわけではない。つまり、「表現」なんてしてないし、したくない。ただ、書かざるを得ないこと・書いてしまったことがあり、演出せざるを得ないこと・演出してしまったことがあるだけだ。
「循環」という言葉は、このテーマをあらわすのにぴったりかもしれない。
自然に生態系があり、そこで生物が循環していることが当然であるように、文化や芸術といった類の営みにもまた「循環」はある。その循環を食い止めるような行為は、例え、どんな俳優であろうとも、許されることではない。あるいは、その循環を止めない者こそを、僕は魅力的な人間だと感じる。
Qの作品にはよく動物や食べ物が出てきます。ペットやハムなど。ニンゲンも含めて。ペットはもともとただの動物でハムはもともとただの肉の塊でした。ニンゲンもきっとなにもないところ、サバンナのようなところでは、ただの生きているだけのもっとニンゲンだと思います。世の中で生きていくために自分を飼いならしています。その世の中の「形」に飼いならされきれないそこからはみ出している、無理している、存在が気になっています。それらを描こうとしているので、作品の登場人物たちは変なニンゲンにもみえるかもしれませんが、本当はニンゲンはもっと自由だしわがままに生きていいよ、と思います。
モノローグを基本とし、「分かり合う」ことを簡単には描かず、まずは一人一人が独立した存在であることを示したいです。一人一人、思っていることが誰にも届かないけれど、そんなことは最初からあんまり期待していなくて、悲しいとも捉えていません。幸せでも不幸せでもなく、ただ生きれるわわわわ、という気持ちになります。だけど、他人に頼らずみんな最終的にしあわせになります。
劇団子供鉅人はこれまで、様々なジャンルの舞台作品の創造に挑戦してきた。実際の家の中で演じられる会話劇、ミュージシャンらとの音楽劇、瀬戸内海の島の住人から島伝承の昔話を聞き取り調査し、再構成と創作を交えた「新しい昔話」劇などだ。旗揚げより一貫しているのは「演劇の持つ力」を信じることである。 どのような上演形態であろうと、演劇本来の魅力を人々に伝えることだ。その魅力の引き出し方を、劇団子供鉅人は試行錯誤してきた。
古代ギリシアの昔から、猿楽の昔から、「演劇」は滅びることなく連綿と行われてきた。それは、人間という生き物にとって「演劇」をする/みる行為は快感だからだ。人間はパンと水があれば生きていけるほど単純ではない。時には 「演劇」によって自己の、ひいては人間の輪郭を確かめる必要がある。輪郭をなぞった先に、新しい輪郭をとらえ直すことが、演劇をする/みることの素晴らしい効用の一つだ。
世界が人間で成り立っている以上、役者によって成り立つ演劇は世界そのものだ。世界には怒りや悲しみ、残酷さや優しさ、暴力、愛といったものが渦巻い ている。どれをとっても、世界を構築する上で必要であり、だからこそ、演劇が表現しうる世界/人間は無限に存在する。劇団子供鉅人は、すすんでその無限に突入する。劇団が人間たちの集団であるかぎり、我々は突入する権利があり、 無限のなかからきらめく「物語」を発掘することができるからだ。
私はソロパフォーマーです。インドの伝統舞踊(Bharatanatyam)を習い、10年前にコンテンポラリーへと移りました。私の作品は、新世代のダンスアーティストを代表する人々の、現代アジアにおける審美的なパフォーマンスの発展と貢献に、深く根ざしています。ヨーロッパのダンスの文脈におけるコンテンポラリーと呼ばれるものに、取って替わるものがあるということは非常に重要なことだと考えています。
実験的なスタイルの劇団、薪伝実験劇団は、中国の実験演劇において牽引的な役割を果たしています。私たちの作品は、日本での利賀アジア演出家フェスティバルを含む7カ国で上演されました。劇団は、マルチメディアシアター、ドキュメンタリーシアター、そしてフィジカルシアターの方法を通じて、最先端の中国演劇を発展させることに尽力してきました。2012年の作品『THUNDERSTORM 2.0』 (8月にはTaipei Arts Fstivalに参加)は、The Beijing Newsで、過去30年間で中国国内における小劇場作品ベスト10に選ばれました。私たちは、2012年に大胆なマニフェストと6つの新作で、La nouveau vague du théatre (a New Wave Theatre Movement)を立ち上げました。
