9月初旬。F/T09秋の開幕に向けたプレトークが、池袋・自由学園明日館講堂で行われた。批評家、エクス・ポ編集長の佐々木敦、F/Tプログラム・ディレクターの相馬千秋、春・秋と続けてF/Tで作品を発表するサンプル主宰・松井周。共に現代のカルチャーシーンをよく知る3人が語る、F/T09秋のラインナップの魅力、期待される役割とは――? 昭和初期に建てられたレトロな講堂、虫の声が響く静かな初秋。知の季節にふさわしい、熱い期待に満ちたトークの模様を紹介しよう。
聞き手:佐々木敦(批評家、エクス・ポ編集長)
出演:松井周(サンプル主宰・演出家)
相馬千秋(F/Tプログラム・ディレクター)
はじめに――多面的な"リアル"を求めて
佐々木 F/T09春から半年ちょっとで今回のF/T09秋が幕を開けます。この春と秋のプログラムは、続き物という感覚で選ばれていると思うんですが、春は"新しいリアル"、秋は"リアルは進化する"をテーマにしていますね。どちらにもある"リアル"というキーワード、この言葉に込めた意味合い、それからこの秋全体のコンセプトをまず最初に、相馬さんから御願いします。
相馬 はい。2009年に限ってですが、F/Tは2、3月と、10月からの2ヶ月と、年に2回やることになってます。その間の準備期間がたった半年という(笑)、まずはこの逆境をどう捕らえるかっていうことで、私としてはカセットテープのA面B面、ちょっと古いですけど、つまり、連続して見て一つの完結したアルバムができる――というイメージでこのプログラムを作りました。それで、どちらも"リアル"というキーワードを前面に出しているわけですが、この言葉って本質を突きすぎて、もはやどう説明していいのか分からないようなところがありますよね。いかようにもとれるけど、逆に何も言ってないような感じすらする。それでも敢えてこの言葉を使ったのは、今、いろんな表現がある中で、舞台芸術が持っている今日的な力ってなんだろうと考えた時に、やっぱりそれは、その場、その時を共有することでしか伝えることができない本当にリアルな、手触りとか、皮膚感覚、そういったものなんじゃないか、また、それをきちんと検証する場としてフェスティバルを機能させたいと思ったからなんですよね。例えば、F/T春は6万人を動員したということになっているんですが・・・
松井 すごいですね。
相馬 はい。でも、テレビって視聴率1%って百万人じゃないですか。そもそも数字では敵わないんです。これだけのフェスティバルでも、伝えられる人の数には限りがある。でも、だからこそ、そのごく限られた、その場その時にいた人が、そこでつかむことのできる体験の深さとか、特殊な感覚とか、そういったものを全面的に打ち出していきたいなって思うんです。
佐々木 さっき相馬さんは"リアル"っていう言葉はあまりにも幅が広すぎて、ほとんど何も意味していないに等しいとおっしゃいましたよね。例えば単純に"リアルな演技"とか"リアルなドラマ"っていわれるようなものがある。でも、それとは別の、表面的な手法を超えたところでの"リアル"とはいったいどういうことなのか。そもそも"リアリズム"っていうのはなんなのか、ってことをさまざまなアーティストや作品を通して問うている作品が、F/T09春、そして秋のプログラムにも並んでいるように見えるんです。"リアルの多面体"をモザイク状に見せていく、そういう試みが行われているんではないでしょうか。ここにいらっしゃる松井さんもそうですが、半分以上のプログラムで、春と秋、同一のアーティストが別の作品を発表するっていう形式も、そのためなんですね。
維新派『ろじ式』
佐々木 では、ここからはおおまかに日本勢と外国勢、ダンスという流れで、各演目についてお話しましょう。まずは松本雄吉さんご主宰の劇団、維新派の『ろじ式』です。
相馬 維新派は、野外劇では右に出るものがいないという非常に大胆で壮大な舞台を作るグループです。関西に拠点がありますので東京で見られることは実はそんなにないんですね。一昨年に彩の国さいたま芸術劇場で公演しましたが、東京は6年ぶりです。今回の作品は、にしすがも創造舎という、もともとは廃校になった中学校なんですが、その体育館を使ったものです。劇場内の空間もかなり維新派仕様になりますし、校庭の方には屋台村も出現させますので、そちらも是非楽しみにしていて頂きたいですね。
佐々木 この作品は初演ですよね。
相馬 はい、全くの新作です。維新派は、ここ数年間、「彼と旅をする20世紀」シリーズという作品を作っていまして、第一部、第二部までが終わりました。第二部は昨年、琵琶湖の特設舞台でやった『呼吸機械』ですね。次の第三部に当たる作品は来年度に作り、海外にツアーもするそうなんですが、今回の『ろじ式』はその前哨戦といいますか、原型になるチャレンジです。
佐々木 なるほど。これはひらがなの「ろじ」なんですけれども、いわゆる「路地」から来てる言葉なんですよね。
相馬 そうですね。
松井 セットは体育館の中に作って、ずっとそこで稽古をするわけですか。
相馬 はい。本番の2週間くらい前から、カンパニー一同、50人くらいが大挙してやってきます。
松井 港なんかでやるときには、セットを建てて、一ヶ月間そこに住んで稽古して、みたいなことをやる劇団ですよね。
相馬 そうなんです。だから今回も特殊な宿泊の仕方をオーダーされたら、どうしようか、なんて思っていたんですけど、普通の民宿みたいな所に宿泊して下さるそうです(笑)。彼らも1ヶ月間にわたって滞在しますので、作品や屋台村を通してだけでなく、いろんな交流が生まれると思います。
サンプル『あの人の世界』
