会見コメント・テキスト版2:飴屋法水さんです
飴屋さんの動画は⇒コチラです(会見動画5)
Q
飴屋さんは前回(F/T 09春・秋)、「転校生」、「4.48サイコシス」という2作品で
戯曲と俳優に徹底的に向き合って頂いた訳ですけれども、
今回、
「戯曲も俳優も劇場もない。けれども、これが演劇だ」
と言えるものをぜひ一緒につくりましょう、ということで
お声を掛けさせて頂きました。
現時点で決まっていることはそんなにないかもしれませんけれども、
いまお考えのことをお話し頂きたいと思います。
飴屋
「自分の話ですけれど、17歳から35年間、演劇をやっているんですが、
いまだに演劇というものがまったくわからず、どういうものなんだろうなぁ......
動物はこどもとか生んで好きなんですけれど、
その中のちょっと生まれ残って、あと死ぬじゃないですか。
多様性という言葉がありますけれど、違うものを複数生んで、
どれかが当たって生き残るんだろう、みたいなやり方で
種が生き延びるようになってると思うんですね。
そこでは個が生き残るということはあまり重要ではなくて、
なんか人間は、どうもそういう風には生きれないなあと。
誰かしらが成功して、残りが失敗という形、
多様性というのはそういうやり方で、
圧倒的に人間はそういうやり方では生きていないんですね。
それでも昔の話、大勢生んで、死んで、死なないひともいて、
というのがまだあったと思うんだけど、
だんだん、どんどん無くなっていって、
死んでいい子はいちゃいけないっていうか、
いないようにしていこうって形で
種が生き延びていこうというのは明らかだと思うんですよ。
多様性っていうか違いみたいなものということを、
種全体の中で肯定的に交換しあうというか、
そういうことして種全体が生き延びよう、ってするしかないかなと思ってます。
だからこういうフェスティバルみたいのも、
すごいみんなムチャクチャ違うと思うんですけど、
肯定的ににお互いの違いみたいなのを交換しあえればな、というのが1つ。
もう1つは、もういっこ多様性というものを考えたとき、
今度は自分なら自分で、個で生き延びる、っていうね、
僕は自分が生き延びれればいいと思っているんですけど、
生き延びるにはどうしたらいいかな、っていう。
あともういっこは、自分の中に多様性みたいなものを
持っていくしかないと思うんですよ。
そうしないと結局その個が生き延びれないんじゃないかな、
って思うんですね。
だからそれぞれの中で自分はこのやり方、これが好きとか、
このやり方とか、これを価値だと思う、ってことで、
その中でどれかが生き延びるってことではなく、
自分の中にやっぱり多様なものを、個のなかにもってくってのが
人間が生きていくための1個の方法じゃないかと思っていて、
そうすると一番露骨に言うと
自分が一番好きなものとか自分が一番愛しているものに、
一番同時に非常に疑っていくというか、
否定的なベクトルを向けるとしたらそれは他者に向かってではなく、
自分に一番否定的なベクトルを向ける。
そういうことをして、自分の中に多様性を持っていくのがいいかなって思います。
だからまあ、今回役者さんを使わないとか、劇場を使わないとか、
ということのやり方でやっていくんだけど、
それも僕は役者さん大好きだし劇場も好きなんですけど、
それから演劇も好きなんだろうと思うんですけどね、
こんだけやってるんだから。
でも、その一番好きなものに向かってやっぱり疑いの目も向けていくっていうか。
否定的なベクトルをもっていくというか。
まあ、一番分かりやすいのが自分にこどもがいて
自分のこどもがものすごく好きで。
ものすごくは愛しているんですが。
「それほんとかよ」みたいな。
そういう自分の愛情を疑っていくというか。
そういうことがとても大事かな、と思っています。」
以上
F/T10記者会見コメント 飴屋法水