※団体名の表記をThéâtre du Rêve Expérimentalより変更しました。
1. 私の創作は、シャーマン的な考えが、それを保存するというよりも、どのように現在の生活において応用されうるか、ということを明らかにしようと試みている。なぜなら、シャーマン的な考え方は、深く私たちの無意識や神経ネットワーク内で深く蓄積されたものであるからだ。私は、このようなプロセスから人間の新しい感覚、言語を探究できると思っている。
2.私は、パフォーマンスや作品をかたち作るときの固定化しない方法を探究している。ルールや形式があればあるほど、私たちはますます抑圧され制限される。そのため、私はいつも、調和のための自然な方法を探そうとしている。私たちは調和の例を、子供の遊びや、空を飛ぶ鳥たちの正しい順列、蛍の光のリズムに見ることができる。
私は、作品のテーマについて、旅行、訪問、インタビューといった方法を用いたリサーチを必要とする。そして、リサーチの間に起こる、あらゆるハプニング、行動、ユーモア、遊び、そして話が、作品の重要な材料であり、表現となった。パフォーマーにとって想像することが興味深いほどに、私の表現はダイナミックになる。パフォーマーと観客の状況が分離されないほどに、私の表現は、またくだけたものになる。私たちの身体は常に、この瞬間にも変わり続けている。作品やパフォーマンスを発展させるには、この世界に一生物として生きるために、いつも変わり続けられることが必要である。
公式HP: http://yeongransuh.com/
演劇は演劇として自立したうえで社会との関係を直接結びたいと考えている。
普段は古典の戯曲を用い、俳優の発語の強さと速さを軸に硬質な芝居を作っている。例えば舞台上の俳優を撮影しその場で投影したり、俳優の発した台詞を繰り返したりして俳優の身体以外の要素を舞台上に持ってくることによって、 複数のレイヤーを舞台上に作り、逆に俳優の身体を際立たせる試みを行っている。そうして俳優を物語のなかのあるキャラクターを演じるだけの役割から脱却し、物語の奴隷たる状態から解放したいと考えている。ただしダンスではなく、テキストを何らかの形で音声化した上で、そこに存在させたい欲求がある。それは俳優=人間が社会と対峙するとき、そこに狭義の身体性はもちろん、広義のつまり音声も含めた身体性で対峙しなければならないと考えるからである。
大きな演劇を作りたいと思う。我々が直接関与できるのは、俳優の身体という身の丈サイズだが、身体性が増幅し共鳴することで、政治性を獲得して、さらにそれを目撃している観客もともに共鳴していくような作品を作りたい。
最近の中心的なテーマとなっているのは孤独感を肯定する場所を呈示したいということです。その孤独とは、ある人間関係の網目の内で感じる不足感やさみしさではなく、むしろふとしたときにそこからすらも外れてしまったときに感じる不安な寂寥感です。そこに誰かがいた、あるいは誰かが遠くにいることの、その距離に対する感覚ではなく、そこに誰もいないことの恐れと困惑です。それは実際に人が近くにいる/いないことは関係ありません。
そしてそれが肯定されるためには、観客自らがあくまでも個人として行動を起こし、あたかも偶然のように作品と出会い、大勢の中にいても一人でそれと向かい合うことができる場所が必要であると考えています。sons wo: ではそういった場所を「開かれた自己内省のための場」と呼び、これのありかたを追求しています。
その場所では、物語が、誰かから渡されたり見せつけられたりするのではなく、そこにあるものの向こう側に見出されるように存在しているべきと考えており、そういう意味で劇空間はただのきっかけ、先触れでありたい。誰のものでもない(もしくはあまりにも誰のものでもありすぎる)物語への方向をただ示すだけの「装置」として私たちの演劇が世界の中で存在し、その装置がそれぞれの人たちとあくまで「個人」として出会うことによって、本当は孤独な、しかし行動する魂が救われてほしいと願っています。