佐々木 松井周さんはF/T09春では、演出だけの参加でしたが、今回は満を持してご自身の劇団サンプルの新作を発表されます。
松井 このラインナップの中では、僕は"物語"担当かな、と思っています。自分でも"物語"ということにはすごくこだわっていまして。といっても起承転結がどうこうっていうのではなく、自分が何かを見た時に、その対象に対して貼り付ける思いこみみたいなものですね。例えばあの、酒井法子でもいいんですけれど、事実に対して、あの人はいったいどうなってるんだろうって、こちら側が自分で空白の6日間を勝手に想像して作っていく、そういう"物語"。で、その貼り付け方や内容っていうのも人によって違うと思うので、それぞれ違いのある人たちがコミュニケーションした場合、そこでモザイク状になった物語っていうのは、どうやって相手を包み込んでいくのか、あるいは浸透していくのか――そんなことを考えています。
佐々木 『あの人の世界』っていうタイトルを聞いた時は、「おお、ついに来たか」みたいな感じがしました。"世界"っていう言葉は、本当に最近はよくいろんなフィクションの中に出てきます。"世界"っていう言葉自体も出てくるし、"セカイ系"っていう言葉もあったり。大方の場合、そこには、客観的な実在としての世界と、それぞれが自分の観点から見た世界と、両方の意味があるわけです。そこで後者の、それぞれに自分の世界がある、という考えをとったとき、そこには僕が見た僕の世界もあれば、僕の見た松井さんの世界っていうのもあるわけで......っていうようなことは、演劇の創造の、ベーシックな部分に触れるアイデアなんじゃないでしょうか。
松井 そうですね。例えば俳優は何を根拠に何か役を作るかと考えると、やっぱりまあ、自分の偏見、自分の見方で世界をとらえて、そのうえで、人に与えられたせりふでも自分がしゃべっているかのようにしゃべる。昨日テレビで「高校生クイズ」っていうの見てたんですけど、最後に負けたチームのキャプテンがちょっとこう、陶酔して「悔いはないです!」みたいな感じのことを言うんですね。ああいうふうに、自分で「地球は救えなかった」みたいな感じに入り込んでるのって、不思議に見えちゃうんだけど、じゃあそれって、普段自分が誰かに対して貼り付けてる偏見とどう違うのか。変わらないんじゃないかと。
佐々木 自分自身も、大なり小なりそれに近いことをやってたりとかしますからね。
松井 そう。そのこと自体は愛嬌があるし、僕としてはいいなと思うんですけど。
佐々木 相馬さんは松井さんの、あるいはサンプルの世界観のどこに注目されたんでしょうか。
相馬 惚れ込んでいるんですね。ご自身で劇作をされた作品もすごく面白くて、同時代のリアルを松井さんなりの形で作品にされている。特別な手触りっていうか、ざらっとした......見た後のなんとも嫌な感じが大好きです。また、サラ・ケインの『パイドラの愛』もやられていたし、F/T09春では『火の顔』もやって頂いて、必ずしも自分が書いたものではない遠い物語、あるいは物語として成立させるのが実は難しいような戯曲にも果敢にチャレンジされている。その際の劇空間を立ち上げる力も相当なもので......これはもう、とにかく2回連続してご一緒したいと思いました。
佐々木 今回の『あの人の世界』は、すごい豪華キャストですね。
松井 そうですね。チェルフィッチュの山崎ルキノさんだったり、柿喰う客の深谷(由梨花)さんだったり、あと中野成樹+フランケンズの石橋(志保)さんとか。僕が求める、その、ある意味すごく素直に受け身になってくれる役者さんたちがそろっていて、ピンボールの球のようにはじけてくれる。
佐々木 その言い方は面白いですね(笑)。
松井 僕としてはやっぱり実験をする感覚で作品を作っているので、すごくいい素材で、すごくいい純度の高い実験をしたいと思うんです。
佐々木 サンプル所属の皆さんももちろん出演されますよね。これから稽古だそうですが、とても楽しみにしています。
PortB『個室都市 東京』
佐々木 PortBは非常に変わったスタンスで活動している集団(1)ですよね。
相馬 「これは演劇なのか」ってよく言われたりもするんですけど、これを敢えて「演劇です」と言うことが演劇の可能性を考えることだ、と私は心に決めています。そういった意味でも春に引き続いてご登場いただくことにしました。今回の高山さんのアイデアは、今日、皆さんも通ってこられたかもしれませんが、池袋の西口公園、芸術劇場の隣の広場なんですけれど、そこに個室ビデオ店のイミテーションを作るというものです。
佐々木 で、それが劇場になるんですよね。そこで観客が何かの体験をするんでしょうか。
相馬 そうですね。個室なので、皆で場を共有するっていうことではなく、お客さん一人一人が、その部屋の中に入るわけです。で、自分で棚からビデオを持ってきて再生をして見る、と。
佐々木 あ、本当に個室ビデオなんですね。
相馬 はい。今のところのアイデアでは西口広場の公園のステージがあるんですが、その上に大体20室くらいの部屋を作る予定です。24時間、7日間ずっとオープンさせますので、お客さんはいつ行ってもいいんです。500円1時間っていう個室ビデオ店と同じルールですから、寝泊まりしようと思えば......。
佐々木 500円追加していけばいいと。それで、流れているビデオはその高山さんが作ったものなんですね。
相馬 はい。エロビデオではありません(笑)。そのコンテンツがどういうものになるかっていうのはちょっとまだ、お楽しみです。まぁ、西口広場のあるリアリティを映像という形で反映したものになるはずです。
佐々木 すごい深夜に行っても大丈夫なんですか?
