(まず場内のスクリーンに初演「DRAMATHOLOGY/ドラマソロジー」のVTRが流れる)
Q
この作品はちょうど去年の今ごろ、伊丹のアイホールというところで
制作・上演されたものです。
伊丹に在住の地域のお年寄り、上は95歳までの人たちと一緒に演劇をつくったということで、今回この作品を、東京で上演して頂きます。
それでは相模さん、映像を見ながらで結構ですので、
今回の作品のコンセプトについてお伺いできますでしょうか。
相模
はい、えっと、相模です。宜しくお願いします。
えっとですね、再演ということで、
初演のときにどういうことを考えてつくっていたかということを
お話しできればなと思うんですけども。
今回の作品は先ほど紹介頂いたように、
「何か話をしたいひとはアイホールに来てください」
みたいな感じで無作為に募集をかけて、
集まってきてくれた方、7名の作品をつくったんですけれども。
その中で語られることっていうのは
戦争体験であったり、
その戦後の貧しさであったりというような話なんですけれど、
何かその中に、
よくその彼・彼女らの主語っていうものが、
「わたしは」とか「われわれは」って話をしていて、
その「わたしたちは」「われわれは」という人たちというのは、
戦争を体験している人たちであったりとか、
あとはその中で別れていった死者たちだったりするわけで。
そのとき、その話を聞いている「ぼく」は
「あなたたち」というもので囲われてしまって、その話を全く共有ができない。
じゃあこの人たちの話を舞台上でわたしたちが共有するためには
どうしたらいいだろう、という風なことを考えていて。
それでその、
とにかく彼らから出てくる「わたしは」といういろんな記憶っていうものを
全てテキストに起こしてしまってそれを出演者たちがまた再び読む。
で、
またそのテキストを読む声でさえもマイクで拾われて、
そのひとの体のもっと違うところから声が出てしまう。
で、
その語る身振りであったりするものも
その舞台上に一緒にいる......
何も動かないし何もしゃべらない俳優がひとりいるんですが、
そのひとによって、身振りを盗まれてしまう。
何かそういう風に、決定的に「わたし」というものを、
その記憶を語ることによる、言葉だったり記憶だったり身振りだったりというものを
どんどんどんどんその出演者の人たちから引き離していくことによって、
誰もが共有できる「わたし」として、イコール「わたしたち」として、
舞台上で提供できればいいなあというふうに思いながらつくっていました。
それで今回再演ということで、ただただ再現ということではなく、
初演のドキュメントであるような、
何か、このアイホールでやった「DRAMATHPLOGY/ドラマソロジー」という作品が
過去にあった、という風なものからスタートして、
また新たに考えていくことができればと思っています。