私の興味の根本は、私の考え方、言葉、話し方、振る舞い、感覚、記憶、風景は全てだれかの借り物あるいは自分でいつのまにかつぎはぎしたものである、考えをもつ一人の人間として、個体として、自分がなにかを主張することが危うい、という感覚が拭えないということです。ここが全ての制作の出発点です。それを礎に、映像編集についてを学ぶうちに、そこからパフォーマンスとしての時間の制作についてを考えるようになりました。パフォーマンスという方法を使うのは、それが未だ、一番わからない時間をわたしの中に生むからです。生物が生きることは、一瞬一瞬の判断の連続で、編集そのものだと思います。点のように世界に溢れている生き物の時間を交差させるような時間を、映像よりも舞台上で作りたい思います。今現在の事物の編集方法については特に、人間がまだ動物であると考えるならば、人間のこども、2才くらいまでの、やさしさや哀しみを覚える前の、ひたすらに生を選びとる無尽蔵に強靭な時期の生からヒントを得ようと考えています。
私は会話を信じている。良い、心の通じる、会話。人と人、都市と都市、ものと物の間の会話。残念ながら、私は余りおしゃべりが得意ではない。しかし、私は、物語を聞くことには本当に興味を持っている。あなたを駆り立てるもの。あなたをひらめかせるもの。あなたが生きる世界をより良く、素敵に、簡単に、そして、考え深い場所にさせる方法。そして、私はこれらの物語を持って、体験へと変えていく。
私たちに覚えておくようにさせる体験。忘れないように思い出させる体験。それらの体験は、私たちの生きるデジタルな宇宙と物質的な宇宙を横断し、マジカルな劇場空間でそれらをブレンドする。私たちは、しばらくの間、その引かれた境界線について忘れることができる。そこで、超現実と現実は一つとなる。
東京スポーツ、テレビ東京、AMラジオ、立川談志、ビートたけし、象さんのポットなど、これまで自身が影響を受けた様々なプロップスをサンプラーに取り込み、ヒップホップ流の了見でアウトプットする作品作りをモットーとしております。「ヒップホップ=ラップ」と連想する方が大半かと思いますが、当方は「サンプリング」に重きをおいております。無から何かを作り上げるといった才覚は持ち合わせておりません。在るとすれば、既存の何かと、これまた既存の何かを融合させたり、同期させて走らせるなど、リミックスする発想と、然るべき適正だと考えております。マスかコアか、ネタ選びも含めどちらに訴えながらネクストレベルを目指すのかといった問題が、この手の芸風にはつきものと認識しておりますし、今後の課題とも捉えております。ヒップホップが非音楽家の音楽であるならば、非演劇家が演る演劇を強みと考え、無二の存在となりえるべく、精進邁進する所存で御座います。
私が演劇をやっているのは、私が今ここにこの状態でいることをつくったすべての要素に、なんとかして報いたいと思っているからだろう。私の喋る言葉は、私がつくったものではなく、今、ここまで生きてきた人がつくってきたもので、私の考え方は、この社会の、私が生きる世界がつくったものだ。私は、私にとっては、唯一無二の私であるが、私の中にある要素のひとつひとつは、私以外の他者も持っており、特別なものではない。
私は、私のことが知りたい。同時に、私をつくったすべての要素について知りたい。また、私が、他者のことを、わかったと思える瞬間、そこで何が起きているのかを知りたい。考えるよりも先に、演劇をやれば、それが、肌でわかるのではないか、と思っている。|私に操ることができるのは、非常に限られた範囲だけだ。限られた場所に、限られた人が集まり、演劇が生じる。その場所がどのような意味を持った場所であるのか、そこにどんな人がいて、どんなものがあって、観客はどのようなルールでもってそれらを見るのか、観客はどのように他の観客に見られるのか。
しかし、限られてはいるが、そこには、その場限りではない、私たちの認識の根本を揺るがす出来事が起きる可能性がある。無限の宇宙・歴史が、有限の演劇の場に繋がり、有限の演劇の場は、認識を無限に、少しずつ変化させうる。
私は、コミュニケートのあり方の理想形を舞台上に提示したいと思っています。
人間を、間近で、じっくりと時間をかけて、見ることができる機会は、舞台芸術(演劇やダンスなど)を観賞するときくらいしかないのではないか。
では舞台芸術の観賞時、観客は何を見ているのか?