相馬 大丈夫どころか、深夜にもツアーパフォーマンスが仕込まれていますから。今回は全時間帯で、おそらく3つか4つのツアーパフォーマンス用意する予定です。
佐々木 春の『サンシャイン63』でもやっていた手法ですね。サンシャイン60やマンションの一室に行ったりとか。
松井 どっかに連れて行かれるんですか。
相馬 そうなんです。来店したお客さんが、ある時間帯になるとツアーパフォーマンスにも参加できるという。それが朝の4時出発の回もあれば、昼の12時の出発の回もあれば、夕方の回もあって、その時間帯によって公園の生態系といいますか様相も変わりますよね。あるいはもしかしたら池袋以外の場所に連れ出される可能性もなくはないですね。
佐々木 こわいですね、ちょっと(笑)。行ってみないとどういう作品かわからない。だけど、池袋で終電を逃したら、これに参加するのもいいかもしれない。
相馬 定員は20名ですので、早い者勝ちですよ。また、見る方も大変ですけどやる方も大変で、高山さんもずっと寝泊まりするっておっしゃっています。からまれたりしないといいんですけど(笑)。
佐々木 これ、どんな時間に参加するか、僕も今から考えておきます。
相馬 ずっといて、ここから他の劇場へ行くのもいいですよ。要所要所で今度トークなんかも仕込んでいこうと思ってますし、演劇関係以外の人を呼んで、シンポジウム的なこともやる予定です。全容は見ていただければ分かると思います。隠れたテーマは貧困です。
1. 演劇を専門としない表現者との共同作業を通し、現実の都市の風景や記憶 を引用、再構成していく。F/T09春にはE.イェリク作の舞台『雲。家。』、ツ アーパフォーマンス『サンシャイン63』で参加した。
飴屋法水『4.48サイコシス』
佐々木 これは注目の作品です。飴屋法水さんがサラ・ケインの遺作『4.48サイコシス』を演出します。
相馬 F/T春の『転校生』(飴屋演出)をご覧になって下さった方も多いと思うんですが、飴屋さんがああいう形で演劇界に戻っていらっしゃって(2)、私としても是非次の作品、その次の作品を見てみたいと思ったんですね。前回は平田オリザさんの戯曲で、同時代の女子高生のリアルそのものを作品にしていく、というコンセプトだったんですが、今回は海外の戯曲で、しかも、ト書きもなければ状況設定もない、精神を病んだ人間の内面の言葉が断片的に、心象風景として散らばっているような......。
松井 役さえもう、誰だか分からないんですよね。
相馬 そうなんです。......で、突然フラッシュのように数字の羅列が出てきたりだとか、精神科医とのやりとりのようなものが出てきたりだとか。ですから非常に難解なんですが、それがなにかこう、今われわれの社会が抱えているリアルや病んでいる部分を厳しく表象しているような作品です。これを飴屋さんに御願いしたら、いったいどんな科学反応が起きるのか。ただ単に一人の女性の、死にゆくうつ病患者のモノローグとしてではなく、何か、われわれが共有できるものとして、この芝居を演出するにはどうしたらよいのかということに、今、チャレンジして頂いてるんです。
佐々木 あの、僕はこうやって聞き手をしているにもかかわらずサラ・ケインという劇作家のこともあんまりよく知らなかったんですが、イギリスの劇作家で、生涯5作ですか、5編しか劇を発表しないで、すごく若くして自殺してしまった劇作家です。で、この『4.48サイコシス』は彼女の遺作に当たるわけです。松井さんは彼女の『パイドラの愛』を演出されていますが、その時はどんな感じでしたか。
松井 サラ・ケインの戯曲も、サラ・ケイン自身も......なんかこう、すごくストレートに突っ込んでくる感じで。それを真っ正面か受け止めて作るとなると、自分も同じものを要求されてるような、サラ・ケインから求められている期待値に、勝手にプレッシャーを感じちゃうようなところがありましたね。だから、今回、飴屋さんがどういうふうに、今の自分たちの問題として関心を持てるような形にするのか、すごく楽しみなんですよ。
佐々木 確かにサラ・ケインは、死や狂気、あるいは暴力といった問題に、非常にストレートに切り込んでいくタイプの作家ですよね。『転校生』もそうでしたが、飴屋さんも生と死の問題という非常に深いところに演劇の核心を持って行く方だと思うので、一体どんな作品になるんだろうっていう。
相馬 そのヒントが、今スクリーンに映っているこちらの画像にあるかもしれません。これ、パンフレット用に飴屋さんから頂いたイメージ写真です。これを見て「あっ」と思う方は飴屋さんの2005年の展覧会「バ ング ント」 展をご覧になっている方ですね。
佐々木 飴屋さんが箱の中にずっと入っていて、一度も出なかった。
相馬 2メートル四方くらいの箱の中に、24日間です。そういう伝説的と呼ぶにまさにふさわしいような展覧会。そのテーマが、「消失」だったんですね。会場には証明写真の機械があってお客さんがそれぞれ自分の顔を撮影するんですが、出てきた写真の顔の部分が消えている。その写真をランダムに集めたのが、この広報素材です。それで、この写真と『サイコシス』がどう関係するかというと、さきほどもちょっと言ったように、遺作=サラ・ケインという女性のモノローグとして解釈するのではなく、今回は匿名の、無数の人々の物語にして表出させることができないか――そういうアイデアを煮詰めているわけです。松井さんもおっしゃったように言葉があまりにも強く、解釈の余地が成立しない部分もあるんですが、それをはぐらかすために、外国人の人に日本語を喋ってもらったり、言葉をちょっとずらしていくような演出を考えていらっしゃるようです。山川冬樹さんのホーメイを響かせたりもします。
佐々木 なるほど。今のところこの作品、出演者が山川冬樹さんしか発表されていなくて、一体誰が出るのかさえまったく分からないという......。まあ、飴屋さんは何をするか分からない人なので、その全貌は、劇場で初めて明らかになるんじゃないかと思います。
2. 80年代に「東京グランギニョル」、「M.M.M」を通じ、サイバーパンク的な舞台表現を追求。90年代は現代美術へと活動の場を移し、95年からの数年間はペットショップ「動物堂」の店主をつとめた。2005年「バ ング ント」展で美術界に復帰。07年静岡県舞台芸術センターで上演された『転校生』で演劇活動も再開、同作はF/T09春でも上演された。
庭劇団ペニノ『太陽と下着の見える町』
