アーティスト

アーティストについて

飴屋法水

演出家・美術家

1961年生まれ。78年、17歳でアングラ演劇の中心的存在だった唐十郎主宰の状況劇場に参加し、音響を担当。84年、独立し、演劇未経験者のみを集め、東京グランギニョルを結成、演出家としてデビューする。音楽と美術、そして身体としての俳優を演出の中心に据え、いわゆる小劇場とは異質な活動を展開。86年、グランギニョル解散後は、大崎の廃工場にアトリエを構え、数トンにおよぶ実際の産業廃棄物の中で公演活動を継続。その後、同アトリエにて製作されたマシンを俳優にすえ、メカニックな装置と肉体の対立や融合、人体の免疫機構をテーマとした、MMM名義での『スキン/SKIN』シリーズを展開しつつ、しだいに発表形態を「舞台演劇」から遠ざけていく。
90年を境に、TECHNOCRAT名義での美術活動に移行するも、人間の身体には一貫してこだわり続け、輸血、人工授精、感染症、品種改良、化学食品、性、性差別等をテーマの中心としていた。また、この間も作品の販売ではなく、入場料制による体験型の発表形態をとり続けており、ゆえに美術作品ではなく、拡張型の演劇とみなす向きもあった。
95年、ベネツィア・ビエンナーレに、自身の精液(遺伝情報)を他国で販売する「パブリック ザーメン」で参加するが、その後、美術展での発表を停止。東京・東中野に「動物堂」を開店し、さまざまな生物の飼育と販売を開始した。活動の場を、「店」という、実社会の経済や流通ルートの中におくことで、また、販売した商品(動物)が、実際の家庭の中で、持続的に家族として扱われることで、飴屋はさらに異なる客層を対象とした。97年に出版された「キミは動物(ケダモノ)と暮らせるか?」は、さまざまな珍獣の特徴や飼育に関する情報を提供しながらも、飴屋が数々の動物と生活を共にする中で見えてきた人間や動物についての数々の考察を含んでいる。
05年には、それまで休止していた美術活動を、「バ  ング  ン ト」展で再開。「消失」をテーマとしたこの展覧会は、1.8メートル四方の白い箱の中に飴屋自身が閉じ込められるというものだった。完全に光を遮断し、最小限の通気のみが許された箱の中の闇にこもる飴屋と、外部の人間のコミュニケーション手段はノックのみ。24日にわたる会期を、飴屋は必要最低限の水と流動食を携え、箱の中で過ごし、他者には見えなくなった自らの存在を作品の本質的構成要素とした。
07年には、静岡県舞台芸術センターからの委嘱で、現役の女子高校生19名を起用した『転校生』を演出し、演劇活動を再開。以後、毎年フェスティバル/トーキョーで新作を発表するなど、精力的な活動を展開している。

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