人によって違うのでしょうが、私の場合は、目の前の人間のコミュニケートのあり方を見ているのだと思う。
そして私は、コミュニケートのあり方の理想形を舞台上で毎回その都度提示しているつもりです。現実ではなく、理想を。
こうであればいいのに。こうであって欲しい。という理想を。
そして、観客には是非その舞台上でのコミュニケートのあり方を参考にしてもらいたいと思っている。
コミュニケートに悩んでいる人も、悩んでいない人も、現実に持ち帰って実行したらいいと思っている。
小説家の保坂和志さんが、その著作のなかで、
「言葉」を規定しているのは、日常での言葉ではなくて、小説家が書いた言葉(小説)が「言葉」を規定していて、それが日常に反映・普及している。という意味内容のことを書いていたのですが、
私もそれと同じように、
「コミュニケートのあり方」を規定しているのは、舞台芸術であって、舞台でのコミュニケートのあり方が日常生活に反映・普及している、と考えたい。
私は、コミュニケートのあり方の理想形を舞台上に提示したいと思っています。
このドラマは光と闇、内と外、生と死、過去と未来の交錯である。これは、出演者たちが都市の郊外から田舎へと行く道筋で見て、考えたことのプレゼンテーションである。この作品は、今現在もまだ遺る中国の地方歌劇というメディア形式で上演される。そしてメインイメージは、魯迅の『影的告別』という作品から想起された。
中国の地方歌劇は、近代文明化の華々しさの陰で長い間、歴史的な遺産とみなされていた。それは、私たちが再びコミュニケーションの橋渡しをするために、隠喩のメカニズムに頼らざるを得ないほど、孤立した世界である。
死を生き延びる、もしくは、死んだ者の魂の帰還というのが、中国の地方歌劇の典型的なプロットの一つであるが、未だに中国の地方歌劇において肝心なのは、生きる意志への並々ならぬ強い表現である。また、私たちが直面した態度や意志が暗示するものは、中国の地方歌劇や伝統の世界が直面している近代文明からの抑圧でもある。
近代文明は光と闇、人と霊、合理と不合理の間に矛盾した理論システムを作り上げた。私たちがその理論を越えて議論するとき、私たちは再び魯迅と出会った。なぜなら、彼の描き出す世界が、私たちの生きる現実、その現存する場における私たちの疑いと呼応するからである。現存する場で疑いを持ちながら、光と闇、内と外、生と死、過去と未来に立ち向かいながら、私たちは、その幻滅の後の精神的な貧困と危機を取り上げ、深い反省と反駁を試みている。中国の地方歌劇の形式をこの演劇で用いたのは、光と陰、身体と精神、近代と伝統、物質的な生活と精神的な生活を分離されたもとで生きる状況を体現するためである。
私たちは、中国の地方歌劇のいくつかの視覚的、音楽的な形式を、それを用いたコミュニケーションを達成するため、また、私たちの上演方法によって、現代を生き抜くための条件を示すためにも用いている。例えば、私たちは影絵人形(Piying opera)の光の使い方を取り入れている。それによって、この演劇では、外の形から、暗示される内容へと層をつくり、ゆっくりと拡張されていく。Dao Tsingと呼ばれる中国の地方歌劇では、最も悲しい声で歌い(Da Ku Ban)、死んだ霊を呼ぶ。死んだ霊は独白し、彼の死後の世界への気持ちを表現する。
光と闇、生と死といった対置される関係を探究しながら、私たちは、その二つに分かれた世界、中国の地方歌劇によって描きだされる前近代的な中国と近代中国の間をつなぐ流れを創り出そうとする。1925年に執筆された魯迅の『影的告別』は、独自に近代のテーマについて述べている。私たちは、「影」から前近代と近代の中国のつなぎ目を見ることができ、また曖昧で、不完全な現代における私たちの取り組みと選択を推し量り、表現する方法を考えることができる。