佐々木 先だって行われたF/T09秋の制作発表記者会見、相馬さんも松井さんも参加された記者会見の模様が、youtubeにアップされているんですが、そちらを見て頂くとですね、タニノクロウさんのコメントが非常に面白いんです。「どういう作品をやるんですか」って問われて、「いや、パンチラが見せたいんです」っていうことをですね、くり返し、ずっと...パンチラパンチラって言っている記者会見(笑)。相馬さんも困ったんじゃないかなと思うんですけど、これは、そういう作品ということでよろしいんでしょうか。
相馬 そうとしか言いようがないんですけれど、ただ、ただのパンチラでないってことだけは言えると思います(笑)。
松井 どんなパンチラなんですか。
相馬 にしすがもの体育館という、その巨大な空間を手に入れたタニノさんが、どれだけ巨大な妄想を膨らませてしまうのかっていうことで......まあ楽しみでもあるし心配でもありますね。普段は「はこぶね」っていう小さなスペースでやってらっしゃるんですけど。
佐々木 普通のマンションを改装した場所ですよね。
相馬 はい。それと、今、国際的にもタニノさんは注目されているので、"世界に通用するパンチラ"っていう、ちょっとわけのわかんない方向の誇大妄想で、どこまで行ってくれるかなっていう楽しみもあります。
佐々木 『太陽と下着の見える街』って、なんかちょっと詩的なタイトルのような......。
相馬 うちのスタッフが英訳するのすごい困ってしまって。"The town where the sun and underwear are seen"って、そのまま直訳になってるんですけど(笑)。
松井 いやー、これは気になりますよね、下着でっていうか、パンチラで、どう一時間以上の時間を組み立てていくのか......。
佐々木 タニノさんはもともと、セクシャルな妄想を作品の中心に据えることが多い方ではありますよね。それにしても「パンチラがやりたい、それがすべてなんですけど」って記者会見で言ってましたから......。
松井 でも、いろんな角度からのパンチラを、いろんなふうに見られそうですよね。
佐々木 パンチラの隠された可能性がまだある。
松井 ね、ほんとそれこそ、妄想が膨らみますね。
佐々木 美術がすごいということでも定評のある劇団ですので、いつも使っているところよりも遥かに大きなにしすがも創造舎の体育館で、どういう妄想世界を立ち上げてくれるのか、大いに期待したいと思います。
リミニ・プロトコル『Cargo Tokyo-Yokohama』
佐々木 海外からの作品には、相馬さんがどういうふうに演劇と"リアル"をどう結びつけているかというアイデアが、すごく鮮明に表れていると思います。その一つが、春に引き続き登場するリミニ・プロトコルの『Cargo Tokyo-Yokohama』です。
相馬 F/T09秋の中でも、この『Cargo』と『デッド・キャット・バウンス』、『フォト・ロマンス』の3作品は、特に「ドキュメンタリー演劇」を意識したプログラムです。前回のF/T09春でも"リアル"をテーマに、プロの役者ではない方が舞台に上がる作品を取り上げましたが、その時に、リミニ・プロトコルの『資本論』をご覧になった方も多いんじゃないでしょうか。それで今回のリミニはですね、もう「劇場を離れて、街そのものを舞台にしてしまおう。すでにそこにあるものが演劇だ」と言い切ってしまう、ドキュメンタリー演劇の手法をさらに大胆に展開するプロジェクトです。
まず、今回のテーマは"物流"ということで、お客さんにはトラックの荷台に乗っていただきまして、荷物の目線で街の様子を見つつ、港湾部の物流の拠点を巡って頂くというツアーパフォーマンスです。パフォーマーとしては、トラックの運転手さんが出てくるんですが、これは今、日本人ドライバーの方を含めて、キャスティングをしている最中です。演出のイェルク・カレンバウアーが、すでに横浜に10日間ほど滞在して、おおまかなルートのリサーチですとか、キャスティングなんかをやっています。
佐々木 映像資料を見ていると本当に物流の模様を撮ったドキュメンタリーみたいですね。
相馬 トラックの片面がガラス張りになっていて、外の景色を見ながら、たまにスクリーンが下りてきて、映像が投射されたり。
佐々木 『資本論』でも、マルクスを研究している学者の方や、ワーキングプアの青年なんかがキャスティングされていましたが、今回も日本の物流の世界をすごくリサーチして作っていますよね。でもそうなると、相馬さんもおっしゃっていたように「これって演劇と呼べるのだろうか?」っていう疑問も出てくる。つまりリミニは、"演劇"っていう考え方の根本、その概念を拡張しているグループなんじゃないかと思うんです。
相馬 そうですね。彼らは"すでにそこにあるもの"しか扱っていないんです。でもそのことこそが、仕込まれたものより"リアル"を感じさせるという......(演劇としては)一種、特殊な状況を作り出す天才的な仕掛け人ですね。
佐々木 社会的なテーマを持っていて、政治的なスタンスもすごく明確な方々だと思うんですけど、にもかかわらず実際の観劇体験としてはすごくジョイフルに見れてしまいますよね。
相馬 今回、日本のトラック運転手を募集したわけですけど、1ヶ月位に渡る公演に出演してくれるっていうことは、彼らはそれだけ時間があって失業しているんですよね。そういう現実がこの作品の中でもリアルに語られていくと思うんですけど、それがなんかこう暗い話にならずに......もちろん、実際は深刻なんですが......。
佐々木 単に問題点を指摘するだけじゃなくて、そこにいかにして希望を見出すかっていうところまでやっている。
相馬 説教されるのはたまらないけど、そこで扱われている問題に自分自身も関係しているんだと気づく、その気づかされ方がすごく新鮮だったり、衝撃的だったりするんですね。また彼らは、それをすごくいいセンスとユーモアで、軽やかにやりとげるんです。
佐々木 ところでこの公演、どうやって参加できるのか今のところわからないんですが......。
相馬 すみません(笑)。さっき見ていただいたこの特製のトラックをドイツから日本に輸入中です。丸ごと船に乗せて運んでいるんですけど、その輸出の手続きが大変なんです。その諸々の調整がクリアになった段階で、どういう日程でできるかをご報告できると思います。遅くともF/T09秋の開幕までには、すべての情報が明らかになるはずです。
佐々木 その交渉のプロセス自体も、リミニなら作品のテーマにしてしまいそうですね。
相馬 それは是非やってみたいですね(笑)。
クリス・コンデック『デッド・キャット・バウンス』
相馬 クリス・コンデックは元々映像作家なんです。アメリカのウースター・グループというカンパニー、あとドイツの演出家の作品の映像も手がけているんですが、この『デッド・キャット・バウンス』という作品で、演出家としてもブレイク中です。ところで「デッド・キャット・バウンス」ってどういう意味か想像つきます?
松井 株式用語ですか?
相馬 そうです。直訳すると、デッドキャット、だから死んだネコが、バウンス、跳ね返るっていうことで...
松井 どういうことですか(笑)。
相馬 私も知らなかったんですけど、すでに株価が下落しているにもかかわらず、底値をついた時に、一瞬跳ね返って、上がっているように見える。その現象を比喩的に示した用語です。それが今回の作品のタイトルです。それで、少し種明かしをしますと、この作品では、お客さんが払って下さるチケット代金がそのままロンドンの株式市場に投資されます。
佐々木 あ、本当にその時にやるんですね。
相馬 はい。なので今回は土日には公演がないんですよ。土日はロンドンの株式市場が閉まっているということで。流れとしては、まず、お客さんの合意をとりつけてどの企業のどの株を買うかっていうのを決めます。で実際その会社に投資をして、まあ、株が上がったら配当がある。ですから、グローバライズした経済の現実を、劇場の中でリアルタイムに体感することができるわけです。
佐々木 リミニ・プロトコルとも一脈通じる手法ですね。
松井 なんていうか、嫉妬しますよね。こんなふうに「直接リンクしている」っていうことをダイレクトにやる感性があるという......。
佐々木 例えば日本の株式市場を舞台にして同じことをやるのは難しいでしょうし、そもそもそういう発想自体がこの国では生まれてこない気がします。
松井 そうですね。"演劇"って考えた場合には、なかなか浮かばない。だから実際日本でこれがどういうふうに行われるのかすごい楽しみです。日本人はどういう反応するんだろうみたいな。
佐々木 ちょっと一攫千金を夢見て、みたいな......(笑)。
相馬 ちょっとはペイバックがあるかもしれないので、配当を楽しみにいらして下さい。
佐々木 普通の演劇を見るのとは違う楽しみがありますね。現実的なスリルとサスペンスも入っているという。
相馬 でもこれもやっぱり、普段はアクセスしない現実に接続できる演劇の醍醐味の一つだと思うんですよ。是非、そのスリルを味わいにいらしてください。
ラビア・ムルエ&リナ・サーネー『フォト・ロマンス』
相馬 このレバノンのラビア・ムルエというアーティストに関しては、皆さん日本でも観る機会があったのではないかと思います。今回で4度目の来日です。『フォト・ロマンス』は、この8月にアヴィニョン演劇祭で初演されました。イタリアのエットーレ・スコラ監督の「特別な一日」というマストロヤンニとソフィア・ローレンが出てくる映画があるんですね。で、今映像に出てますが、この舞台上のスクリーンにはその映画のパロディーを流しているんです。パロディーといっても写真なんですけど。で、このパロディー映画を、アーティスト、リナ・サーネーが、検閲官に扮したラビア・ムルエにプレゼンテーションするという。
松井 すごい面白そうですね。
相馬 メタ・メタの構造といえばいいんでしょうか。ヒットラーが初めてイタリアを訪れた1936年のある一日の出来事を描いた映画があり、そのパロディーが、舞台上の写真によるプレゼンテーション。で、それをアーティスト本人と、アーティスト扮する検閲官がやりとりして、こういう表現はまずいとかっていうやりとりしていく。やりとりの外側にはまた、レバノンにおけるリアルな検閲の現実があるわけですよね。彼らがこの作品をレバノンで上演する時には、実際にオーディエンスに検閲官がいるかもしれないっていう前提でやっていますから、そうなるとメタ・メタ・メタになる。
佐々木 最後はやっぱりリアルと接続されていくんですね。『これがぜんぶエイプリルフールだったなら、とナンシーは』という作品を拝見したことがあるんですけど、政治的あるいは歴史的な問題を扱っていながら、問題意識みたいなことだけじゃない、なんかすごく、言葉にしがたいような体験になっていたんです。これは演劇という形式で初めて可能になるテーマの扱い方だなって思いました。
相馬 そうですね。レバノンという特殊な状況、あるいは中東っていう非常に厳しい政治状況に対して、彼らはもちろん、政治的であらざるを得ない。でも、同時にやっぱり演劇ですから、ある種の戯れ、さっきのようなメタ・メタな状況を作り出したりもするわけです。そのことが演劇そのものの可能性を問うことにもつながっていると思うんですよね。ただの政治的マニフェストにならない、豊かな戯れがある。そこが、とっても好きです。
松井 なんかちょっと、こう見てると、検察と弁護士とか、裁判員制度を思い出しますよね。画面に証拠の物件をどんどん映して、それに対してどういう物語を作っていくか、っていう発想と近い。現実とのリンクをしつつも"物語"ってことを考えさせられるのは、すっごい刺激的だなと思いますね。
相馬 おっしゃるとおりですね。彼らは敢えてフィクションとリアルの境界を曖昧化するんですよ。混ぜたり、あるいは逆転させたり......観ている人には、どちらがどちらなのか分かる部分もあれば分からない部分もあって、だんだんこの男の人は本当にラビア・ムルエっていう人なのかどうかってことすら、疑わしくなってくる。