「映像」というものがわれわれ人類に与える影響を自分なりに表現している。その過程で「映像・身体・言葉」の緊密化を生み出す独自の即興パフォーマンスの方法論「トランスフォーめいそう」を構築する。作品制作のプロセスは次の様なものだ。まず或る「システム」をつくり、「システムの中で披露される即興表現」を毎回の公演で提示する。このやり方により、「方法論それ自体を作品として提示する」ことを意図している。比喩的に述べると、「自らつくりだした特殊な水質のプールのなかで、いかに華麗に泳ぐことができるか。アスリートのようにそれを観客に捧げる」。
そしてさらに「映像」というものをより広く解釈し、現代の人間の上に雲のように覆い被さるものの総体として捉える。遥か昔に人間がものを見てそこから象形文字をつくりだした瞬間から、二次関数的に発達を遂げてきたクラウド的情報技術の隆盛までを射程に入れ、舞台の上でパッケージする。パフォーマンスという表現媒体はそれを可能にすると信じている。
私たちの作品は、フィジカルシアター、ダンス、視覚メディアやその他の可能な方法を組み合わせたものです。私たちはどんな些細な可能性も実験し、探究する傾向があります。私たちは妥協しません。
音楽が、個人による創作の域を超えて、音そのものに対する問いかけとしての側面を持つようになってから、長い時が経っています。その問いかけの最初期から、演劇との関わりが考えられてきました。それは、音が私たちの「あいだ」にあるもの、という根源的な認識のうえに立ってのものでした。私も、私たちの「あいだ」について考えたいと思っています。
私は、その「あいだ」への志向を、「録音芸術」を音楽受容の中心として育ってきたものとして、考えたいと思っています。それは必然的に、歴史や記憶、あるいは死者のことを考えることであると思います。
死者や、記憶、歴史は、完成されたものばかりではありません。取るに足りないノイズや、激しすぎた想いは、知らぬまに、あるいは意図的に、忘却せられています。
それらの声は、現在の別のなにかと結びつくことによって、「力」を持ちます。
その記憶や死者たちを、演劇という「いま」へ呼び出すこと。記憶や死者たちの生成と帰還を、「いま」において感じること。
私はそのような考えに立って、舞台行為を行いたいと思っています。
『Writing poems』という演劇作品は、ドラマ構成、出演、そして4人の若い詩人によるテキストの創作を行ったSun Xiaoxinとインディペンデントフォークレーベル、Sesame Oil Leavesの創設者であるMa Diによる集団的行為である。
『Writing poems』はシンプルな名であるが、力強い言葉である。創作は「いつ私たちは詩を書き始めたのか?」という、ちょっとした疑問から始まった。5人の詩人が、詩創作における秘密の源に関する情報を探すために集まった。
『Writing poems』は個人的な口述される歴史、そして物資的なメディアとして詩を書く人々の身体を展示する。それは、どのように詩創作が起こるのか、その行為の成長と崩壊の瞬間、社会的アイデンティティとの行為的関連や相互作用を見せる。この作品は、詩を書くという行為は、大衆の生活に根ざしたものであると強調する。ある一定の大衆が、エリートやある種の権威の目的のために詩があるのだと信じるとき、どのように詩は大衆の元へと戻れるのか。どのように普通の若者が「詩を書くこと」、詩人、そして自身の社会的地位を扱うことができるのか?これが、この演劇作品において探究しようと試みていることである。
私たちは、画期的な演劇的研究と製作をするカンパニーです。私たちは、現代中国の物語に注力しています。メインテーマは、ニヒリズム、孤独、絶望、弱さ、内的葛藤、記憶、夢なのです。私たちは、音、テキスト、照明デザイン、そして役者のスピリチュアルな強さを特に大事に考えています。