佐々木 それは面白いですね。今、裁判員制度の話がありましたけど、ああいう場所でも、実際は例えば誰かが嘘付いてたりとか、検察側と弁護側がやりとりをしているって意味では、演技・演劇的位相が入っているわけですよね。つまり現実の中にも演劇的なものっていうのは潜在しているし、だからこそ演劇もフィクションの中だけで成立するわけにはいかなくなっている。そういう中で、彼らは両方の要素を非常にうまく使っている人たちだなと思いますね。それは、ここまでお話した3組の海外アーティストにも共通する特色です。
ドキュメンタリー演劇から見る「演劇」の可能性
相馬 春、秋と継続して追求したいと思っているテーマの一つに、"演劇の持つ可能性"があるんですね。いわゆる普通の旧来の演劇、舞台の上で何かの物語を表象するっていうものだけでは、演劇の持っている役割や可能性を問うことはできなくなっているんじゃないか――という問題提起。そのために敢えて、確信犯的に旧来の演劇の形式からは逸脱しているものを出しているんです。
佐々木 国際的な演劇状況の中でも、こういったドキュメンタリー的な手法を導入する傾向は強まっているんですか。
相馬 それは確実にあります。ただ、旧来の演劇に対してドキュメンタリー系が今後のメインストリームになるかっていうと、それはないかな。例えば演劇の盛んなヨーロッパでは、国立劇場とか州立劇場をはじめとして、大きな劇場であればあるほど、しっかりしたシステムを持っていて、そういうところからまず、メインストリームの作品が出る。で、それに対するアンチテーゼのような演劇も、周辺で盛り上がってくる、という仕組みになっているので。
佐々木 そういったものも含むだけの幅や多様性をヨーロッパの文化状況は持っていると。
相馬 そうですね。また、それを敢えて仕込んでいる有能なキュレーターとかドラマトゥルクがいるってことだと思います。たとえばリミニ・プロトコルが本拠地にしているベルリンのヘッべルシアターという劇場があるんですが、そこの芸術監督は、もう10年くらいリミニに活動の拠点を与えて、作品をプロデュースしています。そういう仕掛け人が確実にいて、それがエスタブリッシュされた演劇に対するアンチテーゼになっている。F/Tはわりとアンチ、反逆の方にリンクしていますが、そこは私の好みかもしれません(笑)。
ロメオ・カステルッチ『神曲』
佐々木 今回最大の呼び物といいますか、最大のスペクタクルといえるのが、ロメオ・カステルッチの新作の『神曲』三部作です。
相馬 今出ているこの映像は去年のアヴィニョン演劇祭で上演された時のもので、法王庁の中庭の特設劇場で上演されているので、普通の劇場版とはかなり趣が違うんですが......。ダンテの『神曲』ではダンテ自身が地獄を旅するんですが、この作品もカステルッチがダンテになって地獄への扉を開くっていうところから始まります。50人の現地エキストラが出演します。
佐々木 日本でもエキストラを募るんですか。
相馬 はい。すでにオーディションも終えまして、老若男女50人に集まって頂いています。
佐々木 F/T09春で発表された『Hey Girl!』は、この巨大な作品に比べれば、小さい作品だったんですが、それでも、すごく鮮烈なイメージを持っている作家だと感じました。
相馬 そうですね。今、ご覧頂いているのが、第2部の『煉獄篇』です。煉獄っていうのは、魂を清めるプロセスのことなんですが、カステルッチはその煉獄をブルジョア家庭の日常の中においたんです。ハイパーリアルな舞台装置、それから緻密な人物造型も見どころですが、それがリアルすぎて非現実的な感じがするというのも、カステルッチ作品ならではの感覚ですね。もう、美しさが完成されすぎていて逆に恐ろしい。そして、こちらが第三部のインスタレーション『天国篇』です。この映像は完全にネタばれですので、見たくない人は目を閉じて頂いて。インスタレーション形式なので、ご予約は頂きますけれども好きなだけご覧になって頂けます。
佐々木 とにかく想像力というかイマジネーションがあまりにも強力で、観た後で変な悪夢に悩まされそうな(笑)。
松井 ザ・ヨーロッパというか、日本人勝てないな、食ってるもの違うなって感じがするんですよね(笑)。
佐々木 妄想力というか、ビジュアルも音も本当にすごいですね。
相馬 ロメオ・カステルッチという人はチェゼーナというイタリアの都市で創作をしています。農家の出身で、動物が大好きで、初めは農業学校に行ったぐらいなんですね。その後、美術の勉強をして、さまざまな偶然が重なってこういうことになっているんですが、そういう経歴の中からこれだけ豊かなイメージっていうのが次々と出てくる。ヨーロッパの文化力みたいなこと痛感させられる人でもありますよね。
ダンスの行方――
グルーポ・ヂ・フーア『H3』/BATIK『花は流れて時は固まる』/山海塾『卵を立てることから―卵熱―』
佐々木 春に引き続き、ダンスのアーティストも何組か参加されていますね。まずは、ブルーノ・ベルトラオ(グルーポ・ヂ・フーア)の作品ですが......。
相馬 ヒップホップのボキャブラリーを持ちつつ、そのシークエンスを解体し、再構築する、その実験の結果出てきた作品です。ブルーノ・ベルトラオ自身は今年30歳になったくらいの、非常に若い振付家なんですが、今、世界中で、「とうとうすごい才能が出た」っていうことで大騒ぎされています。コンテンポラリーダンスって若干やり尽くされた感があったり、ダンスの全体状況自体がどちらかというと、ノンダンス(3)というかコンセプチュアルな方にいってしまっていたところに、こういう、「まだ人間の体はこんな事ができるんだ」っていう表現が出てきたんです。この映像では凄さの3%くらいしか伝わっていないと思うんですけれども......。絶対勝てないブラジルのサッカーを見せつけられた、みたいな感じです。
松井 あー。そういう選手なんだ。
佐々木 体の造りが違うっていう。さきほど話したヨーロッパのすごさに引き続き今度はブラジルのすごさですか。
じゃあそのブラジルに対する日本のダンスは......。
相馬 そうですね。これに対抗できるのは黒田育世さんしかいないということで、BATIKの『花は流れて時は固まる』を選びました。この作品は04年にパークタワーホールで上演された、彼女の代表作にして出世作ですが、今回はこの作品をかなり大胆にリクリエーションして発表したいと思っています。黒田さんは、ここまで踊るかというような"限界"を意識した身体性でチャレンジを続けてこられた方ですが、これも、彼女自身がソロパートを踊る注目の作品です。ちょっとネタばれなんですが、飛び降りシーンがあるんですよね。8mくらい上から、ダンサー達がバーンバーンって飛び降りる、かなり衝撃的なシーンがあって。女性たちが身体を張ってみせる、その切迫した刹那がいいんですね。にしすがも創造舎という空間でこの作品がどう再構成されるのか楽しみにしています。
佐々木 BATIKは女性ばかりの集団なんですけれども、山海塾『卵を立てることから―卵熱』はこちらも再演で......。
相馬 男ばかりの集団ですね。もはや解説するまでもない世界の超トップスターです。前回は東京芸術劇場の中ホールで『金柑少年』という名作をやっていただいて、今回も山海塾の不朽の名作ですけれども、『卵を立てることから』をやっていただきます。日本のダンスに関しては、再演ものが二つになってしまっていて、私としてはもうちょっとダンスプログラムは、これから掘り下げていきたいなっていうのが正直なところです。最近は、フルスケールの大きな作品をカンパニーベースで作る機会が減ってきているようなんですね。どうしても、ショーケースものだとかソロ、そういったものが増えてきてしまっていて。さっきもちょっと言いましたが、ノンダンスの傾向というのが日本にもわりとありますので、ただただ身体性を追求するのも難しい状況。じゃあ、これからダンスがどういう方向に行くのかなっていうところを、是非、同世代のアーティストや演劇人と考えていきたいですね。
松井 そうですね。僕は、ダンスに対してすごい憧れを持ってるんですよ。自分でせりふを書くことって言い訳みたいで、何か意味をつけてしまうことへの嫌悪感を感じることもあるんです。でも、それに対してダンスは......うーん、つまり僕はそこに演劇のヒントがあると思ってたんですけど。もし、そのダンスに勢いがないとしたら、それは「隣の芝生は青い」じゃないですけど、ダンスがそういう意味を求める方向にきているのかもしれないし......もちろん、ちゃんと引っ張られつつも、中間点で何かを探している集団もあるのかもしれない。そのへんは僕も話してみたいところです。
相馬 演劇とダンスがわりとミックスしてしまってきているところはありますよね。例えばチェルフィッチュ(4)の岡田(利規)さんが振付をやった『クーラー』という作品。あれは例えばヨーロッパなんかではダンスとしてカテゴライズされて紹介されていましたし。
佐々木 日本の近代以降の展開の中では、演劇は俳優が何らかの役を演じて、その役たちがある物語を物語る、っていうのが基本だったと思うんです。でも今は、チェルフィッチュもそうですが、俳優が舞台上に立っている、その俳優は当然自分自身の身体を持っていて......っていうところに問題意識を集中させていく傾向が強いような気がする。そうすると、演劇の中にもともとはダンスが持っていた問題系っていうのが入ってくることになるし、ダンスの中にも演劇的な、あるいは物語的な要素は入っていっているから、相互浸透が起こってくる。そういう状況の中で、ダンスカンパニーとかダンサーっていう純粋な形態でものごとを突き詰めていくっていうこと自体に、色々な困難が生じつつあるのかなというような気もします。
3. 物語性や意味性を排除した舞台空間の中に身体を"置く"ことをコンセプトにしたダンス。"ダンス"を目的としないダンス。
4. 劇作・演出家の岡田利規が主宰する集団。意識をなぞるような、だらだらした語りと、意味内容と直接リンクしない身体性が特色。
演劇/大学09秋――次世代の演劇はここにある?
佐々木 「演劇大学」はF/Tの一つの特徴でもありますね。これは大学で演劇を学んでいる人たちが、発表をする場ということですね。
相馬 そうです。2000年代以降に顕著だと思うんですけど、美術系の大学に演劇学科というのができて、そこにプロの演出家の方や振付家の方が教えに行くようになり、学生との交流を通して、大学内でもかなり面白い作品ができ、次世代の演出家も誕生してきた。その辺りの、今、まさに起こっている出来事を、F/Tという枠の中で見ていきたいその辺の今まさに起こっていることをF/Tという枠の中で見ていきたいなという、企画なんですね。で、前回に引き続いて、桜美林大学には、木佐貫邦子さんに学生たちと一緒にやって頂きます。それから京都造形芸術大学。こちらはですね、木ノ下歌舞伎というユニットの演出をやっている木ノ下裕一さんという博士課程に在学中の学生さんの作品を、在学生と卒業生によるパフォーマンスで観ていただきます。大学は前回に引き続き、唐十郎さんの作品ですが、これもまた演劇史の縦軸を通すような作業で、こういうものと今新しく出てきているものが同じ場で問われた時にどういう化学反応が起きるのかが、楽しみです。今回初めて参加していただく多摩美術大学は学生演出による3つの作品を上演します。F/Tの周りでも多摩美出身の俳優は多いし、あと快快っていう才能を生んだ大学ですから、いったいどうすればああいうものが出てくるのか、興味津々です。
佐々木 演劇的な専門のカリキュラムを持っている大学は、まだそんなにたくさんあるわけじゃないですけど、多摩美や桜美林出身の俳優さんや演劇関係者って、今すごい増えてますよね。それはやっぱり、大学での演劇教育が、ある程度成功してきているって考えていいんですかね。
相馬 それを検証するのがこの演劇/大学の場になるとは思うんですけれど。ただ実感としては、例えば桜美林なんかはOPAP(桜美林パフォーミングアーツプログラム)っていう仕組みがあって、俳優志望の学生でもそれに出演するためにはオーディションを経ないと出られないんです。ですから、学生とはいえ全然機会が平等じゃないというか、かなり厳しい競争があるということはいえますよね。
松井 スタッフを務める学生も本気で取り組まないといけないプログラムで、僕も昔、舞台セットを作るワークショップの先生をやったことがあるんですけど、すごい本気でみんなやっていくんですよ。だから最初から英才教育なんですよね。精鋭揃いでもありますし。
佐々木 そうすると、今回の演劇/大学にも、もしかしたら数年後にシーンに登場してくる次世代のスターがいるかもしれないですね。
F/Tステーション――交じり合う魅力
佐々木 さて、各プログラムのお話をここまでうかがってきたわけですが、フェスティバルということで、会場がいくつかに分かれていまして、そのベースになるF/Tステーションという場所があります。
相馬 芸術劇場の前に二つぽこぽこっとドーム型の建物ができます。中でも注目は「おやじカフェ」再び、です。
佐々木 おやじカフェはおやじの人たちがやっているんですよね(笑)。
相馬 一応皆さん自称おやじということで、集まってきて下さったんです。ダンス経験があるわけでも、舞台経験があるわけでもなく、ただ何かを表現したいと、週に二回くらいの稽古で踊り込んで、ウェイター兼パフォーマーをしています。
松井 そんなにやってたんですか。
佐々木 ここのカフェにいるとおやじたちのダンスが見られるんですね。
相馬 テーブルでお茶飲んでると寄ってきて一緒に座ったりもしますよ。「これってこんなプログラムだったっけ?」って、私たちもちょっと分からなくなったり(笑)。今回は、新旧おやじ入り乱れてのパフォーマンスです。プロデューサーの伊藤キムさんが新しいレパートリーをご用意して下さるということなので、どんな踊りが見られるのか......。ますます調子に乗ってすごいことになるんじゃないかと心配もしています(笑)。
松井 ここって、外から丸見えなんですよね。通りすがりの子供とかが見てたり。
佐々木 今回はさらに、近くに個室ビデオ店のインスタレーションも現れるし。
相馬 もうなんだかよく分からない魅力(笑)です。
開幕間近。"進化するリアル"へ向けて――
佐々木 今日お話をうかがって、「どれも観たくなっちゃう」って感じになってきたところですが、本当に、あとひと月ほどで開幕ですよね。相馬さんから最後にもう一言、全体についてお話しいただけますか。
相馬 はい。演劇って何かの役に立つのかというと......ねえ(笑)。
松井 そうですね、そんな即効性があるものじゃないです。
相馬 そもそも芸術作品は、個人の妄想というか、個人の強いモチベーションの中からしか出発しないものです。ただ、そのいくつかをフェスティバルという枠組みの中で集中的に観た時に、そこから発見するものがあったり、今まで見えなかったものが見えてきたり、っていうことが起これば、それこそがフェスティバルをやった意味になると思うんです。だから、気負わず楽しんで頂きつつ、もしかしたら人生が変わってしまうような......。
松井 トラウマになったり(笑)。
相馬 はい(笑)。嫌な気分になったりするようなものも含めて、そういう体験があればいいかなと。
佐々木 松井さんの意気込みはどうでしょう。
松井 海外から色々と面白いものもきているし、日本の作品も飴屋さんなんてすごく刺激的なことをやっていると思うんですね。だからまぁ、僕は僕で、さっきも言った"物語"へのこだわりを、もう、ほんと"物語地獄"みたいな感じで過剰に出していき、それが僕の中の"リアル"につながればいいなと思っています。
佐々木 一つひとつの作品を観ることはもちろんですけど、例えばこれとこれを見たっていう時に、いくつかの作品がつながって、それぞれの観客の中で化学反応が起き、演劇やダンスっていう表現形式に対して持っているイメージが広がったり、あるいはもっと広い意味で、世の中とか世界に対する見方が変わったりとかするかもしれない。表面的な"リアル"だけが、演劇のリアルじゃない。この"進化するリアル"を、僕も楽しみにしたいと思います。
構成・文=鈴木理映子
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